2014/08/04 - 2014/08/04
281位(同エリア1433件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 170,210アクセス
- フォロワー41人
もうだいぶ前の旅になりますが、ふと思い出してはその余韻に浸る。そんな忘れえぬ旅の一つが、この青森紀行です。例によって例のごとく、思い立ったのは25日前。でも青森のお祭りシーズンとあって、宿はどこも満杯です。諦めかけていた時に、天の助けがあり、祭りを最後に店じまいするという弘前の宿を確保することが出来ました。こうなったら、行くっきゃありません。
ねぷたとねぶたと立佞武多。そんな「ハレ」を楽しみに訪れたのですが、意外にも思い出すのはいつも「ケ」の方。津軽では暖かい人情に触れることが多く、町歩きが本当に楽しかった!
前後を野暮用に挟まれ、確保できたのは丸3日。そのため、往復夜行バスという強行軍。しかしゆっくりと寝ていけるリクライニングシートだったので、疲れも少なく、3日間をフルに使うことが出来ました。
★ 8/4弘前、田舎館、弘前
8/5弘前、青森
8/6平川、黒石、五所川原
そろそろ7時だ。では祭りの会場に向かうとしましょうか。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
さあ、いよいよ始まりましたよ。初めての弘前ねぷた見物です。毎年8月1日から7日まで開催されていて、1~4日は土手町コース、5~6日は駅前コース、そして最終日は日中から土手町で行われ、80団体以上の山車が町を練り歩きます。
今日は夜の土手町コース最終日。予備知識ないまま、指定された椅子席のある桜大通りの弘前市民中央広場前に向かいます。 -
追手門通り東の信号から始まる桜大通りで、出発を待っているねぷた集団の一行です。良かったぁ。ビニール取れていました。
-
はい。ようやく手に入れた椅子席に落ち着きました。初めてなので混んでいたらと席を予約しましたが、立ち見でも十分見学は可能でした。
切符と引き換えに頂いたねぷたの解説パンフレットで本番前にねぷたについてちょこっとだけお勉強。もうじき日が暮れて、読めなくなりますからね。 -
弘前ねぷたは、各参加団体ごとに、基本的には
1.前灯篭または町印(団体名や町内会名が記されている)。
2.前ねぷた(小型)
3.大型ねぷた
4.囃子方(太鼓、笛)
という順番で運行されます。 -
行列の先頭を行くのは、こちらの直径3.3mもある「津軽情っぱり大太鼓」。津軽藩3代藩主信義公が初めに作らせたという伝説がありますが、こちらは1970年(昭和45年)に制作されたもの。
太鼓の前後に三人ずつ座っていて、合計六人の叩き手が上から。そして、2枚前の写真の地上からの叩き手が下から勇壮にドンドン叩くわけです。皆さん揃いの赤いバチを持っています。 -
「じょっぱり」とはごうじょっぱりの意味。負けず嫌い、頑固者。今日半日町を歩いて、弘前人=じょっぱり はすんなり納得できるようになりました。新しもの好きという意味もあるのではないかと勝手に思っています。
最初の団体がやってきました。
前述の通り、まずは1.前灯篭または町印、そして2.前ねぷた(小型)がやってきました。 -
前ねぶたは、一人でも曳けるの大きさです。こちらはお父さんと子供で曳いていますね。
-
続いて、大勢の曳き手達に曳かれた大型ねぷたが姿を現しました。弘前のねぷたは殆どがこの扇形をしています。今まで青森のねぶたのような不定形の組ねぶたしか見たことがなかったので、幾分地味な印象を受けます。
-
表面の絵は「鏡絵」。登場人物は三国志、水滸伝等の中国伝来のものや、江戸時代の庶民に人気の高かった日本のキャラクター達です。
浮世絵師達が残した武者絵を参考にして描かれることが多いそうですが、見ても登場人物がよく分からないというのが情けないなあ。こちら結構凄い場面で、生首が飛んでいるんですけれど・・・
資料では、水滸伝 黒旋風李逵奮戦之図とあります。李逵は水滸伝の登場人物の一人で、黒旋風というのは彼の渾名。怪力で武芸に優れた豪傑だそうです(ウィキペディア)。 -
裏面というか背中側の絵は中央の四角い部分に「見送り絵」というものが描かれています。その左右に「袖絵」。なだらかな曲線を描く「肩」の部分には町名や団体名が書かれています。
