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大阪城 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10603877

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クチコミ 25ページ目(2,030件)

  • 大阪城の石垣を巡る散策 城にある四ケ所ある出入り口の一つ玉造口です、玉造口には徳川時代までは玉造門があったすが火災で焼失し...  続きを読む門の柱となっていた石柱しか残されていない、この場所の見どころは、高石垣とその上に建つ一番櫓の絶妙の風景です、石垣の上まで水面から20Mはあると思えます、緩やかな石垣の見事な斜面には感服します、これだけの石の搬入と組み上げは現在でもお金を出せばすぐに出来るものではないとされています  閉じる

    投稿日:2019/06/13

  • 大阪城の天守閣と石垣をメインに城内を散策、表側の桜門~天守閣の左側~裏側の極楽橋間は天守閣の西側を利用する人が多いが今回は...  続きを読む東側を通って見ました、桜門から右へ進み蓮如上人袈裟懸松跡横からまっすぐ北へ進む下り坂に入ります、ここを雁木坂と呼んでいる、単純なスロープです、右が大阪城梅林、左が高石垣があります、石垣の規模がここでもよく判ります、石垣上にちょっぴり天守閣が見えます、下り終えると極楽橋に着きます、人通りはあまりありません、  閉じる

    投稿日:2019/06/13

  • "蓮如上人袈裟懸けの松"の跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    "蓮如上人袈裟懸けの松"の跡が大阪城に残されています、今までここに来ていた時までは小さな小屋の横に植わっている松の木で若木...  続きを読むなのは三世か四世の松だからと思っていたがこれは関係なし、屋根の下に大きな松の根がありこれを袈裟懸けの松と云うそうです上人がこの松に袈裟懸を懸けたとする伝説だとされています、本願寺第八代蓮如上人の時代はこの大阪城(まだ秀吉の大坂城は出来ていない)に大坂本願寺があったのでこのような出来事もあったろうと思えます  閉じる

    投稿日:2019/06/11

  • 大阪城東南の高石垣上に建つ櫓

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城の東南に建つ隅櫓、この西に同タイプの六番櫓がある、徳川再構築後には一番~七番まての櫓があったそうだが戊辰の役、第二次...  続きを読む大戦の空襲などで焼失し一と六のみ現存している、見どころは櫓よりも石垣、石垣の高さは一と六番櫓で水面から24Mありその上に築かれている、櫓としては大きいがこれだけの高さの上に乗っていると櫓は小さく見えます、この櫓の役目はすぐ東の玉造口からの敵の進入に対処するためでした、  閉じる

    投稿日:2019/06/09

  • 大阪城に残る数少ない櫓の一つ

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城には、一番、六番、千貫、隅、多聞の櫓が現存する。敵が大手口から進入し大手門を突破すると目の前に高さ約15Mの巨大な石...  続きを読むの壁が立ちはだかっている、大手門の直ぐ左にも枡形の巨石がありその上に多聞櫓が建てられている、この櫓の右に折れて続く櫓がありこの二つの櫓で大手口を守っていた様です。大阪城の難攻不落の場所とされていたことが現地の様子から推察されます

      閉じる

    投稿日:2019/06/09

  • 大阪城に出入りできる四つの入り口の一つ

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城に出入りできる四つの入り口の一つ、門がある入口は大手門と青屋門で京橋口と玉造口の門は昭和20年の空襲で焼失して石柱の...  続きを読むみ、後に焼け残った木材で現在の青屋門が再築されています、古材使用なので徳川時代を彷彿させる復元になっているのがすごくうれしいです、今回の大坂城散策は大手門から入りここ青屋門を出て城外に出ました、4年前の散策と異なるのは付近にジョーテラスオオサカなどの商業施設が周辺にできたことからこの門の出入りする観光客が増加していた、


    、  閉じる

    投稿日:2019/06/08

  • 豊臣の大坂城時代から存在していた極楽橋

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    極楽橋の名前は各地に見かけますが豊臣の大坂城時代から存在しており天守閣内の史料コーナーに豊臣時代の極楽橋絵図があり橋の上に...  続きを読む館があるなど豪華な橋だったようです。大阪城内(位置不明)に石山本願寺御堂があったことからこの名前が付けられたとされてい
    いる、御堂は城の南端の大手門付近が推定地となっておりこの橋は城の北端にあるなど解明されていない点が残されている。この橋から極楽往生を祈っていた人があると思えます
    、  閉じる

    投稿日:2019/06/08

  • 大坂城山里丸に集められた残念石

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大坂城山里丸に集められた残念石、大阪城内整備時に城内に散らばっていた石をこの地に集めて展示している、各石には持ち込んだ藩の...  続きを読む刻印が刻まれており苦労してここまで持ち込んだが使われないで放置されていたのが目的は違うが日の目を見る機会を得られた、  閉じる

    投稿日:2019/06/08

  • 大阪城大手門の左横にあり大手口の西側と北側を守る大阪城の最大級の防衛基地であった、大手口に進入した敵を北側から攻撃でき南は...  続きを読む堀なので挟み撃ちにできて優位に立てたと思える、千貫櫓、大手門、多聞櫓、大手見付枡形の巨石と入城する直ぐ観察できるビュボイントである。大阪城の建物はこの付近と天守閣、一番櫓、六番櫓ぐらいで他にありません、  閉じる

    投稿日:2019/06/08

  • 徳川将軍による再構築による大阪城は厖大な石が随所に使われているのが特徴、再構築時各藩に指名して石の供出をさせたことで見事な...  続きを読む石が集められている、大手門を入ったすぐ前が肥後熊本藩が担当した枡形の巨石、熊本から運んだのではなく石は瀬戸内海にある小豆島産、城に使用されている石の運搬もどうして運べたのか未だに正解が見つからないとされている、知りたいですね、  閉じる

