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江戸から13番目の原宿を散策しました。<br />原宿は東海道五十三次の中で一番地味な宿場ではないでしょうか?<br />検索しても竹下通りの原宿ばかりです。東海道原宿で検索すると隣の宿場である吉原宿ばかりです。<br />事実、4トラで東海道五十三次の宿場で無視されているのは沼津市にある原宿だけです。<br /><br />確かに東海道原宿は本陣:1、脇本陣:1、旅籠:16のみの宿場で復元された建物が存在するはずもなく道路横に設置されてある碑のみです。<br />こんな小規模で影の薄い宿場を東木戸から西木戸まで歩いてみました。<br /><br />

旧東海道 原宿の散策

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2017/02/04 - 2017/02/04

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

江戸から13番目の原宿を散策しました。
原宿は東海道五十三次の中で一番地味な宿場ではないでしょうか?
検索しても竹下通りの原宿ばかりです。東海道原宿で検索すると隣の宿場である吉原宿ばかりです。
事実、4トラで東海道五十三次の宿場で無視されているのは沼津市にある原宿だけです。

確かに東海道原宿は本陣:1、脇本陣:1、旅籠:16のみの宿場で復元された建物が存在するはずもなく道路横に設置されてある碑のみです。
こんな小規模で影の薄い宿場を東木戸から西木戸まで歩いてみました。

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  • スタートは片浜駅から<br />片浜駅は国鉄時代に開業した最後の駅でJR東海への民営化するまでの国鉄時代の片浜駅は10日間だけの駅です。<br />

    スタートは片浜駅から
    片浜駅は国鉄時代に開業した最後の駅でJR東海への民営化するまでの国鉄時代の片浜駅は10日間だけの駅です。

    片浜駅

  • 片浜駅から旧東海道へ出ます。<br />本来であれば原駅が最寄り駅がですが宿場の入口である東木戸から散策するためにあえて隣の駅である片浜駅としました。<br />又、片浜駅近くの神明塚古墳も見ておきたかったのです。

    片浜駅から旧東海道へ出ます。
    本来であれば原駅が最寄り駅がですが宿場の入口である東木戸から散策するためにあえて隣の駅である片浜駅としました。
    又、片浜駅近くの神明塚古墳も見ておきたかったのです。

  • 片浜駅からは逆行して神明塚古墳に向かいます。

    片浜駅からは逆行して神明塚古墳に向かいます。

  • 小高い山の上にに神社が見えます。<br />5世紀後半に築造された前方 後円墳。沼津市内の3つの前方後円墳のなかで全長が54mと最大の古墳です。「後円部」に建てられている「神明宮」は、元和 2年(1616)創 建で天照皇大神が祀られて います。<br />

    小高い山の上にに神社が見えます。
    5世紀後半に築造された前方 後円墳。沼津市内の3つの前方後円墳のなかで全長が54mと最大の古墳です。「後円部」に建てられている「神明宮」は、元和 2年(1616)創 建で天照皇大神が祀られて います。