そして扇を受ける四角い部分は「開き」と呼ぶそうです。なるほど、開いていますね。「開き」の下の台の部分には「額絵」が描かれています。 -
そして、行列の最後は4.囃子方(太鼓、笛)になります。撮りそびれたので、この写真は上の団体の物ではありません。悪しからず。
一団体の行列の流れは大雑把に言うと、こんな感じでしょうか。その団体により、ねぷたの数が多少変化します。 -
一番下の「額絵」には、必ず「雲漢」と言うニ文字があります。これは中国で言う「天の川」の意味だそうです。ねぷたの起源は「七夕祭り」だったとも言われています。
-
見送り絵には、女性が多く描かれています。こちらは凄い形相のおばあちゃんですが、女性には違いありません。表側の鑑絵は動を、そして見送り絵は静を表わすと聞きましたが、この女性はあまり「静」という雰囲気ではありませんね。見送り絵の中に納まらず、大幅にはみ出してしまっています。
肩に書かれた「石打無用」は団体名でも町内会名でもありません。ねぷたを巡って他所の町内会と出くわした際に、かつて石をぶつけ合ったりするけんかが絶えなかった時期があるそうで、その頃の名残なんですって。「石投げちゃあだめよ」という意味ですね。面白い!! -
町内会結束のためにねぷたは一役も二役も買ってそうですが、喧嘩になっちゃ元も子もありません。過去にはねぷた禁止令が出た程、町内会同士の争いがエスカレートした時代もあったそうです。
今は至って穏やかに見えますが、じょっぱり同士水面下のクールな戦いが繰り広げられているのかもしれませんね。小さな町内会の前灯篭は、手作り感一杯。 -
扇ねぷたの肩には「七夕」と書かれていました。こちらの団体はお父さん、お母さん中心のほのぼのムードが漂っていました。
-
イチオシ
こちらの「見送り絵」は美人画ですねえ。見送り絵の周りの額縁部分には外側に雲、内側にツタ模様を描くのが決まり。結構決まり事多し。
-
こ、これは体中刺青のおっさん・・・なんて言ったら怒られるかしら?
主人公は水滸伝に登場する史進。彼は体に9匹の龍の刺青をしていたので、「九紋龍」と呼ばれていた豪傑です。強そう!!! -
もう一つお勉強したのは、「開き」の部分に描かれている花が総て牡丹の花であること。津軽藩主の家紋が牡丹だったことによるのだそう。唐獅子牡丹とは・・・関係なし!?
-
弘前市の西に広がる旧相馬村からやってきたのは、馬を象った前ねぷたに扇ねぷたが四連荘でした。リンゴの生産で有名な村でしたが、2006年に弘前市、岩木町と合併し、現在は弘前市の一部となっています。
-
四連荘!
-
見送り絵の下に「地獄大夫」だと書かれていました。室町時代に実在した泉州の遊女だそうです。トンチで有名な一休さんに「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌を贈ったことで有名です(出典:朝日日本歴史人物事典)。
-
弘前のねぷたは大型ねぷたを曳く形式の団体が多い中、こちらの「さくら組」は、担ぎねぷたを披露してくれるようですよ。
-
担ぐ前の、わずかなくつろぎの時間? 皆スタンバイしています。
-
こちらの見送り絵は中国風だと思ったのですが、津軽為信公の奥方仙桃夫人。袖絵は中国調で、龍に大蛇、鳳凰に虎までいるんですけれどね。
-
船型のねぷたがやってきたので海岸沿いの町からかしらと思ったのですが、船沢は岩木山麓にある、旧相馬村同様リンゴ栽培の盛んな土地でした。
-
こちらは、花魁でしょうか? 見送り絵は鑑絵よりヴァラエティに富んでいて良いですね。
袖絵の鳥居には大石大神、赤倉大神という名が書かれています。
大石大神は船沢地区近隣の岩木山北東側麓にあり、名前が示す通り、巨岩=大石がご神体なのだそう。立派な狛犬の背後に巨大な岩が見えています。
そして岩木山を構成する3つの峰の1つが巌鬼山。読み方はがんきさん だそうですが、いわきさん とも読めますね。この峰を別名赤倉とも呼び、これをご神体とするのが赤倉大神。花魁とはどういう結びつきがあるのでしょう。 -
お次も独断と偏見? で鏡絵はすっ飛ばして裏側だけアップ。見送り絵のお盆を抱えた女性はどなただか分かりませんが、袖絵が天狗達=修験道なので、日本の方だと思われます。桃から生まれた桃太郎とも関連があるのかしら? 前述した名将と言われた津軽為信の奥方仙桃院かしら?
