護良親王の身代わりになったとされる村上義光の墓
- 3.5
- 旅行時期:2010/04(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
吉野 クチコミ:27件
村上 義光(むらかみ よしてる、生年不詳 - 元弘3年/正慶2年閏2月1日(1333年4月15日))は、鎌倉時代末期の武将で大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子)の忠臣として知られる。
村上義光の墓と伝えられる墓が、蔵王堂より北西約1.4kmの場所にある。案内板によると護良親王の身代わりとなって蔵王堂で果てた義光を北条方が検分し、親王ではないと知って打ち捨てられたのを哀れと思った里人がとむらって墓としたものだという。墓には玉垣に囲まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)と、向かって右に大和高取藩士内藤景文が天明3年(1783年)に建てたとされる「村上義光忠烈碑」がある。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2012/08/14
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