明治文壇の才媛樋口一葉の住んだ町
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- 旅行時期:2014/12(約9年前)
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by 紅映さん(女性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:19件
東京文京区の本郷3丁目の四ッ角から本郷通りを東大赤門の方へ70メートルほど歩いて、文京センターの角を左へ折れる道を菊坂通りといいます。
東京のどこにでもありそうな通りですが、少し行くと「一葉文学のまち」という案内板が目に入ります。
その通りを300メートルほど下って、更に左の菊坂下通りへと降りて行くと、一葉が父の死後、明治23年(1890年)頃に住んだ家がありますが、そばには、一葉が使ったとされる掘抜き井戸も残っています。
この辺一帯に菊畑があったために坂を菊坂といい、坂下を菊坂町と名づけたのだそうです。
ここでの2年11ヶ月(18〜21歳)の一葉は、母と妹の3人家族の戸主として、他人の洗濯や針仕事で生計を立てていたようです。
一葉の作品によると、一葉が明治23年にこの貸家に移り住んでから、度々伊勢屋という質屋に通い、苦しい家計をやりくりし、下谷竜泉寺町に移ってからも、終焉の地(現西片1−17−18)に越してからも、伊勢屋との縁は続いたといいます。
一葉はきびしい生活の中で、萩の舎の歌作、それに必要な古歌や古典の研究をし、上野の図書館にも通い続けました。そして、萩の舎での姉弟子田辺花囿(かほ)の影響で、小説家として立つ決意をかため、半井桃水(なからいとうすい)に小説の手解きを受けていました。
明治25年(1892年)3月「武蔵野」創刊号に小説『闇桜』が掲載され、また、小説と共に貴重な日記はここに住んだ明治24年(1891年)4月1日から書き始めています。
言ってみれば、ここは一葉文学発祥の地と言えるでしょう。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/12/09
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