赤松院のクチコミ
19件-
高野山奥の院近くにある宿坊で、静かで落ち着いている。今回の部屋は、明徳殿(新館)3階だったので、和室の小部屋で、トイレ、シャワー、金庫付。共同の浴場もあり、不自由はない。日本庭園があるが、今回の部屋は反対側なので、眺望なし。新しく、きれいに掃除されている。ホテルなら当たり前だが、在室時に内側から、外出時に外から鍵がかけられる。(宿坊によっては、外鍵や金庫がないところもある。)アメニティは、タオル、バスタオル、歯ブラシが付いているだけ。宿坊としては設備が整っている方だと思う。食事は食堂で食べるが、大きな部屋なので肌寒い。料理は精進料理で、おいしい。
-
人生初の宿坊宿泊。
勿論朝夕のご飯は精進料理ですが、他と比較できないので、良さはわかりませんが、お酒(ビール)は飲めます。館内にビールやチューハイの自動販売機もあります。
ここは部屋から眺める庭園が立派で、外国人も多く散歩していました。
朝のお勤めは7時~30分くらい、椅子に座ってのお参りです。 -
きちんと鍵のかかる宿坊です。
部屋はキレイにされています。
風呂は4人位と6人位入れるものが男女各1ずつあり、夜9時まで使えます。
部家にバスタオルや作務衣?もあり。
部屋によってはバストイレ付きやシャワー付きもあり。
食事は言うまでもなく精進料理。 -
旅行前にいろいろなサイトで調べてみると評判が悪いことが多かったので正直心配していました。中には売り言葉に買い言葉で、ここは本当に宿坊だろうかと思うコメントもありました。ところが到着してみると宿坊としての宗教施設の部分は時代のある寺院ですが、宿泊した建物は室内が完全にリニュアルされていてとても快適に滞在できました。部屋の扉を開けた瞬間に新しい畳の香りがします。すでに敷かれてある布団もふかふかです。冷蔵庫はありませんがガラス窓と障子戸の間にスペースがあるので、そこに置けば冷えました。(季節に寄ります。)部屋にはエアコンと暖房機があるので少し暑いくらいでした。また部屋の奥にはこたつもありました。トイレも最新式のようなウォシュレットと洗面台も新しいものでした。バスタブはありませんが、真新しいシャワーブースが設けられています。お湯も豊富に出るのでストレスありません。別に1階に浴室があり、午後9時過ぎまでは利用することが出来ます。その日の男女の比率で大きい風呂を女性が使ったり、小さい方を使ったりするようです。朝は部屋のシャワーになります。食事は1階の大広間で精進料理をいただきますが、宿坊ですので期待はしない方が良いと思います。胡麻豆腐や高野豆腐やがんもが美味しかったです。お酒は麦般若(ビール)と般若(日本酒)がそれぞれ700円でした。飲み物の自動販売機もあります。町内に1つしか無いコンビニまでは歩いて15分ほどかかります。奥の院の入り口に近いので、朝は散歩するのをお勧めします。ツアーの場合は途中からしか参拝しないので、武田信玄や上杉謙信や明智光秀のお墓を見ることは出来ないからです。ここからであれば往復40分くらいで見に行くことが出来ます。
-
赤松院を出て左にいくと、すぐ奥の院参道の一の橋です。早起きすればもう一度奥の院参道に行くことも可能。部屋にトイレとお風呂がついている和室に宿泊しました。高野山は11月はもう寒くなる時期ですが部屋には炬燵が用意されていて不便感じなかったです。
-
このような所を選んで泊まったことがなかったのでとても新鮮でした
又海外の方もいらっしゃることに驚きでした
私たちは6時半ぐらいから 朝のお勤めに参加いたしました
たまたま私たちが行きました日は春なのに冬になってしまいとても寒く
日本家屋のなんと寒いこと
-
高野山に数多ある寺院の中で、赤い門を有する数少ないお寺です。門の両側には大迫力の像があり、遠くからも目を引かれたので立ち寄ってみました。境内はさほど広くありませんでしたが、上段の間には左甚五郎作の木彫りの虎なども所蔵するお寺で、なかなか興味深いものを感じました。
-
高野山のメインストリートに面してあります。黄色い看板に黒い文字と赤い文字で赤松院と書いてありすぐにわかります。正面から見ると2F部分しか見えないのですが、近づくと1F部分が地下部分に見えてくるという地形を利用した構造になっていることがわかりました。高野山でも珍しい構造のお寺です。
-
世界遺産の高野山に行ってみた。 泊まりは「赤松院」の宿坊。 世界遺産になってから世界的に知れ渡ったせいか混んでいた。 料理は、もちろん精進料理だった。 これも、さっぱりしていていいもんだ。 まさに日本の健康食。
