後醍醐天皇、源義経、豊臣秀吉らにまつわる多くの文化遺産が所蔵展示される吉水神社
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- 旅行時期:2010/04(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
吉野 クチコミ:27件
吉水神社(よしみずじんじゃ)は、金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが明治維新の神仏分離の際に神社となった。後醍醐天皇(ごだいごてんのう1288−1339年)を主祭神とし、南朝方の忠臣であった楠木正成(くすのき まさしげ1294頃−1336年)、後醍醐天皇を護った吉水院宗信(きっすいいんそうしん)を合祀している。
吉水院は役行者により建立されたと伝えられ、後醍醐天皇の吉野潜幸の際、吉水院宗信(きっすいいんそうしん)の援護で吉水院に行宮を設けた。後醍醐天皇の死去後、息子の後村上天皇(ごむらかみてんのう1328−1368年)が父・後醍醐天皇の像を彫り吉水院に奉安している。南北朝時代は天皇が戦乱に巻き込まれ、逃避行で方々流浪するという大変な時代だった。
明治の神仏分離の際に僧坊・吉水院は廃され、1875年に後醍醐天皇を祀る神社として吉水神社に改称している。1185年には源義経(みなもと の よしつね1159−1189年)が兄・源 頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)の追手を逃れて静御前、弁慶等と共に吉野に潜人し吉水院に亡命したものの逃げきれず奥州へ逃避行をしている。吉水院は源義経にとっても隠れ家だった。
1594年には豊臣秀吉(とよとみ の ひでよし1536−1598年)が吉水院を本陣として盛大な花見の宴を催し天下に権勢を示したのは逃避行で隠れ家にした後醍醐天皇や源義経とは正反対の立場だが、秀吉は後醍醐天皇や源義経と自分の力の差を世間にみせつけるために吉水院を利用したのかも知れない。
旧吉水院護摩堂の本殿に隣接する書院には後醍醐天皇、源義経、豊臣秀吉らにまつわる多くの文化遺産が所蔵展示され、後醍醐天皇の玉間や源義経が潜居したと伝えられる部屋も見学できる。吉水神社境内から見る中千本・一目千本桜も見事だったが、吉野の歴史を伝える120点以上の重要文化財や秘宝を展示する書院は見ごたえがあった。
吉水神社---http://www.yoshimizu-shrine.com/
日本の旅 関西を歩く 奈良県吉野山の中千本、吉水神社周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10471582/
(写真は吉水神社)
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 近鉄吉野線:吉野駅・・・ロープウェイ吉野駅下車徒歩約15分
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2010/11/17
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