  • 古墳の上に建つ神明宮<br />元和2年(1616年)に建てられました。

    古墳の上に建つ神明宮
    元和2年(1616年)に建てられました。

  • この辺りの周囲の地形はほとんど平坦ですが明らかに人工的に盛り土したようです。<br />

    この辺りの周囲の地形はほとんど平坦ですが明らかに人工的に盛り土したようです。

  • 麓には立派な碑が建てられています。

    麓には立派な碑が建てられています。

  • 再び本来の原宿へ旧東海道を歩きます。

    再び本来の原宿へ旧東海道を歩きます。

  • 祥雲寺<br />後で気づいたのですがこの辺りの寺院は臨済宗ばかりです。

    祥雲寺
    後で気づいたのですがこの辺りの寺院は臨済宗ばかりです。

  • 祥雲寺<br />庭がきれいに手入れされていました。

    祥雲寺
    庭がきれいに手入れされていました。

  • 旧東海道は踏切を超えます。<br />沼津宿から原宿、吉原宿の直前までの旧東海道はほぼ一直線ですがJRの線路だけがこの付近で曲がっています。

    旧東海道は踏切を超えます。
    沼津宿から原宿、吉原宿の直前までの旧東海道はほぼ一直線ですがJRの線路だけがこの付近で曲がっています。

  • 神明宮のあるこの場所が東木戸となります。<br />道路を超えた駐車場に東木戸の碑が見えます。

    神明宮のあるこの場所が東木戸となります。
    道路を超えた駐車場に東木戸の碑が見えます。

  • 神明宮は歴史的は由緒等はわかりません。

    神明宮は歴史的は由緒等はわかりません。

  • 神明宮の境内には賽の神が祭られています。<br />旧道や集落の一角にはよく目にします。

    神明宮の境内には賽の神が祭られています。
    旧道や集落の一角にはよく目にします。

  • ごく普通の神明宮です。

    ごく普通の神明宮です。

  • 駐車場の一角に設置されてある東木戸<br />ここから宿場内となり、西木戸まで2.2Kmあり宿場としては珍しく一直線上となります。

    駐車場の一角に設置されてある東木戸
    ここから宿場内となり、西木戸まで2.2Kmあり宿場としては珍しく一直線上となります。

  • 東木戸(見附)跡<br />原宿は現在の西町、東町、大塚本田の3町で形成され西と東に堺を設けて宿場の入り口とした。

    東木戸(見附)跡
    原宿は現在の西町、東町、大塚本田の3町で形成され西と東に堺を設けて宿場の入り口とした。

  • 宿場の中央部にはいくつかの寺社が建てられています。<br />清梵寺は白隠の里地区範囲となっているので当然ですが臨済宗の寺院です。

    宿場の中央部にはいくつかの寺社が建てられています。
    清梵寺は白隠の里地区範囲となっているので当然ですが臨済宗の寺院です。

    清梵寺 寺・神社・教会

  • 清梵寺のすぐ隣の長興寺

    清梵寺のすぐ隣の長興寺

  • 長興寺<br />白隠の里地区範囲となっているので当然ですが臨済宗の寺院です<br />

    長興寺
    白隠の里地区範囲となっているので当然ですが臨済宗の寺院です

  • 松蔭寺<br />臨済宗の古寺で、歴史は約700年あり、江戸時代に白隠慧鶴が住職を務めた寺として知られている。現在は臨済宗白隠派大本山である。<br /><br />東海道 原宿を検索すると必ず松蔭寺が登場します。<br />しかし、4トラでは無視されているようです。<br />

    松蔭寺
    臨済宗の古寺で、歴史は約700年あり、江戸時代に白隠慧鶴が住職を務めた寺として知られている。現在は臨済宗白隠派大本山である。

    東海道 原宿を検索すると必ず松蔭寺が登場します。
    しかし、4トラでは無視されているようです。

  • 白隠の里として付近の寺院を含めた地図となっています。

    白隠の里として付近の寺院を含めた地図となっています。

  • すり鉢の松<br />白隠が岡山城主池田侯から贈られた備前焼のすり鉢を、台風によって裂けた松の枝の雨避けにかぶせたというすり鉢の松が有名であった。<br />

    すり鉢の松
    白隠が岡山城主池田侯から贈られた備前焼のすり鉢を、台風によって裂けた松の枝の雨避けにかぶせたというすり鉢の松が有名であった。

  • 松蔭寺と白隠禅師は、「ぬまづの宝100選」に選ばれています。

    松蔭寺と白隠禅師は、「ぬまづの宝100選」に選ばれています。

  • 松蔭寺は白隠慧鶴<br />この案内板が墓の真正面に設置されてあればすぐ気づくのですが僧侶に聞いて教えてもらいました。<br />周囲は一般の方も眠っている墓地で寺の奥にあるので気が引けました。