外人が何組か宿泊していた。 その中に、ロシア風の若いカップルも宿泊していた。 パートナーは、なかなかの美人だった。 ロシア美人を見ると、いつも、秋田美人を思い出す。 どちらとも、顔かたちが似たところがあるように感じる。 何か、ロシア人と秋田人とアイヌ人がつながっている気がする。 私の勝手な推測ですが、アイヌ人のご祖先様は、もともとサハリン経由でロシア方面と交易をしていた。 一方、歴史が下りその後の北海道のアイヌ人は、和人とも交易をしていた。 日本海側の青森、秋田、さらに能登方面にまで行き来して交易をしていたらしい。 その時代に、アイヌ人が秋田などの港に寄っていることが分かっています。 当然、人と人との関係ができた。 そんなわけで、秋田美人には、ロシア系、アイヌ系、の血が流れた。 その顕性遺伝(優性)で、アイヌ系ロシア系秋田美人が生まれた。 そう勝手に思っています。 多分間違っているでしょうが、このように想像しています。 そういえば、北海道の枝幸町を旅行したとき、とある町の若い美人がいっていました。 「アイヌ人と和人の間には、美人が生まれる」と。 そういえば、元々アイヌ人が生活していた、青森、岩手、秋田、山形、新潟などには、美人が多い気がします。
話がそれましたが、お寺の入口に大きな駐車場があります。 観光バス2台が駐車していた。 観光客が多数来ているようだ。 お寺の指示により、宿坊の奥の受付前に駐車した。 本館と新館があり、われらは新館に宿泊した。 この宿坊は、中庭に大きな庭園が広がっていて部屋から見るとなかなか良い風景です。 お寺は、大きいので内部は、迷路のように延びています。 迷子になりそうです。 雰囲気は、お坊さん気分でいっぱい。 厳粛な感じで ”締まります”。 歴史とともに古いお寺ですがエレベータがあった。 暖房は、外気式の石油ストーブです。 冷房がない代わりに扇風機 ”冷房” です。 真夏は、暑そう。
毎朝、勤行があります。 希望者は、自由参加の形でした。 型どおりのお経、焼香、と事は進んでいきます。 正座しようと思ったら普段やっていないので難しくできなかった。 無理すると骨折しそうな感じでした。 しかし、朝の勤行参加には、椅子もありましたので利用。 外人さんも正座しようとしますが、やっぱり無理でした。 やはり足が ”折れません”。 即座に、後ろの日本人観光客が椅子を貸していました。 その他の外人さんも参加し始めましたが、椅子がいっぱいで畳に座ろうとするも座れず、椅子席の日本人が自分の椅子を差し出す場面もあった。 お寺のスタッフとして外人の修業僧が向こう側にいた。 外人観光客の応対を担当。 いい感じの連携プレーができあがっていた。 もう高野山は、国際的です。
高野山は、狭いながらも、お寺が密集していて、高野山観光は、駐車場探しに苦労します。 金剛峰寺の前には、広い無料の駐車場があり利用できる。 そこに駐車して、ゆっくりと山の上に展開する「高野山の空海テーマパーク」を堪能できる。
今回、和歌山の白浜を出発して赤松院まで来ましたが、途中、山中にある「道の駅 龍神」でハプニングが起きた。 車から降りたとき、スラックスのチャックが壊れ、困った。 こればっかりは、ななんともできません。 完全に壊れた。 けだし、今回の旅では、なぜか、もう一本スラックスをもってきてあった。 即交換。 これ幸いでした。 ひと安心したところで、食事してから赤松院へ向かった。 チャックが閉まらなくなった ”シマラナイ” お話でした。 お粗末さま。
教訓。 「旅には新しいものを着て行け」 「新しいものを履いて行け」でした。 -
高野山観光は初めてだったので、この機会に寺院が経営する宿坊体験をしたいと考え、この宿に泊まりました。通された部屋は、庭園に面しており、池に吹き上がる噴水の音が聞こえました。
部屋を出るときは、引き戸に施錠ができるようになっていましたが、キーを入れても固定金具がぐらぐらしていてなかなか施錠できず、苦労しました。
朝には6時半に始まる真言密教の勤行があるので参加しました。お坊さんが現れたのは定時よりも10分後でした。読経が始まると、11面観音を祀る中央部祭壇、東北大震災の犠牲者の霊前、弘法大師の祭壇など巡り、順番にお焼香をしました。勤行が終了したのは、約30分後でした。
その後、畳敷きの大広間で精進料理を頂きましたが、総数70-80人程でした。その中で約7割が外国人でした。膝を折るのが苦手な外国人や老人には、丈の低い座椅子が用意されていました。
朝食が終わると、その日は奈良に移動する用事があったので、7時半頃に早々とチェックアウトしました。
1件目~10件目を表示(全19件中)
和歌山のホテル 最新情報
4.1

森トラストグループが運営するホテルをベストレートでかんたんに予約ができる公式アプリ。泊まるたびにスタンプが貯まるスタンプカードで、いつもの旅をおトクに楽しもう! もっと見る

