2017/04/17 - 2017/04/17
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ペコちゃんさん
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国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」を観てきました。
モラヴィア(現在のチェコ)で生まれたアルフォンス・ミュシャ(1860~ 1939)は、アール・ヌーボー様式のポスター作家であり画家です。
今回の「ミュシャ展」の目玉は、ミュシャ晩年の超大作「スラヴ叙事詩」で、全20作品がチェコ以外の国で公開されるのは、世界初との事です。
10年ほど前、プラハを旅行した時に訪れた「ミュシャ美術館」で、女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」など、アールヌーボーの美しい女性を描くミュシャの世界を楽しんだことや、聖ヴィート教会の壮麗なステンドグラスを思い出しながら出かけました。
今回の「スラヴ叙事詩」は、それらの作品とは違い、一言で言うとチェコなどスラヴ民族の歴史を描いた壮大な作品で、また、一枚の絵が6m×8mもあるような大作の作品群です。
ミュシャは、この「スラヴ叙事詩」全編を通じて、スラヴ人の民族意識高揚だけでなく、戦争の虚しさ、平和への希求を強く絵画の中で表現しています。
スメタナの交響詩『わが祖国』や、ドヴォルザークの『スラヴ舞曲集』など、音楽にも何か郷愁めいた懐かしさを感じて惹かれるチェコに、また行ってみたくなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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都営大江戸線・六本木駅で降りて、チケットショップでチケットを購入。
美術館のチケット売り場は、結構並ぶと聞いていたので、安くて(1600円⇒1560円)早くて正解でした。 -
防衛庁跡地の東京ミッドタウンの近くにある「天祖神社」の桜。
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これは、サトザクラの「フクロクジュ」。
「港七福神めぐり」で福禄寿を祀っている関係でしょうか? -
モダンなガラス張りの国立新美術館が見えてきました。
この美術館に来るのは、初めてです。 -
門を入った所にある「ミュシャ展」の看板。
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「ミュシャ展」だけでなく「草間彌生展」も開催されているせいか、チケット売り場には長蛇の列が・・・先にチケットを買っていて、良かった!
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美術館前の庭園には、美しい「久留米ツツジ」が咲いています。
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私達はチケットがあるので、列を横目に入場ゲートへ。
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国立新美術館は黒川紀章の設計で、2007年に開館・・・日本で5館目の国立美術館で、延床面積は日本最大。
この美術館はコレクションを持たず、多彩な展覧会を開催しています。
今回の「ミュシャ展」は、国立新美術館開館10周年の記念事業として開催されました。 -
ケヤキに巻かれた草間彌生カラーも、モダンな建物にマッチしている感じ。
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建物に入り・・・
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エスカレーターで2階へ。
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波打つガラス壁で館内は明るく、幻想的な空間を演出しています。
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建物内にはB1階から3階までの各階に、カフェやレストランがあります。
これは、2階から見た1階のカフェ。 -
2階の左手の奥にある企画展示室(2E)がミュシャ展の会場。
会場の前のガラス壁に、実物大(4.05m×4.8m)のミュシャの絵をプリントした幕が掲示されています。 -
この入り口を入ってすぐの場所で、音声ガイドのレンタルがあります。
全28件のガイドで、解説時間は約35分・・・勿論、レンタルして楽しむことにしました。(520円) -
展示会場は、「スラヴ叙事詩」の展示を中心に、ミュシャが制作したポスター・素描・彫刻などが小会場に展示されています。
小会場の展示品の大半は、「カメラのドイ」の創業者・土居君雄が収集したミュシャのコレクション。
