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貫前神社

寺・神社・教会

富岡・甘楽

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貫前神社 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10001401

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クチコミ 2ページ目(35件)

  • リニューアルしてとっても綺麗でした

    • 4.5
    • 旅行時期:2016/10(約8年前)
    • 0

    本殿・拝殿が数年前に彩色修復され、とても綺麗になっていました。
    上野国の一宮であり、階段を下ってお参りする、とても珍しい...  続きを読む神社です。

    現在の本殿・拝殿・楼門・回廊は徳川家光が造営し、その後徳川綱吉が修復した、国の重要文化財に指定されている貴重な建物です。

    神社仏閣がお好きな方にはお勧めですよ!

      閉じる

    投稿日:2016/10/31

  • 上野国一之宮

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/10(約8年前)
    • 0

    上野国一之宮の貫前神社です。江戸時代に造営された社殿は、総漆塗りの極彩色で、本殿や拝殿、楼門は国の重要文化財に指定されてい...  続きを読むるそうです。是非、見ていただきたいのは、本殿です。2階建ての本殿は初めて見ました。不思議な建築様式です。  閉じる

    投稿日:2016/10/16

  • 上野国一之宮、一之宮貫前神社

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約8年前)
    • 0

    休みを使って群馬、長野の寺社巡りをしてます。最初の訪問はやはり一之宮からですかね。上野国一之宮、一之宮貫前神社にいきました...  続きを読む。高崎で降りて私鉄に揺られること45分、上州一ノ宮駅で下車、徒歩15分ぐらいで着きました。着いて目にしたのは急な登り階段の先に見える鳥居…、結構キツイです。登ってさらに神社入り口の門を抜けると今度は傾斜のある下り階段…。これはかなり珍しい作りになってますな…。本殿は一之宮にしてはこじんまりとしていますが、木々に囲まれた清涼感のある空気が漂ういい神社でした。
    御朱印をもらいましたが、「おおお!」と唸るきれいな筆でした。  閉じる

    投稿日:2016/10/04

  • 上野国一宮です

    • 5.0
    • 旅行時期:2016/06(約8年前)
    • 0

    大きな鳥居があったので、行ってみました。上野国一宮でした。ここは構造が面白く、一番高い所まで石段を上がると大鳥居がありその...  続きを読む正面の総門をくぐると、今度は石段を下って本殿に参拝する形になる。このような神社を「下り宮」というようだ。綱吉によって大修理され、今も豪華絢爛だった。行ってよかったと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/02/14

  • 上野国一宮です。旧社格は国幣中社で、神社本庁の別表神社となっています。この神社は「下り宮」と呼ばれる珍しい造りで、本殿が境...  続きを読む内入り口よりも低い位置にあります。正面参道から石段を上がり、大鳥居・総門をくぐると、石段を下ってから本殿に参拝することとなります。  閉じる

    投稿日:2015/08/26

  • 一宮巡詣~上野

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/10(約10年前)
    • 4

    上野国一宮の貫前神社へ2年振りに参拝しました。
    2年前は、ほとんど人影を見なかった富岡の町ですがスゴイことになっていまし...  続きを読むた・・・・
    さて貫前神社ですが南の道路から階段を上ると赤い大鳥居があります。
    車はこの奥の総門手前の駐車場へとめます。
    境内は正面参道からいったん石段を上がり、総門を潜ったところから石段を下ると社殿があるという珍しい配置です。  閉じる

    投稿日:2014/10/06

  • 平成の大修復を終えて

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/08(約10年前)
    • 0

    富岡製糸場が世界遺産に登録されたことをきっかけに、知名度が高まった群馬県富岡市ですが他の見所として一ノ宮貫前神社はおすすめ...  続きを読むです。大晦日、元旦は参拝客で賑わい、屋台には群馬県ならではの「だるまみくじ」もあります。平成の大修復を経て生まれ変わった貫前神社に足を運んでみてはいかがでしょうか。  閉じる

    投稿日:2014/08/31

  • 心が洗われる

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/06(約10年前)
    • 0

    ぬきさきじんじゃと読みます。
    『一之宮貫前神社』は1400年の歴史を持つそうです。
    この社殿は徳川家光公の命によって建てら...  続きを読むれたそうです。
    荘厳で心が洗われる感じです。
    階段とスロープは急なので気をつけて
    ください。
      閉じる

    投稿日:2014/06/20

  • 富岡にきたなら絶対外せないところです

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/03(約10年前)
    • 0

    富岡の市街地から歩いて一之宮の「ゆかりは古し貫前神社」にやってきました。南側の下の道路からは急な坂が続きます。その坂の上に...  続きを読むは大きな鳥居があり階段が続きます。登りきると今度はくだって下に神社があります。いろいろ周りにも祠などがあり歴史を感じます。  閉じる

