斎藤実盛は、初め源義賢に仕えたが、源義朝の家臣となる。義朝は義賢を滅ぼしたが、実盛は義賢の恩を忘れておらず、その子義仲を...
続きを読む中原兼遠のもとに逃した。
実盛は源義朝が滅ぶと、今度は平氏に仕えた。倶利伽羅峠の戦いでは平氏方で戦ったが、大敗すると実盛は大将の平維盛を逃がすため、篠原に布陣した。彼は72歳で白髪になっており、これを最後の戦いと決めていたが、老武者と侮られたくなかったので髪を黒く染めた。
彼は義仲配下の手塚光盛に討たれたが、首を池で洗うと髪が白くなった。義仲は命の恩人を討ち取ってしまったと知り、泣いたと記されている。
石川病院近くに「篠原古戦場」碑が建っているのは、首洗池の遺跡で、平家物語には風情のある話が描かれているが、現地は荒れ果てたただの池である。この周辺が古戦場で、周囲には斎藤実盛にまつわる「実盛塚」「鏡池」などの史跡があるが、歩くにはそれぞれ距離がある。この界隈は加賀温泉バスの本数が少なく、観光用の「キャンバス」は1日乗車券1100円しか料金設定がない。加賀温泉までバスで行き、レンタサイクルを借りるのがいいかもしれない。
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投稿日:2021/08/12