1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 兵庫県
  5. 尼崎
  6. 尼崎 交通
  7. 大物駅
  8. クチコミ詳細
尼崎×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

大物駅

大物駅 施設情報・クチコミに戻る

源義経ゆかりの大物主神社(おおものぬしじんじゃ)が近い阪神大物駅(だいもつえき)

  • 3.5
  • 旅行時期:2009/11(約16年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

尼崎 クチコミ:27件

阪神大物駅(だいもつえき)は、兵庫県尼崎市大物町の阪神電気鉄道の駅。
大物公園、大物主神社、ユニチカ記念館など徒歩で観光できる。
阪神大物駅から南に200m行くと大物主神社(おおものぬしじんじゃ)がある。
神崎川と武庫川に挟まれた三角州尼崎は古来より海運の要衝だったが風が強く難所としても知られていた。『平家物語』などに源義経(みなもとのよしつね1159−1189年)、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい 生年不詳−1189年)ら主従が西国に落ち延びようと大物浦から船出したが大風で押し戻されたとある。大物主大神は難所・大物浦の守護神として祀られていた。
1185年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした義経は兄・源頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)と対立し、朝敵として追われることになる。
義経は九州行きを図り摂津国大物浦(兵庫県尼崎市)から船団を組んで九州へ船出しようとしたが、途中暴風のために難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻され大物主神社に潜んだとされている。義経の九州行きは頓挫しその後吉野、京都、藤原秀衡(ふじわら の ひでひら1122−1187年)を頼っての奥州行きと逃避行が続き1189年に平泉で戦死した。
大物主神社周辺は義経の逃避行の初期段階だったのだが、もし義経の九州行きが成功していれば歴史が変わっていたかも知れない。
大物主神社の境内には義経主従が身を寄せたとする「義経弁慶隠家跡」碑、謡曲「船弁慶」が誕生する舞台になったことを紹介する謡曲史蹟保存会の駒札、尼崎の伝統産業「汁醤油発祥の地」の記念碑などがある。

施設の満足度

3.5

施設の快適度:
3.5
バリアフリー:
3.5

クチコミ投稿日:2012/01/18

いいね!:1

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP