怨讐を超えた日豪交流
- 5.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
上越・直江津 クチコミ:13件
第二次大戦中、古い塩の倉庫を改造した捕虜収容所に、300人のオーストラリア兵捕虜が収容され、強制労働に従事した。だが1942年末から翌年にかけて、寒波や飢えが原因で60人の捕虜が病死した。
終戦後、極東軍事裁判で収容所職員8人が死刑に処せられた。食事で牛蒡を出した件について、オーストラリア兵捕虜から「木の根を食べさせられ虐待された」という告発はあったが、それが死刑の理由ではない。
1988年、元オーストラリア兵捕虜が直江津を訪問し、故人をしのぶ銘版を寄贈したことがきっかけで、上越市とオーストラリアの交流が始まった。このとき日本の人々は、1944年カウラ収容所に収容された日本兵捕虜が脱走を企て、231名が殺された事件と、カウラ市民が毎年慰霊祭を行っている事実を初めて知らされる。オーストラリア政府は、自国の兵士が捕虜になっていることを知っていたので、この事件を隠蔽していた。そして日本政府も捕虜の存在を恥じていたので、事実を隠蔽していたのである。
1995年、収容所跡は平和記念公園として整備された。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/03
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