江戸時代の東海道は、宮宿から桑名宿までの間を海路で結んでいました。航路の距離が7里あったことから「七里の渡し」と呼ばれてい...
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熱田にあった宮宿の船着場には、犬山城主成瀬正房により建てられた、常夜灯がありました。渡しの廃止後は荒廃していたものを、昭和30年に復元したものが現在の常夜灯です。その後、船着場跡は「宮の渡し公園」として整備されました。
江戸時代の初め頃、南西側は遠浅の海が広がっており、常夜灯は航行する船が目標とするものでした。
現在は、堀川の川岸で、対岸には住宅、工場、倉庫などが見えます。対岸の街は、江戸時代の新田開発による干拓や、埋め立てによってできた土地です。
常夜灯の隣にある、大きな櫓は「時の鐘」で、熱田神宮南門近くにあった蔵福寺にあり、宮宿の人たちに時間を知らせていました。戦災で失われたものを「宮の渡し公園」として整備されたときに復元されたものです。
公園内には、伊勢湾台風について記す掲示板と、周辺の最高水位(当時の水位ではなく、現在の地表面から)の高さを示すポールもあります。
雰囲気は、近所の人たちが散歩に利用している都市公園です。
飲料の自動販売機はありますが、公園周辺にはコンビニもない住宅地です。
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投稿日:2012/09/26