能登中居鋳物館
美術館・博物館
3.21
能登中居鋳物館 クチコミ・アクセス・周辺情報
九十九湾・穴水 観光 満足度ランキング 21位
中居鋳物の起源は中世以前、古代にまで遡るのでしょうか。平安末期の「石納釜」、「能登釜」、能登鼎」、鎌倉時代の「能登の国の釜」など文献に現れますが、その産地は明らかではありません。おそらく海を通路として、あるいは陸づたいに鋳物師が往来するなかで鋳物技術が伝播し育まれたのでしょう。 室町時代の「能登利鉄多く大器を鋳る」の大器は、近世の塩釜のような伝統的技術の継承とされ、その生産は、波静かな鋳物原材料のある中居浦と知られています。 長い歴史的変遷の中で、鋳物の生産と消耗が繰り返され廃絶しました。以後、鋳物業から左官の集落へと生活環境も変わりました。現在、祖先の業績を忘れ去らないためにも、鋳物資料を保存継承するのが鋳物館の目的です。 寄託された貴重な鋳物や古文書から、中居鋳物史の再確認を主眼に展示紹介いたします。
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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その歴史がなかなかすごい
- 4.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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能登中居鋳物館は、中居の鋳物の歴史を語るものなんですが、その歴史がなかなかすごい。その起源は中世以前。平安末期の文献にも現... 続きを読むれるほど古いもの。展示説明によれば、ここで造られた鋳物は北前船であちこちに運ばれるなどかなりの隆盛の時期があり、そこから始まって、左官という言葉が生まれたのにも関係しているそうです。
しかし、加賀藩の庇護もあった高岡銅器との競争に敗れて廃れていったようでした。
中居鋳物そのものもありますが、能登半島の位置づけや歴史と言ったことを考えると、意外に京都とのつながりが太かったことや江戸期だと藩の政策に左右されたことなど。違う側面でも興味を惹かれることになりました。 閉じる投稿日:2017/11/15
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能登で盛んだった鋳物の資料館
- 3.5
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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1件目~2件目を表示(全2件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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