土居のコレクションは、遺族により大阪府堺市に寄贈され、「アルフォンス・ミュシャ館」の所蔵品になっています。
今回の「ミュシャ展」は、「スラヴ叙事詩」全20作品が集まるだけでも凄い展示ですが、更に凄いのは、撮影可能なエリア・作品があることです。 -
モラヴィア近郊の村に生まれたアルフォンス・ミュシャ(チェコ語では「ムハ」と発音)は、ウィーンやミュンヘンで数年間絵画の基礎を勉強した後、27歳でパリへ。
なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功を収めます。
ポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。
その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた渾身の作品『スラヴ叙事詩』(1912-26年)です。
全20枚の作品は、テンペラ技法でカンヴァスに描かれ、2012年からはプラハ国立美術館のヴェレトゥルジュニー宮殿で展示されています。
(以下の1~14・16の写真はHPより) -
1.【 原故郷のスラヴ民族 】(トゥーラニア族の鞭とゴート族の剣の間に)1912年作 6.1×8.1m
展示室に足を踏み入れると同時に、目の前に迫るこの作品で、一気にミュシャの世界に引き込まれます。
カンヴァスに浮かぶのは、両手を広げて平和を請う多神教の祭司、平和を象徴する緑葉の冠をつけた少女、剣を携える兵士。その背後に、村を焼かれて逃げ延びた2人のスラヴ人の姿と、略奪者の群れが描かれています。
紀元3~6世紀頃、迫害を受け襲撃に晒されていた温厚なスラヴ民族の闘いと、平和な未来への願いが表現された、「スラヴ叙事詩」の中でも特に傑作といわれる作品・・・この青の美しさには圧倒されました。 -
左下に描かれた、異民族の襲撃から身を隠すスラブ人男性と女性。
女性の握った道具は、武器ではなく麦を刈る鎌、服は平和を意味する白色、そして敵と戦うより逃げる態度で、ミュシャが昔のスラブ人の平穏な生き方を主張していることが分かります。
2人の、目を見開いた表情が忘れられない一枚でした。
因みに叙事詩とは、歴史事象、伝承、英雄伝などを物語る長編の韻文作品のことですが、神話・伝承の世界はこの最初の作品だけで、他の作品は歴史上の事件が題材になっています。 -
2.【 ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭 】(神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある) 1912年作 6.1×8.1m
バルト海沿岸にあるルヤーナ島(現在はリューゲン島:ドイツ最大の島)は、7世紀にスラヴ人が移住し、大地の収穫の神・スヴァントヴィートを祀る大きな祝祭が開催されていました。
しかし、1168年にデンマーク王・ヴァルデマールがこの地を領土とし、終止符が打たれます。 -
3.【 スラヴ式典礼の導入 】(汝の母国語で主をたたえよ) 1912年作 6.1×8.1m
9世紀にモラヴィアの要塞だったヴェレフラード城の中庭で、王に宗教儀式でスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面を描いています。
スラヴ人の団結を象徴する輪を掲げた、まっすぐ前を見据える青年の表情が深く印象に残ります。 -
4.【 ブルガリア皇帝シメオン1世 】(スラヴ文学の明けの明星) 1923年作 4.05×4.8m
「スラヴ叙事詩」のテーマはスラヴ民族全体の歴史なので、チェコだけでなくハンガリー、ポーランド、ブルガリア、セルビア、ロシアなどの人物や風景も登場します。
ブルガリア皇帝・シメオン1世(在位:893~927年)はスラヴ語を公用語とし、また高名な学者を集め、ビザンチンの文献をスラヴ語に翻訳させました。 -
5.【 ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 】(スラヴ王族の統一) 1924年作 4.05×4.8m
ボヘミア王・オタカル2世(在位:1253~1278年)の姪とハンガリー王子・ベーラの婚礼の様子が描かれています。
オタカル2世は有能な支配者で、スラヴの連合を理念に掲げ、ロシアやポーランド、セルビアなどスラヴ民族の支配者や王侯貴族を招いて婚礼式典を開催しました。 -
6.【 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン 】(スラヴ法典) 1923年作 4.05×4.8m
ビザンチン帝国衰退期にスラヴ民族の領土を南方へ拡げたセルビア王・ドゥシャン(在位:1331~1355年)は、自らを東ローマ皇帝と宣言し、スコピエの聖マルコ聖堂で即位しました。 -
7.【 クロムニェジージュのヤン・ミリーチ 】(「言葉の魔力」 ― 娼館を修道院に改装する) 1916年作 6.2×4.05m
上段で説教する14世紀の聖職者・ミリーチは、ヤン・フスに大きな影響を与えた宗教改革の先駆者でした。
