元寇の役の最前線となった壱岐島の史跡を巡る
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- 旅行時期:2012/10(約13年前)
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by はまちゃんさん(男性)
壱岐 クチコミ:19件
元寇とは、鎌倉時代中期に当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその属国となった高麗王国(朝鮮・・・韓国の教科書には日本征伐と書いてある)によって二度にわたり行われた対日本侵攻の呼称で、壱岐島はその最前線となった地です。
弐少公園には当時19才の若さで一軍の将として勇敢に戦い戦死した壱岐守護代少弐資時(しょうにすけとき)の墓や弘安の役で殉じた日本の船舶のものではないかといわれる碇石(いかりいし)、そして少弐資時を祀っている壱岐神社などの元寇史跡があります。
少弐資時については1997年、彫刻家の小金丸幾久氏が制作した馬に乗る「少弐資時公像」が、元寇720年を記念して芦辺港フェリーターミナルに建立されています。
弐少公園から少し下ったところに千人塚があります。元と高麗(朝鮮)の連合軍は老若男女の区別なく、きわめて残虐な方法で殺戮を繰り返し、捕らえられた日本人の婦女子数百人が高麗王に奴隷として献上されるなど壱岐は壊滅的な打撃を受け、残った人口はわずかに二桁の数字だったといわれています。これらの犠牲者をまとめて弔ったのが千人塚で壱岐島にはこのような千人塚がたくさんあるそうです。
壱岐島の元寇の史跡を巡って、今から800年ほども前にわが国最初の国難ともいえる元寇の役で、外国の連合軍に対して日本国として組織的に戦って日本国を守った鎌倉武士たちに対して尊崇の念を表すと共に、改めて感動した旅になりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2012/11/14
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