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馬込勘解由の碑

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日本橋

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馬込勘解由の碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11326865

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クチコミ 2ページ目(28件)

  • べったら市の由来

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/12(約9年前)
    • 0

    JR新日本橋駅から昭和通り沿いを少し歩いていくと「馬込勘解由の碑(べったら市の由来)」はあります。徳川家康による江戸城築城...  続きを読むのおり、寳田村が城の拡張により移転のやむなきに至り、譜代の家臣である馬込勘解由が寳田村の鎮守の御本尊を奉安して住民と共に現在地に移転した。この大業を成し遂げた功により、勘解由は江戸の筆頭名主となったようです。  閉じる

    投稿日:2015/12/13

  • 馬込勘解由の大業を讃えて建立された石碑です

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 0

     この地域には、江戸時代、馬込勘解由の屋敷があったところなので、この碑があるのでしょう。
     碑文によると、馬込勘解由は徳...  続きを読む川家康の下で、大業を成し遂げたこと、また、べったら市の名の由来などが刻まれています。
     この碑は、徳川家康公江戸出府401年を祝って、馬込勘解由を讃え建立した。
     とのことです。
     場所は、江戸通りと昭和通りの交差点南側の小津本館ビル (小津和紙) の車道側の植え込みの中にあり、文字が明るいレンガ色なので、分かり易いと思います。
     なお、この近くには、馬込勘解由屋敷跡の説明板も立ててあります。  閉じる

    投稿日:2015/10/30

  • 朱色で碑文が刻まれた石碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/05(約9年前)
    • 0

    JR線の新日本橋からすぐの江戸通りの歩道の植え込み建てられており、朱色の文字で碑文が刻まれているで、すぐに見つけられます。...  続きを読む石碑自体は、現在も10月に開催されているべったら市の由来がこの碑文に刻まれ、伝えられています。日頃こうした行事の由来について知る機会はないですし、時代の経過とともに忘れ去られますが、身近な手段(石碑)で後世へ伝えることの貴重さを感じます。随分前にべったら市は一度来たことがありましたが、露店が百店単位で出店していて凄い賑わいでしたが、その市の歴史が400年以上続いており、その由来やこの地にある寶田神社ができた経緯など、この石碑から知ることができました。、  閉じる

    投稿日:2015/06/09

  • JR新日本橋駅からほど近い場所の昭和通り沿いの歩道脇にあるのがここ「馬込勘解由の碑(べったら市の由来).」。この石碑にオレ...  続きを読むンジ色の文字が刻まれている記念碑などのっ歩道脇をみていたらすぐにわかると思います。この近くには、日本橋七福神の一つである、”宝田恵比寿神社”があるので、日本橋七福神めぐりというか参拝する際に、観たらいかがでしょうか。かつて、江戸名物の浅漬大根が売られており、”べったら買っておくれ”みたいなフレーズからべったら市という名前も。  閉じる

    投稿日:2014/09/27

  • べったら市の由来ともあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/06(約10年前)
    • 0

    馬込勘解由の碑は、べったら市の由来ともあります。
    徳川家康の江戸城築城によって、寳田村は移転させられますが、譜代の家臣で...  続きを読むある馬込勘解由は寳田村の鎮守を伴い、住民と共に現在地に移転します。勘解由は、この功によって江戸の筆頭名主へ。
    べったら市は、寳田神社の市のこと。江戸名物の浅漬大根が売られ、売り子が大根に付いた糀を若い女性の着物に近づけ「ほら べったら べったら 買わないで通ると着物にくっ付くよ」と戯れたことからということです。  閉じる

    投稿日:2014/06/18

  • 赤い文字で刻まれた石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/12(約11年前)
    • 0

    江戸通り沿い、ビルが立ち並ぶ大通りの歩道の片隅に「馬込勘解由の碑」(べったら市の由来)と書かれた石碑が建てられています。
    ...  続きを読む
    光沢のある表面に、赤い文字が刻まれており、この手の石碑としては異例の外観です。
    「小津和紙店」のすぐ前にあるので、わかりやすいと思います。
      閉じる

    投稿日:2014/01/05

  • べったら市の由来のがわかります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/12(約11年前)
    • 0

    江戸通り沿い、小津和紙店の前の歩道の植え込みに建てられています。馬込氏の屋敷には、徳川家康から拝領されたという恵比寿神像が...  続きを読む祀られていたそうです。正月20日と10月20日には大伝馬町の大店で恵比寿講が行われ、その前日に開かれた市が、現在10月に開かれている「べったら市」の始まりだそうです。  閉じる

    投稿日:2013/12/31

  • 馬込勘解由の碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/01(約11年前)
    • 0

    馬込勘解由(まごめかげゆ)とは、Wikipediaによると、日本橋大伝馬町二丁目で代々伝馬役・名主役を務めた馬込家当主が代...  続きを読む々名乗った名前。なのだそうだ。
    そもそも伝馬とは、江戸時代の交通手段。
    江戸時代に五街道が整備され、地方の領主も、通信や輸送のために伝馬の制度を整備したのだそうだ。
    伝馬の制度とは、お正月のマラソン、駅伝のような感じ。
    いくつかの区間で、ランナーが交代しながら目的地まで到達する仕組み。その中継地になるのが「伝馬」。

    日本橋の伝馬町は、大伝馬町と小伝馬町があるのだけれど、
    江戸から五街道を経て、地方へ行く長距離便が大伝馬、
    江戸府内の通信、輸送が小伝馬、と役割が分かれていたのだそうだ。

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    投稿日:2013/01/26

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