江戸時代に琉球王府が建てた烽火台
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- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by はまちゃんさん(男性)
慶良間諸島 クチコミ:41件
「赤間山の烽火台跡 (ヒータティヤー)」は、渡嘉敷港から車で5分ほどの“国立沖縄県青少年交流の家”の中にあります。
“国立沖縄県青少年交流の家”には一般の人も普通にそのまま入れます、入ってすぐ右手の、管理研修棟裏の小山を塀づたいに5分ほど登りきった所にあります。
“ヒータティヤー”とは「烽火(のろし)台」のことで、江戸時代に琉球王府が通信の手段として周辺の島々に烽火台を建てたもので、その一つが赤間山の頂上に残っている烽火台跡です。
現地には、碑文をはめ込んだ大きな石の碑が立っています。流石に通信の手段として烽火台を建てた場所であるので、きれいな海を見渡せる景色は素晴らしかったです。
碑文には次のように書かれていました。
【赤間山立火所跡】
『かつて慶良間は渡唐船の航路にあたっていた。記録によれば、首里の王府にいち早く船の帰りを知らせるため、この山頂で篝火を焚き小禄方面に連絡していたことが知られる。また、明治以降においても、島を離れて遠方に赴く村の男たちの見送りに際し、篝火を焚いたり狼煙を打ち上げたりして壮途を祝い旅路の安全を祈ったと語り継がれている。 昭和57年建立 『国立沖縄青年の家』
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/06/03
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