言わずと知れた忠臣蔵の聖地、内匠頭、妻阿久里、赤穂浪士のお墓に吉良上野介の首洗いの井戸もあります。
- 5.0
- 旅行時期:2013/10(約11年前)
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by 吉備津彦さん(男性)
品川 クチコミ:1件
人気の観光スポット平日でも線香の煙は絶えません。赤穂浪士のお墓コーナーがあり火の付いた線香を販売しています。
慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田に今川義元の菩提を弔うために門庵宗関を招いて創建。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。この縁で元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られることになった。毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催される。また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。
元禄14年(1701年)3月14日、江戸城中で吉良義央(上野介)に対し刃傷沙汰に及び、即日切腹となった赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)の墓、その妻阿久里の墓、元禄15年(1702年)12月14日、江戸本所の吉良屋敷に押し入って吉良の首級を上げ、翌年2月4日に切腹となったいわゆる赤穂浪士(泉岳寺では「赤穂義士」と呼んでいる)の墓がある。
赤穂浪士は一般に「四十七士」と呼ばれるが、泉岳寺の赤穂義士墓地には討入り以前に自害した萱野重実(三平)の供養墓を含め48基の墓塔がある。48基のうち、この萱野三平と、遺骸を遺族が引き取ったため泉岳寺には埋葬されていない間光風(新六)、そして討入りに参加した浪士の中で唯一人切腹をまぬがれた寺坂信行(吉右衛門)の墓塔は、遺骸の埋葬を伴わない供養塔である。なお寺坂以外の浪士の戒名はすべて最初の文字が「刃」となっている。
墓地には石段を登って門をくぐり抜けるようになっていますが裏側にスロープがあり車椅子の方にも配慮されています。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2013/10/20
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