街頭で説教し、贖宥状を批判する一方で、プラハの売春婦たちに生き方を悔い改めるよう説き、売春宿を取り壊して「新エルサレム」という名の修道院を設立した人物です。
女性たちの白いドレスが、この先の自分達の生き方に対する強い意志の表れのようで、心に残りました。 -
8.【 グルンヴァルトの戦いの後 】(北スラヴ民族の連帯) 1924年作 4.05×6.1m
1410年、バルト沿岸地域へ勢力を拡大しつつあったドイツ騎士団とポーランド王国・リトアニア大公国の間で戦われた中世ヨーロッパ最大の戦い「グルンヴァルトの戦い」の絵。
戦闘シーンでなく戦闘後に傷つき倒れた人々が横たわる戦場を描くことで、同じキリスト教国同士で争う戦争の虚しさを訴えています。 -
9.【 ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師 】(「言葉の魔力」 - 真理は打ち勝つ) 1916年作 6.1×8.1m
宗教改革の先駆けとなったヤン・フスが、ベツレヘム礼拝堂で最後の説教を行う様子が描かれています。
巨大なカンヴァスの前に立つと、自分も礼拝堂の群衆に混じってその場に居合わせているような錯覚を覚えます。
左の少し高い位置から身を乗り出しているのがフスで、右に描かれた天幕の下にはヴァーツラフ4世王妃・ソフィアが描かれています。 -
10.【 クジーシュキでの集会 】(「言葉の魔力」 - ウトラキスト派) 1916年作 6.2×4.05m
1415年にヤン・フスが火刑に処せられた後、チェコ改革派の指導者となったピルゼンの改革派司祭ヴァーツラフ・コランダがクジーシュキで説教をする場面・・・信仰を守るためには武器も必要と説いて、フス派改革運動からフス戦争へと移行していきます。 -
11.【 ヴィートコフ山の戦いの後 】(神は力ではなく、真理を体現する) 1923年作 4.05×4.8m
フス戦争が始まると、神聖ローマ皇帝・ジグムントはプラハを占領。
ターボル派(フス派の義勇兵)がプラハ市民を助けるために駆けつけ、ヴィートコフ山を要塞化して攻撃したことにより、皇帝が率いる十字軍を撤退させます。 -
12.【 ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー 】(悪に悪で報いるな) 1918年作 4.05×6.1m
フス戦争の時代、ヴォドニャヌイは熾烈な戦いの場となりました。
怒りに満ち、悲しみにくれる住民たちは、司祭で偉大な哲学者でもあったヘルチツキーに救いを求めます。
司祭は聖書を手に、復讐しないよう彼らを諭しました。 -
13.【 フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー 】(権威を求める争い ― 民主政の国王イジーと神政のローマ) 1923年作 4.05×4.8m
1430年、神聖ローマ帝国はボヘミアへの十字軍派遣をやめ、フス派の要求を認めます。
1458年にボヘミアの貴族が、ポジェブラディのイジーを議会選出によってボヘミア国王に選出したことは、分裂したフス派信徒たちを結束させる好機となりました。
右側に堂々と立っているのが、国民からも議会からも絶大なる人気を誇った王・イジーです。
イジーはこれまでの王と違い、カトリック教会と一種の協定を結び、フス教徒とカトリックの長い戦争に終止符を打つ事に成功しました。 -
14.【 二コラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛 】(キリスト教世界の盾) 1914年作 6.1×8.1m
1566年、クロアチア総督のズリンスキーは、ハンガリーのシゲットヴァールでオスマントルコ軍の侵攻に立ち向かいます。
要塞がトルコ軍に攻囲された時、ズリンスキー総督の妻が火薬塔に火を放ったために荒れ狂う火の様子が描かれ、手前の異様な黒煙がシゲット防衛軍全滅の悲劇を暗示しています。
絵の右側の中段より少し上で、両手を広げて立っているのがズリンスキーで、平和主義者・ミュシャが「スラヴ叙事詩」の中で、唯一描いた戦闘シーンの絵画です。 -
16.【 ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々 】(希望の明滅) 1918年作 4.05×6.2m
1620年に改革派が敗北を喫したことにより、プロテスタント教徒たちは亡命を余儀なくされます。
その中にはボヘミア兄弟団教会の指導者・コメンスキーもいました。
この絵は、亡命先のアムステルダム近郊・ナーデルの海岸で、祖国を思いながら終わりの時を迎えようとしているコメンスキーを描いています。 -
大勢の入場者をかき分けながら、15点の作品を観た後は、撮影可能エリアで残りの5点を鑑賞・・・皆さん、カメラやスマホでパチリ、パチリ。
場内は混んでいても、大きな作品なので絵全体は良く見えます。 -
15.【 イヴァンチツェの兄弟団学校 】(クラリツェ聖書の印刷) 1914年作 6.1×8.1m
ミュシャの故郷モラヴィア地方・イヴァンチツェが舞台の作品です。
15世紀にチェコの宗教改革運動を主導したボヘミア兄弟団は、イヴァンチツェを活動拠点とし、この地に開いた学校でチェコ語に翻訳した聖書の印刷を行いました。
