同志社英学校を開校した新島 襄の新島旧邸
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- 旅行時期:2014/02(約12年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:50件
同志社社史資料センターには新島旧邸が保存・管理されている。
新島 襄(にいじま じょう1843−1890年)は宗教家、教育者で同志社英学校(後の同志社大学)を興し明治六大教育家の1人に数えられている。
1875年、公家華族の高松保実より屋敷(高松家別邸)の約半部を借り受けて校舎を確保し、京都府知事・槇村正直、府顧問・山本覚馬の賛同を得て官許同志社英学校を開校し初代社長に就任、この時の縁で1876年に山本覚馬の妹・八重と結婚し1877年には同志社女学校(のちの同志社女子大学)を設立している。
妻の八重とは互いに尊重し合い、夫婦仲がとても良かったそうで2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」でも紹介された。
新島旧邸(にいじまきゅうてい)は同志社の創立者、新島襄と妻・八重の私邸で1878年に竣工した木造2階建ての和風建築に洋風の手法を取り込んだ造りの建物。1985年、京都市指定有形文化財に指定され、1992年の全面解体保存修理工事終了以後は一般に公開されている。特別公開期間中(2014年3月31日まで)は原則として毎週火曜日を除く毎日開館している。新島旧邸(にいじまきゅうてい)は明治期の個人の邸宅とすれば立派な建物だ。
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/04/17
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