2017/04/10 - 2017/04/10
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ペコちゃんさん
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全国各地に桜の名所がありますが、埼玉県西部の狭山市にも、美しい桜の見どころがあります。
その中で、公園やお寺の桜をいくつかご案内します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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【稲荷山公園】・・・狭山・入間市民の花見といえば、この公園です。
西武池袋線の稲荷山公園駅を降りると、目の前に見事な桜が咲き誇っています。 -
公園の正式名称は「県営狭山稲荷山公園」。
公園に隣接する航空自衛隊・入間基地は、戦後、米軍が接収して「ジョンソン基地」となり、「ハイドパーク」と呼ばれたこの公園は米国風に整備され、米軍関係者の住居地となりました。
昭和48年までに、この公園も含めて大部分が日本に返還され、桜の名所として市民から親しまれています。 -
3月下旬から4月上旬にかけて、ソメイヨシノや八重桜など、約300本の桜が見頃となり、毎年、大勢の人がお花見に来園します。
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正門から続く園内道路も桜に包まれています。
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桜のトンネル。
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広大な稲荷山公園の面積は16.5ha。
芝生広場の周りは、アカマツ・コナラ等の樹木も多く、緑の拠点になっています。 -
大正元年(1912年)に陸軍大演習がこの地で行われ、大正天皇が川越から電車で入間川駅(今の狭山市駅)にご到着になり、駅から稲荷山まで騎馬で向かわれたそうです。
大正天皇の行幸を機に稲荷山を記念公薗とすることになり、大正3年に稲荷山公園が完成してツツジやサクラが植えられ、大正から昭和にかけて園内の施設も整備されました。 -
一緒に花見を楽しんだ仲間の皆さんも楽しそう。
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公園左側の狭山市立博物館の近くに100台分の無料駐車場がありますが、桜の時期には公園右端にも臨時駐車場が用意されます。
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臨時駐車場の北側斜面には、カタクリの群生地があります。
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ここは「稲荷山・かたくりの会」の皆さんが、カタクリの保護や自生地の整備とPR活動を行い、市街地にある美しい花を守っています。
花見の後は、「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と呼ばれるカタクリの可憐な花も楽しんで下さい。 -
【奥富公園】・・・奥富環境センター(清掃工場)脇の入間川河川敷にある奥富公園です。
路上には、桜を楽しむ(?)ネコちゃんが・・・ -
桜も綺麗ですが、「奥富の花桃園まつり」のノボリの先には、花桃が・・・
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白いユキヤナギと桜のコントラスト。
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レンギョウと花桃と桜。
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花桃には、桜や梅と違う華やかさがあります。
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春爛漫の景色ですね。
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入間川沿いには多くの桜があり、この時期はウォーキングや散策の人を楽しませてくれます。
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空に向かって、春を待ちわびたように咲き誇る花桃。
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昨年3月末に、東秩父村の「花桃の郷」行った時には、里山全体が桃源郷のようにピンクに包まれ、その美しさに感動したことがありました。
http://4travel.jp/travelogue/11116929 -
東秩父村の花桃は、切り花用として首都圏に出荷するため、一年毎に半分の木は蕾の段階で切り取られますが、この公園の花桃は観賞用なので、永く楽しめます。
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【広福寺】・・・1805年に建てられた山門は、山門と鐘楼が一体化した鐘楼門で、袴腰は漆喰白壁塗り、上層部は格天井の鐘楼で勾欄(手すり)をめぐらし、屋根は入母屋造りの瓦葺という、関東には珍しい竜宮造りの建築様式です。
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西武新宿線・新狭山駅から徒歩10分の広福寺は永禄年間(1558~70)の創立と言われ、三代将軍・徳川家光が鷹狩の際に休息所とした寺院です。
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手入れが行き届いた庫裡の前の池には、シャクナゲが咲き、鯉も泳いでいました。
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山門の右側にある枝垂桜。
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【新狭山公園】・・・野球場・テニスコート(4面)・噴水広場・遊具がある市民の憩いの公園ですが、周りは桜が本当に綺麗です。
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野球場の周りの桜。
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右側は国道16号線です。
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外野の方からホームベースの方を見た景色。
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テニスコートも桜に囲まれています。
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アセビ(馬酔木)も満開。
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天気も良く、桜に囲まれての昼寝は最高!
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駐車場もピンクの絨毯。
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【天岑寺(てんしんじ)】・・・天岑寺は旗本・小笠原太郎左衛門安勝が父・小笠原摂津守安元の菩提を弔うために、1594年に開基した曹洞宗の寺院です。
寺号は安元の法名・天岑院殿紹恩居士から天岑寺と命名されたと伝えられています。 -
境内の入り口にあるこの建物は「天真閣」・・・主に禅の修行に使われます。
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境内には、ソメイヨシノと枝垂れ桜が咲き揃っています。
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天岑寺には朱塗りの華麗な七堂伽藍がありましたが、明治3年の火災でこの「惣門」以外は全焼しました。
沖縄風の佇まいを見せる総ケヤキ造りの惣門は、瓦葺切妻の屋根を持っています。 -
屋根の中央は一段高くなっており、天に通じる門の意味を表す「通霄関(つうしょうかん)」の扁額が掲げられています。
惣門は禅寺の表門の事で、総門とも書くそうです。 -
扁額の下にある獅子の木彫り像。
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左右で阿吽の形をとっています。
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惣門から見た本堂。
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境内から惣門を振り返ると、満開の桜が・・・
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鐘楼と本堂。
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「天岑寺月待供養の碑」・・・月待とは、十三夜・十五夜・二十三夜など特定の月齢の夜に信者が集まり、月の出を待ってこれを拝む行事で、その供養の印として建てられた板碑です。
高さ129cm、幅39cmの碑は1482年に造立されたもので、写真では分かりませんが正面に阿弥陀三尊の来迎図、その上部には天蓋と日月、画像の下には前机と花瓶・香炉・燭台の三具足が刻まれています。 -
本堂。
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本堂の裏手に、小笠原家代々の墓所があります。
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説明板にある小笠原家の墓石配置図。
墓所は、初代の父と初代の2基の宝篋印塔を中心にして「コの字型」に並び、天岑寺の裏山に整然とたたずんでいます。 -
小笠原家は、江戸住まいとなってからも天岑寺を菩提寺として、代々の墓が建てられました。
しかし、江戸から明治になった時の最後の当主・小笠原広嘉(明治3年4月19日没)の墓石はなく、現在も子孫は不明との事です。 -
墓石は、当主の先妻・後妻・兄弟・子供など様々ですが、その中で2カ月で亡くなった晴という娘の墓があり、小笠原家が女性や子供に優しい家風であったことが窺い知れます。
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初代・小笠原太郎左衛門安勝(左側)と父・小笠原摂津守安元(右側)の宝篋印塔。
狭山市の桜とお寺の一端を紹介しました。
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