總持寺〔寺院〕
- 4.5
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
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by 横浜臨海公園さん(男性)
鶴見 クチコミ:4件
該寺は、元亨元年(1321年)に能登國鳳至郡櫛比村に開山され繁栄していたが、明治31年(1898年)4月13日に大伽藍から出火し境内悉く烏有の後、当時の管主 石川素童 老師に依り、東京府下、若しくは、近郊に於ける宮城鎮護の存在たるべしと移転を主張し、此の為に、地元に於いて、石川管主排撃運動が激化したが、事態収拾の為印に、内務省、及び、石川県知事等々の斡旋に依り、明治44年(1911年)に武蔵國鶴見成願寺(せいかんじ)境内たる現在地に移転。
該境内には、旧国鉄時代に横浜市内の桜木町事件(さくらぎちょう じけん)(昭和26年(1951年)4月24日)、及び、鶴見事故(つるみ じこ)(昭和38年(1963年)11月9日)で発生した2大事故の霊を弔う為に慰霊碑が建立されている。
桜木町事件死亡者106名の霊を弔う為に、第6代東京駅長 加藤源蔵(かとう げんぞう)、及び、国鉄労働組合委員長 寺山源助(てらやま げんすけ)が発起人になり国鉄職員から浄財を集め、赤塚信平(あかつか しんぺい)(明治32年(1899年)3月15日〜平成4年(1992年)12月21日)が設計、鎌倉円覚寺(えんがくじ)管主 朝比奈宗源(あさひな そうげん)(明治24年(1891年)1月9日〜昭和54年(1979年)8月25日) 老師が名号、及び、遭難者氏名を揮毫して昭和27年(1952年)4月24日に建立除幕。
但し、合祀されているのは日本人死者103名で米軍将兵死者3名は信仰上を理由に遺族より合祀拒否。
鶴見事故は併走する貨物列車が競合脱線が原因で脱線転覆した所を運悪く上下横須賀線電車が進入し、死者161名を出す大惨事である。
總持寺(そうじじ)
横浜市鶴見区鶴見中央5−20−1
?: 045−581−6306
東海道本線(京浜東北線)鶴見駅西口 徒歩12分
http://www.sojiji.jp/
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2012/10/05
いいね!:54票
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