該橋は、明治20年(1887年)1月21日開通の橋梁である。
全長325.1m
初代橋梁は、チャールズ.A.ポーナル(...
続きを読むCharles.A.W.POWNALL)(生没不詳)設計に依る、
英國パテントシャフト(PATENTSHAFT & AXELETREE)社製
錬鐡製下路ダブルワーレントラス構桁 支間63.4m(200ft)×5連
が架橋された。
該橋梁本体は、錬鐡製ピン組構造で、橋台、及び、橋脚は、木曾川、及び、長良川両橋梁と異なり、地盤不良を理由に煉瓦石積構造が採用された。
該橋梁架橋工事は、明治17年(1884年)5月に着工し、翌明治18年(1885年)に神戸方3連が架橋されたが、明治19年(1886年)1月に英國から橋梁鋼材が到着したが、該橋桁2連は折から、日本鐵道利根川橋梁架橋用に転用された事から、残2連が架橋出来ず、新橋方2連に就いては同年末に架橋され、同年12月に全工事が完了した。
然るに、明治24年(1891年)10月28日6時37分頃、該地方を襲った根尾川上流域を震源とする濃尾大震災(のうび だいしんさい)に依り、新橋方橋台は前面側に傾斜、神戸方橋台上部、及び、第2~4橋脚に亀裂被害が発生した。
直ちに復旧工事に着手したが、橋脚に対しては煉瓦の追加内巻積を施工し、該工事は、明治25年(1892年)4月26日に完全復旧した。
新橋梁は、既成橋梁下流側に架橋された。
該構桁は単線様式だったが、橋台は煉瓦積構造ながら複線様式で施工された。
米國アメリカン・ブリッジ(AMERICAN BRIDGE)社製
鋼鐡製下路ピン結合パーカートラス構桁 支間62.5m(200ft)×5連
が架橋された。
因みに、該橋梁構桁は複線型で、従来に於いてポニートラス複線型構桁は六郷川橋梁等々に於いて存在こそしたが、大型橋梁たるパーカートラス複線型構桁は本邦初である。
穂積-大垣間は、明治41年(1908年)4月29日に複線化された。
旧初代橋梁は廃橋になり、内閣鐵道院所管から、大正2年(1913年)に大蔵省資産を経て内務省資産に移管され、道路橋に転用された。
該橋は、昭和63年(1988年)に大垣市に資産移管され、引続き道路橋として使用されたが、平成9年(1997年)に飲酒運転のトラックが該橋梁に激突し、該構桁本体に損傷被害を与えた。
原型修復を施工後、大垣市は軽自動車以上の車両を通行禁止とし、軽車両以下通行可とする人道橋として再生した。
初代橋梁は、我が国鉄道橋梁として原型、且つ、原位置に架橋存在する事から、平成20年(2008年)12月2日附で国指定重要文化財に指定された。
明治末期に架橋された鋼鉄製橋梁5連は、ピン組結合故に経年変化に伴ふ損耗が進行し、保守が困難になった事や、昭和20年(1945年)1月13日発生の三河大地震(みかわ だいじしん)に依り橋脚に亀裂被害が発生し、修復されたものの、戦争終結後、改めてエックス線検査を実施した処、重大瑕疵が発見された事から架替が決定し、昭和36年(1961年)に下流側に新橋梁が架橋された。
新橋梁は、
鋼鉄製下路複線型平行弦ワーレントラス構桁 支間62.0m×5連
が架橋された。
その後、旧橋梁は構桁が転用される事も無く現地に放置されていたが、昭和60年(1985年)撤去され現存せず。
旧揖斐川橋梁(きゅう いびがわ きょうりょう)
安八郡安八町西結無番地
樽見鉄道横屋駅 徒歩8分
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投稿日:2016/06/19