上野戦争と黒門
- 3.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
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by わじんデンデンさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:7件
このお墓にはいつ行ってもお花が供えられている。彰義隊士の子孫の方が途絶えることなくお供えされているという。
1868年7月4日(慶応4年5月15日)、今の上野公園一帯で新政府軍と彰義隊の激しい戦闘が行われた。江戸城の無血開城を不満として寛永寺に立てこもって抵抗する彰義隊に新政府軍は早朝から総攻撃を開始し、最大の激戦地となった黒門(寛永寺の総門、清水寺観音堂の下あたり)口から防備が破られて彰義隊は瓦解し、夕方には戦闘は終結した。
この戦いの後、南千住円通寺の仏磨和尚と神田の三河屋幸三郎が新政府軍に願い出て、放置されていた266体の彰義隊士の遺体を集め、荼毘に付したという。円通寺の境内には彰義隊士の墓と当時の黒門が残されており、無数の弾痕が激戦の記憶を留めている。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/01/10
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