『日本銀行』は、1882年(明治15年)に制定された「日本銀行条例」に基づき設立した中央銀行であり、日本で唯一の流通貨幣を...
続きを読む発行する発券銀行として現在の中央区日本橋箱崎町に位置する「日本橋川」の終点で「隅田川」に合流する場所に架かる「豊海橋」の袂にあった「旧北海道開拓使物産売捌所」を明治政府から借用しての仮店舗として開業しています。
その後の1896年(明治29年)に当時の「大蔵省(現:財務省)」および「大蔵省紙幣寮(現:国立印刷局)」のほか金融機関が集中していた利便性のよい現在の中央区日本橋本石町に移転し、本店として現在では「旧館(本館・2号館・3号館)」、「新館」、「分館」の各建物で構成されています。
『日本銀行』本店において最も古い建築物となる「旧館(本館)」(地上3階・地下1階)は、現在の地に移転した当時の建築物であるとともに国内初の日本人建築家の設計による本格的西洋風石造建築となる国家的な建築プロジェクトとして竣工した日本建築史の中でとても重要な建築物です。
この「旧館(本館)」設計者は、明治期の近代建築の巨匠とされる建築家「辰野金吾」によるもので、建設当時としては最先端の設備となる水洗トイレ、エレベーター(国内での設置は「浅草凌雲閣」に次ぐ2例目)のほかにスチール製サッシ・シャッターなど外国製品が多数採用されています。
また、設計当初に総石造建築として工事着工してから約1年が経過した1891年(明治24年)に岐阜県で発生した日本史上最大の内陸地殻内地震とされる「濃尾地震」の教訓をもとに耐震性を高めるために建物上層階を軽量化する工法に設計変更され、地下から1階までが花崗岩による石造、2階部分をレンガ造・3階部分が穴あきレンガを用いて軽量化を図りながら、2階から上部のレンガ外壁面に安山岩の石板貼りとする工法が採用され建物外観に違和感を感じさせない総石造建築と変わらない重厚な意匠に仕上げ約5年5か月の工事期間を要した末に竣工しています。
竣工後の1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」では、近隣で発生した火災の飛び火により建物中央部分のドーム屋根のほか内装の過半を焼失しましたが、地震の揺れによる大きな損傷はありませんでした。
その他に太平洋戦争末期となる1945年(昭和20年)の「東京大空襲」などでも大きな損傷に見舞われることなく、1974年(昭和49年)になると国の「重要文化財」に指定されています。
今回は、大手町周辺を訪れた際に『日本銀行』前に立ち寄り「旧館(本館)」の外観を写真撮影しましたが、威厳のある重厚な外観は見ごたえがあります。
『日本銀行』本店では、事前予約制による「旧館(本館)」などの解説付き・見学ツアーが開催されているとのことなので、機会があれば見学ツアーに参加して「旧館(本館)」の建物内部や細部などを見て廻りたいと思います・・・
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投稿日:2021/03/15