一揆軍3万7千人は全て殺戮されて。尋常な弔いではすまないことを示していると感じました
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- 旅行時期:2009/08(約15年前)
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by たびたびさん(男性)
南島原市 クチコミ:1件
原城は、一国一城令で廃城となったいた城。「島原の乱」では、ここに、天草四郎を総大将とするの一揆軍3万7千人が立て籠もって、3か月の戦いを繰り広げます。実際に歩いてみると、本丸、二の丸、三の丸跡が残り、かなりの規模であったことが分かります。一方で、一揆軍を囲んだ幕府軍の陣容も3倍くらいはあったようで、何重にも城を取り囲んだ様子もすごいです。海のすぐ向こうには天草も見えまして、島原と天草がさほどの距離のないことも実感できました。写真は、天草四郎像。傍らには、ぽつんと「ほねかみ地蔵」。「骨を噛み締める」の意もすさまじいのですが、「骨髪」の説も。一揆軍3万7千人は全て殺戮されて。尋常な弔いではすまないことを示していると感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2012/10/05
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