    投稿日:2014/03/15

  • 厳粛としてます。

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/05(約11年前)
    • 1

    鶴舞う形の群馬県、日本で最初の富岡製糸、で有名な群馬県富岡市一之宮にある、ゆかりは古し貫前神社に行ってきました。丘の南側の...  続きを読む鳥居のある階段を上っていくとてっぺんから少し北側に降りたところに本殿があります。丘全体が神社の境内といった感じです。厳かで立派な神社です。本殿の裏には杉林があり一本一本がものすごく太くて歴史を感じます。  閉じる

    投稿日:2013/12/10

  • 上野国の一宮

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/01(約11年前)
    • 0

    2013年、新春の初詣にお参りしてきました。
    さすが上野国の一宮の神社です。
    現在の社殿は徳川三代将軍家光の命により一...  続きを読む六三五年に建造され、国の重要文化財に指定されています。
    門を入るとやや下った所に朱色の拝殿があります。
    参拝時は拝殿・本殿の修復工事中であった為、全容を見ることは出来ませんでしたが、本殿は綺麗に彩色が修復されていました。
      閉じる

    投稿日:2014/06/30

  • 一之宮貫前神社

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/01(約11年前)
    • 0

    531年創建の上野国一之宮。経津主命、姫大神を祀っている。綾女谷と呼ばれる渓間を切り開いて建造され、正面参道からは、丘を登...  続きを読むり嶺に出て、それから石段を下っていくという、珍しいつくりになっています。
    神鏡である白銅月宮鑑に、かえるがえがかれていることから、「無事かえる」の御利益のある像が置かれていたり、お守りなどもありました。
    極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されているそうですが、「平成の大修復」中の為見ることができませんでした。  閉じる

    投稿日:2013/02/06

  • ここが上野の国一ノ宮です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/12(約11年前)
    • 2

    上がって降りる神社として有名になりましたが、実は山の中腹にあって山頂方向に向けて作っているからで山頂まで上がった道から階段...  続きを読むで下ります。普通は表にするであろう裏口からは山麓をきちんと上がっていきます。駐車場は山の上の門付近。  閉じる

    投稿日:2012/12/27

  • 上野國一之宮 貫前神社〔神社〕

    • 5.0
    • 旅行時期:2012/08(約12年前)
    • 44

    上野國一之宮 貫前神社(ぬきさき じんじゃ)は、日向國鵜戸神宮、及び、肥後國草部吉見神社と共に、参拝の為に石段を昇らず降る...  続きを読む事で稀有の存在とされ、日本3大降り神社として著名である。


    創建期に関し社伝に拠れば、該社は、毛野國碓氷郡鷺宮に於いて物部姓磯部氏が奉斎し、更に、安閑帝(あんかん てんのう)安閑元年(531年)3月15日に、現在地たる逢ケ丘綾女谷に祭祀奉斎創建とされ、兜、角等々を用い神事執行の神聖な場たる事が、発掘調査の際に該谷尻出土の斎龜胴片辺類に拠り実証されている、
    更に、天武帝(てんむ てんのう)白鳳元年(661年)3月15日に該地遷座との記録を有し、社名ヌキサキとは和名類聚抄にヌキノサなる箇所に抜鉾貫前の地名が存在した事が起源とされる。


    御祭神は、
    経津主神(ふつぬしのかみ)
    比売大神(ひめおおかみ)
    の御3柱である。


    創建初頭、勅使参向に依り祭事が施行され、更に國司赴任時に奉幣参拝一之宮として崇敬された記述が存在する。


    第51代 平城帝(へいぜい てんのう)(宝亀5年(774年)9月25日〜弘仁15年(824年)8月5日)在任中たる大同元年(806年)に毛野國2戸の神封を下賜されたのが嚆矢として朝廷との関係が成立する。
    更に、第54代 仁明帝(にんみょう てんのう)(弘仁元年(810)〜嘉祥3年(850年)5月4日)在位中に、該社に対し御神位を賜与され尊崇を示された。

    従五位下
    承和6年(839年)6月
    正五位下 勲八等
    年代不詳(839年〜859年)
    従四位下
    貞観元年(859年)1月27日
    従四位上
    貞観9年(868年)6月
    正四位下
    貞観18年(876年)4月10日
    正四位上
    元慶2年(878年)10月4日
    従三位 勲七等
    元慶4年(880年)5月25日
    正三位
    寛平3年(891年)8月28日
    従二位 名神大社
    延喜16年(916年)1月28日
    正一位 勲五等
    永仁元年(1293年)以前

    因みに、神位昇進に就いて、従二位より、いきなり正一位に進位したとは考えにくい事であり、然して、此の間に於ける記録が滅失している為に現代に於いて該確認は困難だが、延喜16年から永仁元年に至る377年間中途に於いて、正二位、次いで、従一位と順昇位が在ったと観るのが順当であると推定される。