    投稿日:2019/06/07

  • 広大な大阪城への入城口の一つ

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城(築城当時は大坂城)の入城口は現在大手門、玉造口、京橋口,青屋門の四ケ所ありますその内で門があるのは大手と青屋の二か...  続きを読む所他は門柱に相当する石のみ、巨大な大阪城なので正門ともいえる大手門はさぞかし豪華な門と思えますが以外に質素です、現在の城は徳川将軍による再構築なのでこの時代は平和だったのでしょう、敵の攻撃はさほど考慮していないみたいです、門よりも正面にある大手口枡形の巨石がここでは注目されます  閉じる

    投稿日:2019/06/07

  • 大阪城を守っていた豊臣家の私邸のあった場所と推定されている、現在この場所には大阪城内のあちこちに残されていた城再構築時未使...  続きを読む用となった石が集められている、この石には持ち込んだ藩の刻印が刻まれている、児童公園程度の広場で周辺は雑草、雑木が生い茂っていますので当時の様子は想像し難いです、天守閣の北側真下になりますので天守閣から徒歩10分程度の距離にあります  閉じる

    投稿日:2019/06/07

  • 大阪城のビューポイントの一つです

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    広大な面積がある大阪城公園で写真として絵になるのが六番櫓、隅櫓ですから城内からでは古い倉庫程度にしか見れませんので最適場所...  続きを読むは外堀の外側南の公園に脊の高い教育搭が目印になります、公園の西南角になる。この位置から六番櫓とお濠、六番櫓と多聞と千貫櫓、六番櫓と長大な石垣風景は素晴らしいです
      閉じる

    投稿日:2019/06/06

  •  瀬戸内海の小豆島にある石切場で大阪城再築用の石として準備していたが使用されないで現地に残っていた石を地元と大坂の青年会議...  続きを読む所の人達で持ち帰り碑用石として利用している、石だから多くは運べなかったのだろうこの標識が示す石のみ、他にどの程度残されていたかなど詳細が判らない状態です、天守閣入り口左側にあります  閉じる

    投稿日:2019/06/06

  • 京橋口を入った正面の巨石

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    徳川将軍によって豊臣大阪城が再建されたているが当時の実物はごくわずかしかない、現在の天守閣は昭和製、当時からの建物には隅櫓...  続きを読む、楼門などがある以外現存していない、昭和20年の空襲でかなりが焼失、しかし石は焼けなかった、城の西北にある京橋口からかいると直ぐ目の前に手を広げたように据えつけられている、表面積54㎡。大阪城では二番目の巨石である、肥後の名前が付いて居るが産地は瀬戸内海の小豆島、搬入担当は備前岡山藩で備後藩とは関係ないとされている、俺の名前を付けろと叫んだものがいるのかもしれない、  閉じる

    投稿日:2019/06/06

  • 大阪城へ入城する入り口の一つ

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城へ入城口として、大手門、玉造口,青屋門、とこの京橋口がある。徳川時代再建当時もこの四ケ所しか無かったようです、この京...  続きを読む橋口は近畿で最大級の河川である淀川にほぼ隣接して船運による資材等の搬入口として利用されていた、京都市の伏見まで宇治川経由で繋がっていたことで人の往来もこの京橋利用が盛んだったらしい、昭和20年の空襲で京橋門も含め付近は灰燼に帰して今は再建時の巨石のみ残されています  閉じる

    投稿日:2019/06/06

  • 大阪城内に伏見櫓があっても違和感がない櫓

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    大阪城内に伏見櫓跡の表示板があった、この伏見とは京都府伏見区に豊臣秀吉が築城した城、徳川時代に入り伏見城は廃城となりその廃...  続きを読む材主として石材が大阪城築城に使われたとする説が多数ある。伏見と大坂城は淀川で繋がっており輸送が安易にできた、伏見城の櫓が大坂城へ移築されたとする説は信頼できるそうです、昭和20年の大阪大空襲で全焼、現在はここにあったとする立札が残されていた、場内の北端、樹木が多い茂っている中にポツンと建てられていた、場所は大阪城京橋口から入り徒歩5分の左側外堀の縁にありますす、  閉じる

    投稿日:2019/06/06

  • 天守閣へは幼少時以来 (・ω・)ノ

    • 4.5
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 0

    初来日の友と、先ずは定番(?)の大阪城へ。
    最寄りの駅からでも、距離にすれば中々歩いたけれど、
    公園内の風景や池、石垣...  続きを読むなどをゆっくり見られた。
    天守閣にはウン十年ぶり。
    ここ数年、海外のお城や要塞を見学することが多かったので、私自身もイイ刺激を受けた。  閉じる

    投稿日:2021/01/25

  • 残念な石

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 0

    大阪城天守閣の前にある残念石の石碑です。江戸幕府の大阪城再築工事の際に集められた各地の石の中でも、石垣に使われずに放置され...  続きを読むた石を残念石と言うようです。天守閣前には横たわるように大きな石が置かれており、まるで力尽きて倒れているようです。  閉じる

    投稿日:2020/03/23

  • 笑い積み

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/05(約5年前)
    • 0

    大阪城大手門にある枡形の巨石ですが、確かに正門の名にふさわしい立派な巨石ばかりですが、この巨石と巨石の隙間を笑い積みという...  続きを読む石積み技術が施されているそうです。笑った口に見えることから名付けられたそうですが、よくわかりません(笑)。興味のある方は是非。  閉じる

    投稿日:2020/03/23

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