対朝鮮外交に尽くした雨森芳洲の生家跡、雨森芳洲庵
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- 旅行時期:2009/04(約17年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
浅井・湖北・高月 クチコミ:2件
雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう1668−1755年)は江戸時代の儒学者で、北近江雨森村(現・滋賀県伊香郡高月町雨森)の医師の子として生まれ18歳で江戸に出て儒学者・木下順庵(きのした じゅんあん1621−1699年)に師事、師の推挙で1689年に対馬藩に仕え、生涯藩の文教と対朝鮮外交に尽くした。特に、1711年の徳川 家宣(とくがわ いえのぶ1662−1712年)の第6代将軍就任祝いと1719年の徳川 吉宗(とくがわ よしむね1684−1751年)の第8代将軍就任祝いの朝鮮通信使の応接と外交を担う真文役として活躍した。ハングル語の邦訳書、会話の入門書なども著している。
高月町では1924年に芳洲会を設立し1984年、生家跡に雨森芳洲庵を建設、芳洲が残した遺品、著書、文献、資料などを展示している。欅(けやき)の老木に囲まれた敷地内には、遠州流庭園や芳洲神社がある。雨森芳洲は江戸時代に日本と朝鮮との友好交流のために尽力した功労者の一人だ。
アクセス――― JR北陸本線「高月駅」下車 徒歩 25 分
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- JR北陸本線「高月駅」下車 徒歩 25 分
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2011/11/24
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