等々、想像力を逞しくさせてくれる見送り絵なのであります。ちなみに正解は小説「三国志演義」に南蛮の王として登場する孟獲の妻の祝融夫人で、架空の人物でした(ウィキペディア)。大外れ! -
弘前市医師会の鑑絵は、三国志。「蜀の諸葛瞻、魏軍と勇戦の図」です。三国志についての(も!)知識がほとんどないので、皆同じ顔に見えてしまいます。
-
弘前市和徳(わとく)町大通り町会は、ゆるキャラ「わっとくん」を引き連れての登場です。
-
酒瓶を左手に、右手に津軽の郷土料理「けの汁」のお椀を抱えています。
けの汁 って名前だけは聞いたことがありますが、実物にはお目にかかったことがありません。野菜が沢山入った昆布だしの汁で、主に冬に飲まれるそうですよ。 -
和徳町の鑑絵は兜から日本人だと分かります。こちらは和徳にあった和徳城の主、小山内讃岐守「出陣の図」でした。
戦国時代の1571年、大浦為信率いる約900名の軍勢に攻め入れられた小山内氏は一族譜代と共に約50人で出撃しましたが撃沈。城は落城しました。知る人の少ない弘前の歴史の1ページが見事に蘇りました。 -
続いての小沢ねぷた保存会の鑑絵は、朝比奈三郎地獄破りの図。
朝比奈三郎義秀は鎌倉幕府の御家人でしたが、素手でサメを捕まえられるほどの豪傑で、狂言や講談などによく取り上げられる人物。鎌倉の朝比奈切通しを一夜で切り開いたという伝説も残っています。地獄に行っても、閻魔大王を散々な目に会わし、とうとう極楽に案内させたとか。右側が閻魔様ですね。 -
弘前ねぷたは青森のように跳人もいないので、行列は至って整然としています。掛け声は「ヤーヤードー」だけかと思ったら、進行中の他に「戻り」というのがあって、私の耳には「ヤーレヤレ」と聞こえました。
この辺で、下手な動画をアップしてみようかな・・・
https://youtu.be/syans5IjoCo -
この頃から、無情の雨がポツリポツリと落ちて来ました。あーあ、ビニール被せられちゃうかしら・・・
こちらは、弘前自由参加の津軽ねぷた歴史研究会の鑑絵。これもまた、出典は三国志から「長坂坡の戦い 張飛の一喝」 。三国志多いなあ・・・ -
ちょっと角度が悪かったので見えにくいけれど、このねぷた、変わっている箇所があって、見送り絵が男性でしたよ。諸葛亮孔だそうです。なんでも男絵と女絵が両方見られるよう、スライド式になっているんですって。
-
イケメンと悪党面? の顔合わせ?
-
肩に「頑張ろう! 東北」と書かれているのはN・T・Tねぷた愛好会の「三国志 益州攻略戦 関平奮戦之図」。大企業がスポンサーのねぷたはこれが初めてではないかな?
-
見送り絵は艶やかな中国女性 呉氏孫夫人でした。袖絵は骸骨が転がっていたり、さらし首があったりと、おどろおどろしいです。
-
こちらは、中野ねぷた愛好会の前ねぷた。鮮やかな牡丹の花が気にいりました。
-
鑑絵は「戸隠山の晴嵐」。信州戸隠に伝わる鬼女伝説を描いています。勅命を受けて信州にやってきた平安時j代の武将平維茂に破邪の刀で切られた鬼女は紫色をしています。物凄い形相!
季節は秋だったようで、色づいたモミジが風に舞っていますよ。 -
でっか~! ねぷたに一体何人の人が乗り込んでいるのでしょうか?
