唐人屋敷跡 長崎
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- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by ぐでたまさんさん(男性)
長崎市 クチコミ:44件
江戸時代に、中国商船の入港は長崎一港に制限され、中国人は長崎市内に雑居していました。しかし、清朝が遷界令を1684年に廃止すると、密貿易が増加したため、長崎奉行所は、1688年唐人屋敷の建設しました。広さは約9,400坪、2,000人程度の収容能力があったそうです。周囲は塀と堀で囲まれ、大門の脇には番所が設けられ、出入りを監視した。ただ出島に比べると緩やかだったようです。
その後、火災などで形態の変更はありましたが、1859年の開国によって唐人屋敷は廃屋化し、1870年に焼失したそうです。その後、在住中国人は新地町に中華街を形成し、今の長崎新地中華街となりました。
このため、唐人屋敷としての建物があるわけではないですが、明治に修復された土神堂、観音堂、天后堂などが点在しています。
- 施設の満足度
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3.5
クチコミ投稿日:2014/04/06
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