この絵には、イヴァンチツェの城壁を背にした校庭で、聖書の発刷りを確認する人々の様子が描かれています。 -
左下には、盲目の老人に聖書を読み聞かせる少年が、こちらを見つめています。
この少年は、若き日のミュシャ自身がモデルだそうです。 -
17.【 聖アトス山 】(正教会のヴァティカン) 1926年作 4.05×4.8m
アトス山は、ギリシアとトルコの国境近くのエーゲ海につき出た半島にある2,033mの山で、聖母マリアがここで亡くなったとされるギリシア正教の聖地です。
ミュシャは、聖母マリアとキリストのモザイク画で飾られたアトス山の教会を舞台としながら、画面の上半分を天上界、下半分を地上界として表現しました。
天上界には、アトス山の4つのスラヴ系修道院の模型を持つ天使たちが浮かんでいます。 -
一方、地上界では、ロシアからの巡礼者たちが床に接吻したり、祈りを捧げる様子が描かれています。
左下には、礼拝を終えた年老いた巡礼者を支える若者が。 -
18.【 スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い 】(スラヴ民族復興) 1926年作(未完成) 3.9×5.9m
1870年代にチェコの青年たちによって結成されたオムラジナ会は、その愛国主義的な活動により20世紀初頭に弾圧を受けましたが、ミュシャは彼らの精神に共感を覚え、主題に選びました。 -
画面では、オムラジナ会の少年や若者たちが輪をなし、背景の菩提樹の上にスラヴ民族の自由を守護する女神・スラヴィアが座っています。
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右側で横を向く少年は、ミュシャの息子・イジーがモデルとなっています。
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左側でハープを弾く少女は、ミュシャの娘・ヤロスラヴァ。
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1928年に開催されたスラヴ叙事詩展覧会では、同じポーズのポスターが作られています。
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19.【ロシアの農奴制廃止】(自由な労働は国家の礎) 1914年作 6.1×8.1m
ロシアでは、他のヨーロッパ諸国よりはるかに遅れて1861年に農奴制が廃止され、農民が領主の支配から解放されました。
画面では、モスクワの聖ワシリー大聖堂に面する「赤の広場」で自由を告げられた農民たちが、その意味を測りかねるかのように、呆然と佇んでいます。 -
ミュシャは、印象派を思わせる霞んだ空や大気の描き方によって、凍てつくモスクワの冬の寒さを見事に表現しました。
背景に描かれているクレムリン宮殿には靄がかかる中、手前の人々は明瞭に描かれています。 -
20.【 スラヴ民族の賛歌 】(スラヴ民族は人類のために) 1926年作 4.8×4.05m
「スラヴ叙事詩」の最後を飾るこの作品には、民族自決を求めたスラヴ人の闘いの歴史が4つの色で表現されています。
右下の青い部分は神話的な時代、左上の赤い部分は中世のフス戦争とスラヴ民族の勢力拡大、その下の黒い人影は他国の支配を受けた抑圧の時代、そして中央の黄色に彩られた人々は1918年のチェコスロヴァキアの独立により達成された自由・平和・友愛の勝利を意味します。 -
画面上部の筋骨たくましい青年は、チェコスロヴァキアのほか、第一次世界大戦後に独立を遂げた民族国家を象徴し、大きく広げた両手に自由と調和を意味する花輪を持っています。
民族を讃える作品でありながら、昨今の民族主義のような排他的な思想ではなく、圧政に立ち向かったスラヴの精神を世界に広めたい、というミュシャの想いが伺えます。 -
「スラヴ叙事詩」の作品群は、絵の大きさだけでなく、構図や多彩な技術、色調など、どれも素晴らしいもので、ポスターなどアール・ヌーヴォーのミュシャとは全く違う魅力を堪能しました。
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出口にあるショップは、レジ待ちの人で長蛇の列。
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これは昨年12月に、プラハに行った時のお土産。
http://4travel.jp/travelogue/11197495
右側は、連作「四芸術」の「ダンス」をデザインしたキャンディボックス。
左側は、「ヒヤシンス姫」のマグネット・・・この絵は、バレー・パントマイムの舞台『ヒヤシンス姫』の宣伝用ポスター作品。 -
最後に、地下1階のミュージアムショップを覗いて、国立新美術館を後にしました。
これまで、国内外の多くの美術館を見てきましたが、今回の展示は深く記憶に刻まれるものになると思います。
「ミュシャ展」は6/5(月)までなので、皆様も是非、見に行く事をお勧めします。
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