こちらの団体「津軽衆」のねぷたは、祭りに参加しているねぷたの中で最も大きなねぷたの一つで、幅7.61m、高さが9.1mもあります。それで、遮蔽物を避けれるよう上部が開閉式になっているんですねえ・・・
鑑絵は「黒旋風李逵奮戦之図」。25歳の女性絵師横山真優さんのデビュー作です。 -
扇の上部を全部下すと、このように「津軽衆」の文字が浮かび上がります。よく考えて作られていますね。
余りに大きいので、客席から見ると、こんな風に一部しか見えません。かぶりつきでの動画をどうぞ。
https://youtu.be/yH2S5oJTmYg -
幼稚園や保育園からの参加が多い事にもびっくりさせられます。ねぷたを動かしているのは父兄の皆さん中心で、子供達と一緒に楽しんでいました。
左側の小さい山車の主役は津軽為信公。立派な髭と兜の前立ての錫杖が彼のトレードマークになっています。そして卍は弘前市の紋章にもなっていますが、元々津軽氏の旗頭として用いられていた由緒あるものだそうですよ。 -
弘南鉄道大鰐線沿線にある桔梗野からの参加 桔梗野ねぷた友の会の組ねぷたです。親鳥の背中に小鳥を乗せて~ という雰囲気。大型の扇ねぷたの袖絵の花が大層綺麗だったのが印象的でした。こちらも動画でどうぞ。
https://youtu.be/9evGT-4JAw4 -
お次は陸上自衛隊弘前駐屯地からの参加です。
-
自衛隊の新人君達が剣舞を披露してくれました。「ああ、弘前城」という昭和の歌謡曲に乗って、剣を巧みに操りながら舞います。
こちら春日八郎の歌で1974年に発売されたそうですが、全くもって存じ上げません。弘前では毎年、自衛隊若手隊員達がこの舞いを披露しているのだとか。41回連続出場(2016年までで43回?)で、今や祭りのハイライトの一つになっているようです。 -
弘前自衛隊ねぷた協力会の鑑絵は「大江山酒呑童子」。平安時代から鎌倉時代にかけて、京の町を襲った若き鬼の頭領で、丹波国の大江山に住んでいたことからこの名が付きました。
調べてみると、酒呑童子に纏わる伝説は数多く、絶世の美少年だったという説もありました。大勢の女性に言い寄られ、次から次へと断っているうちに女性の恨みを買い、鬼にされたとか。鬼になる前の顔が見たかった! -
見送り絵は「金屋子神」。中国地方に伝わる伝説で、鍛冶屋の守護聖人・・・じゃあなかった、女神様です。地方に伝わる民話や伝説については、子供の時以来ご無沙汰ですが、その時代時代の人々の考え方や信仰を知ることが出来て、奥の深い世界です。
ふと思ったのですが、弘前の人達は、皆こういう昔話を聞いて育ったのかしら? そうだとしたら、とても羨ましい話です。 -
弘前の中心街 土手町の登場です。江戸時代には職人の町として栄え、現在は弘前の商業中心地となっています。
-
土手町の鑑絵は「坂田金時、土蜘蛛退治」。これも面白そうなので、調べてしまいました。
坂田金時は誰でも知っている金太郎が大人になってからの名前。彼は平安時代中期の武将源頼光に見いだされ、四天王の一人となり、葛城山の土蜘蛛退治、前述の大江山の酒呑童子退治で有名になりました。 -
ツワモノ達の行列はまだまだ続きますが、椅子にじっと座って見ているのが少々退屈になってきました。行列と客席の一体感が残念ながらあまりないんですよね。
-
森茂新町の出し物は「水滸伝 花和尚奮戦之図」。花和尚とは、水滸伝の登場人物の一人魯 智深の渾名で、この人も体中に刺青(=花)があったことからこう呼ばれたのだそうです。水滸伝に出てくるキャラの中では断トツの人気者らしく、毎年、どこかの団体で彼の鑑絵が作られています。
-
待ってましたぁ! 組ねぷたが姿を現しましたよ。弘前西地区のねぷた親交会の出品で、「壇ノ浦新中納言平知盛碇を背負い入水」の場面。高さ9mと、このねぷたもビッグサイズ!
