罪人を処刑した場所、天領出雲崎の獄門跡
- 3.5
- 旅行時期:2009/04(約15年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
長岡・寺泊 クチコミ:41件
天領出雲崎の獄門は罪人を処刑した場所で処刑された人たちの霊を慰めるための供養塔や
処刑人の霊を慰めるために数体の地蔵尊が安置されている。供養塔は天明3年(1783)の建立と言われ現在も霊を慰めるため、毎年9月1日に尼瀬町内の人達によって、地蔵尊の前で百万遍講を行っているそうだ。
戊辰戦争時、代官の手の者によって江戸時代の処刑者の数や氏名、罪名を記した獄門帳やその他の書類を処分したため残ってないが、『遠い越佐の海』という書物には天明3年にあった柿崎の米騒動の首謀者がここで処刑されたと書かれているが幕府の年貢の厳しさで貧しい暮らしに苦しめられた人たちが反抗した結果みせしめにされたわけだが、庶民の代表として犠牲になった人たちで現在も供養する人たちの気持ちはわかる。良寛は名主見習いの時、首切りの立会いが嫌で家出をしたと言われ、良寛の出家の動機の1つと考えられており、庶民の代表が処刑されるのは耐えられなかったのだろう。
アクセス―――JR越後線「出雲崎駅」から出雲崎車庫行きバス約8分、バス停「良寛堂前」下車後徒歩約25分
新潟県三島郡出雲崎町大字尼瀬6-57
http://www.alles.or.jp/~takatynn/memo/izumogoku.htm
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/11/17
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