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上杉景勝・直江兼続出生地

  • 4.5
  • 旅行時期:2013/09(約11年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

六日町・浦佐 クチコミ:1件

坂戸城は南北朝期に越後を領国としていた新田氏が築いたとされる。その後越後守護上杉憲顕が家臣の上田長尾氏を配置し、上田庄一帯と関越国境を守らせた。戦国期には長尾政景が勢威を張り、守護代長尾家など同族と反目した。
守護代長尾家は長尾為景の死後、晴景と景虎(のちの上杉謙信)の兄弟が争った。上田長尾家の政景は晴景に味方したが、天文十七(1548)年、守護上杉定実の仲介で景虎が兄晴景から守護代の座を譲り受けることで収拾した。しかし政景はこれに従わず、景虎と小競り合いを繰り返したが、天文二十(1551)年政景討伐のために景虎が出陣し坂戸城包囲を表明すると、政景は降伏した。政景は以後、景虎の重臣として仕え、春日山城の留守を預かるなど重要な役についたが、永禄七(1564)年、野尻池での舟遊び中、宇佐美定満とともに溺死した。政景の死後は上田衆が持ち回りで在番した。
この地は政景の子で謙信の養子となった上杉景勝と直江兼続(樋口与六)の出生地でもある。謙信死後、御館の乱に景勝が勝利し、上杉家中における上田衆優位を確立させた。なお石碑は両者がこの城で生まれたことを指しており、両者の屋敷が城内のどこにあったかは不明で、石碑の立っている地に生まれたことを指しているものではない。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
景観:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
1.0

クチコミ投稿日:2015/02/15

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