-
平知盛は山車の一番高い場所にいる平清盛の正室時子と、彼女が抱いている安徳天皇が入水自殺を図り、平家滅亡を見届けたのちに、自らも碇を背負って自害しています。
-
山車の両脇に、様々な海の生き物 ウツボやタコ、カニやエビ、サンゴ、そして様々な魚たちが泳ぎ回っているのがとても印象的だったのです、こちらもよろしければ動画を見て下さいね。
https://youtu.be/fvV3KmLKUc8 -
続いてやってきたもう一台は、富田清水町会青年部の「南総里見八犬伝 犬塚信乃 火猪の計にて包囲を破る」でした。
犬塚信乃は八犬士の一人ですが、長い物語前半の主役に当たる人物で、火猪の計というのは、松明を付けた猪を敵陣に向かって放つという策だそうですよ。
右側にきらきら光るイノシシが2頭見えていますね。 -
イノシシのドアップ!
-
これはなんだっけ?
-
ねぷた有志會の「怪僧魯智深奮戦の図」。こちらも出典は「水滸伝」。「野猪林」に登場する花和尚も真っ青の刺青男だそうですよ。
こうした荒くれものの英雄豪傑達の痛快活劇が江戸時代に日本に入って来て、全国津々浦々に広がっていき、祭りの主役に取り上げられるまでになったんですね。 -
やはり、ビニールが被っていると酷ですが、見ていて面白くありませんね。盟友会の「鑑禎と鬼女の逃亡戦」。
京都鞍馬寺を創建した鑑禎上人が、そこに草庵を開くきっかけとなった、山中で鬼女に襲われたエピソードに纏わる場面のようです。 -
そろそろ、フィナーレ間近です。本日二度目の花和尚で登場したのは弘桜会の皆さま。
-
見送り絵で生首が飛んでいたのでちょっとびっくり。孫二娘という、水滸伝の登場人物で、元祖アマゾネスのような女盗賊でした。袖絵の闇に浮かぶ櫻花が大変美しかったです。
-
紺屋町ネプタ同好会の「三国志 老黄忠奮戦之図」。
-
祭好会の「常山趙子龍 西涼錦馬超」。
もう、こうなってくると読むのがつらい。三国志に出てくる二人の武将で、常山趙子龍とは趙雲のこと。字は子龍。 冀州常山郡の出身であることからこう呼ばれることが多いそうです。登場する武将の中では一、二を争う人気者。
西涼錦馬超は三国志ファンなら知らぬ人はいない蜀の五虎将軍馬超。勇猛なだけではなく、大変な男前だった馬超は、西涼の錦という異名をとるのです。 -
童楽會の「見送り絵」は孫夫人。これは三国三国時代の武将で、蜀漢の初代皇帝の劉備の妻の一人で、呉の初代皇帝孫権の妹でもあります。
そう言えば、10年ほど前、中国の鎮江で、劉備と孫夫人(孫尚香)が結婚式を挙げた甘露寺というお寺に行ったことを思い出しました。ちょっと脱線! -
2014年8月4日最後の団体は必殺ねぷた人でした。愛と勇気 必殺ねぷた人と書かれた前灯篭には「蛙」という文字も見えます。
-
で、本当に蛙がやってきましたよ。どういう意味かは分かりませんが、大変リアル。
-
最後にやってきた組ねぷたは「猿龍背 知空高 望遠地」というタイトルでした。
さるはりゅうのせで そらたかきをしり とおきちをのぞむ
と読むのだそうです。孫悟空をイメージして作られたようですが、他の山車とは異なり、有名な場面からではなく、全くのオリジナルのようです。迫力がいまいちだったけれど、こういうねぷたがあってもいいなと思える作品でした。
そのすぐ後から「本日終了」の灯篭がやって参りましたよ。皆さまお疲れ様でした。 -
想像していたよりずっと「静かな」お祭りでしたが、強き者に憧れるじょっぱり達の祭りの神髄を垣間見た思いでした。なんとか雨もひどくならず、最後までビニールカバーなしで見られたことでも大満足。
家路につくねぷたと共に、私も宿に帰ろっと! 長い1日がこうして終わりました。この続きは、ねぷたとねぶたと立佞武多 青森紀行 その3 弘前再び(前編) で!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
69