    該社は古来より式年遷宮の存在で伊勢神宮と共に知られた存在だが、式年遷宮に関する最古の存在は萬寿2年(1025年)に、
    前例ヲ以テ三拾年ヲ限ト為シ造替ス
    なる記述資料が現存するが、然し、30年毎執行制では、造営建築物の朽廃が甚だしい為に、後に、7年毎執行制に改められたが、7年毎では改遷の都度、遷宮資金調達の点で困難が伴ふ事から、安土桃山時代たる天正年間(1573年〜1592年)に現行12年毎造替執行制が定着確立した。


    平安時代晩期に朝廷勢力が衰退し、代りに鎌倉期となり、時代背景として、武家、及び、地方豪族が台頭した時代に於いて、此れらの勢力から格別の崇敬を受ける。

    藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)(生没不詳・平安初期)
    源 頼義(みなもとの よりよし)(永延2年(988年)〜承保2年(1075年)8月27日
    源 義家(みなもとの よしいえ)(長暦3年(1039年)〜嘉承元年1106年)8月4日
    新田義貞(にった よしさだ)(正安3年(1301年)?〜建武5年(1338年)8月17日
    足利尊氏(あしかが たかうじ)(嘉元3年(1305年)8月18日〜延文3年(1358年)6月7日


    文永の役(ぶんえいのえき)(文永11年(1274年)11月4日〜19日)で元高麗連合軍が我が国領土たる北九州一部地域侵攻に驚愕させられた鎌倉幕府、及び、朝廷は、元に対する戦勝祈願、及び、敵國降伏の為に、該社と共に、武蔵國氷川神社、伊豆國三島大社、駿河國富士浅間神社、若狭國若狭彦神社、美作國中山神社、及び、肥後國阿蘇神社に対し、該祈願一之宮として選定された。


    徳川宗家は、崇敬と武威を天下に示す一環として全国の有力社寺修復に貢献したが、該社は朱印状に依り176石8斗が保障されたが、第3代将軍 徳川家光(とくがわ いえみつ)(慶長9年(1604年)8月12日〜慶安4年(1651年)6月8日)が、寛永12年(1635年)に大規模な造改築を実施し、更に、第5代将軍 徳川綱吉(とくがわ つなよし)(正保3年(1646年)2月23日〜宝永6年(1706年)2月19日)が腐朽修理を目的に元禄11年(1698年)に大修理を実施した。

    即ち、該神社は、江戸初期に於ける総漆塗精巧華麗な建造物群であり、江戸期初期に於ける駿河國駿府浅間神社→久能山東照宮→日光東照宮へと発展過程の建築美術であり、貫前造(にきさし つくり)と称する特異たる存在である。


    第15代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)公(天保8年(1837年)10月28日〜大正2年(1913年)11月22日)が朝廷に対し版籍奉還され京都朝廷が新政府を樹立したのは慶應4年(1868年)6月16日であり、元号も明治と代わり王政復古の大号令が発せられた。

    明治新政府は該政治理念とされた平安期延喜式の原点に立ち戻るべく、 抜鉾 の神号を現在の 貫前 に変更を求められたのを嚆矢に、それ迄は神仏習合体で現在の東門が神宮寺正門だった事は該神社に対する鎮護たる存在だった事を証明するものであり、該神社は新政府に存在した一部狂信的一派に依る廃仏毀釈に拠り混迷させられる。

    該神社内の神宮寺は不要施設として看做され解体され、該寺所蔵仏像群は薪の代用品として大部分は焼毀され、残りは外国人商人にタダ同然で処分された。
    経蔵保管の鎌倉期以降奉納の経巻群は、同年9月に、前触れも無く岩鼻縣在住の港屋弥六なる人物が突然来訪し、全経巻を搬出し高田川河畔に於いて焼却するの暴挙に出たが、此の港屋弥六、名前から判断して士族などでは無く、たかだか一介の町人、乃至はソレ以下の身分階層ふぜいであり、ナラズ者だった公算が高いが、単なる無学軽薄なお騒がせ屋な与太者が、新政府の仏教否定を歪曲解釈をカサに暴挙に出た混迷を極めた当時の時代世相が垣間見られる。
    該経巻一式が現存しておれば国宝、若しくは、国指定重要文化財指定を受けたものと推定される。


    明治4年(1871年)5月14日 國幣中社指定



    上野國一之宮 貫前神社(ぬきさき じんじゃ)
    富岡市一ノ宮1535
    ?: 0274−62−2009
    上信電鉄上州一ノ宮駅 徒歩12分
    http://nukisaki.kazelog.jp/blog/
    http://www.nukisaki.or.jp/keidai.htm  閉じる

    投稿日:2008/11/24

  • 参道を下る神社です。

    • 3.5
    • 旅行時期:2010/02(約14年前)
    • 1

    ミステリーツアーで行きました。富岡製糸工場見学後、初めて聞いた一之宮貫前(ぬきさき)神社は、参道の階段を下っていく神社でし...  続きを読むた。歴史ある神社のようで、太く大きな朱色の鳥居も印象に残っています。有料の宝物館もありましたが見ずに終わりました。
    イチゴ狩りも体験、楽しいミステリーツアーでした。  閉じる

    投稿日:2012/02/18

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