藤原氏との確執で政変にのみ込まれ自害させられた左大臣の墓 妃吉備内親王墓と寄り添う
- 3.5
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
-
-
by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)
信貴山 クチコミ:10件
長屋王は、父は天武天皇の皇子の高市皇子、母は天智天皇の皇女の御名部皇女で、皇親として嫡流に非常に近い存在であった。妃は草壁王子の娘吉備内親王。聖武天皇即位時には左大臣にまで昇つめた。
しかし、彼の繁栄は藤原家にとっては面白いものでは無かった。729年2月下級官吏からの「長屋王が密かに国を倒そうとしている」との訴えを素に、軍勢を屋敷に向かわせ、一言の弁明も許されずに四人の子供共々自害させられる。吉備内親王も後を追う。
自害の翌日には葬送が行われたと言うから、企てられたものであったと歴史家たちは想像する。その両者の墓がここに在る。生前の間柄のように仲良く並んでいます。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 平群駅徒歩10分
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/12/13
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する