所在地名から「青の洞門」という名称になった
- 3.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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by はまちゃんさん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:6件
「青の洞門」は18世紀の半ばに禅海和尚が石工を雇い、ノミと槌だけで30数年かけて掘ったトンネルで、全長342m、トンネル部分は144m、通行料をとったため日本初の有料道路といわれています。そうした逸話を、菊池寛が大正8年に「恩讐の彼方に」で小説化したことから有名になったようです。なお、当時の洞門は明治末期に大改修され、現在は車が通るトンネルになっているが、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っています。
羅漢寺の入口近くに禅海和尚を奉った禅海堂があり、この青の洞門を掘ったときに使用したノミやツチが置いてあります。
昔から知識として「青の洞門」のことは知っていましたが現地を訪れても、なぜ“青”なのかは判りませんでした。が、帰宅後、改めて調べると、現在は中津市に含まれていますが本耶馬渓町曽木大字青というのが所在地で、地名から「青の洞門」になったようです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2012/11/22
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