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内子座

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日本人の農閑期の楽しみをこの小さな劇場で感じました。

  • 4.5
  • 旅行時期:2006/12(約19年前)
Donkyさん

by Donkyさん(男性)

内子 クチコミ:2件

 内子座は、明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建されました。

 愛媛県喜多郡内子町の重要伝統的建造物群保存地区「八日市護国」の近くにある歌舞伎劇場です。木造2階建て瓦葺き入母屋造り 収容人員 650名 敷地 302坪 建築面積 1階177坪、3階65坪、計242坪ですからけっして大きな劇場ではありません。

 小さな劇場であっても、歌舞伎や文楽など著名な役者が何度も一流の演技を見せに来てくれたことや、道後温泉ではなく古くからある地元の旅館に宿泊したことなど、旅館「松之家」の女将が淡々と話していたのが印象的です。

 内子町は明治・大正時代に木蝋で栄えた町であり、本芳賀(ほんはが)、上芳賀家を中心に20軒あまりの蝋屋の財力が町の経済を支えていました。 この経緯があって、内子座が出来て以来、芝居の公演があると、枡席の席次は、名家芳賀家(本芳賀・上芳賀)が中央の一番良い席に陣取り、その周囲を一族や出資の多かった人たちが囲んで座るという取り決めになっていたそうです。

 柿落としの興業は、「吉田伝治郎」の人形芝居でした。当時の人々の楽しみといえば、大阪歌舞伎とこの人形芝居で、弁当、酒、肴持参で見物に出かけたそうです。

 歌舞伎や文楽に加え、後に映画や落語なども演じられました。その後昭和40年代にはホール的に活用されていましたが、老朽化により取り壊されようとしていました。しかし、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの強い要望により復元され、今日に至っています。

今日では、歌舞伎のほか、各種講演やまちづくりの会合等に活用されているそうです。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
4.5
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2013/10/17

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