    松蔭寺は白隠慧鶴
    この案内板が墓の真正面に設置されてあればすぐ気づくのですが僧侶に聞いて教えてもらいました。
    周囲は一般の方も眠っている墓地で寺の奥にあるので気が引けました。

  • 白隠禪師塔所<br />白隠禅師は他の禅宗と比べ衰 退していた臨済宗を復興させた名僧です。貞享2年(1685)12 月25日、原宿、長沢家の三男として誕生し、15歳で出家、慧鶴と名づけられ、19歳で諸国行脚 の旅にでて、24歳で鐘の音を聞 いて悟りを開いたといわれてい ます。享保2年 (1717)に33 歳で松蔭寺の 住職となり、 翌年、白隠と号するように なりました。

    白隠禪師塔所
    白隠禅師は他の禅宗と比べ衰 退していた臨済宗を復興させた名僧です。貞享2年(1685)12 月25日、原宿、長沢家の三男として誕生し、15歳で出家、慧鶴と名づけられ、19歳で諸国行脚 の旅にでて、24歳で鐘の音を聞 いて悟りを開いたといわれてい ます。享保2年 (1717)に33 歳で松蔭寺の 住職となり、 翌年、白隠と号するように なりました。

  • 白隠慧鶴の墓全体<br />至ってシンプルなので驚きました。

    白隠慧鶴の墓全体
    至ってシンプルなので驚きました。

  • 左側のこの墓が白隠慧鶴です。

    左側のこの墓が白隠慧鶴です。

  • 旧東海道沿いには白隠慧鶴の生誕地の碑と奥には産湯の井戸があります。

    旧東海道沿いには白隠慧鶴の生誕地の碑と奥には産湯の井戸があります。

  • 白隠慧鶴生誕地

    白隠慧鶴生誕地

  • 白隠慧鶴<br />駿河に過ぎたるものとして富士山と並び称された名僧です。

    白隠慧鶴
    駿河に過ぎたるものとして富士山と並び称された名僧です。

  • 産湯の井戸

    産湯の井戸

  • 松蔭寺のある旧東海道を道路を挟んだところにある雲見浅間神社<br />

    松蔭寺のある旧東海道を道路を挟んだところにある雲見浅間神社

  • 雲見浅間神社の祠は車用のガレージと思われる中にあります。

    雲見浅間神社の祠は車用のガレージと思われる中にあります。

  • 旧東海道と興国寺城通りの交差点<br />この辺りが原宿の中心であったと思います。

    旧東海道と興国寺城通りの交差点
    この辺りが原宿の中心であったと思います。

  • その先の浅間神社<br />周囲には案内板がいくつか設置されてあります。

    その先の浅間神社
    周囲には案内板がいくつか設置されてあります。

  • 浅間神社<br />

    浅間神社

  • お馴染みの静岡県が設置した夢舞台東海道<br />ここが原宿であることを示しています。

    お馴染みの静岡県が設置した夢舞台東海道
    ここが原宿であることを示しています。

  • これは原宿の案内図です。<br />寺社は繁栄されてあるのですが本陣等は書かれていません。<br />しかしこの案内板の下には高札場跡のプレートが。

    これは原宿の案内図です。
    寺社は繁栄されてあるのですが本陣等は書かれていません。
    しかしこの案内板の下には高札場跡のプレートが。

  • 高札場跡<br />幕府・大名が法令、禁令を札板に掲示したもので浅間神社に設置されてありました。

    高札場跡
    幕府・大名が法令、禁令を札板に掲示したもので浅間神社に設置されてありました。

  • 浅間神社<br />歴史はあるようですが至って普通の神社です。

    浅間神社
    歴史はあるようですが至って普通の神社です。

  • キムラ手芸店の前には問屋場跡

    キムラ手芸店の前には問屋場跡

  • 問屋場跡<br />各宿場には問屋があり、役人がいて宿駅の業務を行った。

    問屋場跡
    各宿場には問屋があり、役人がいて宿駅の業務を行った。

  • ここは本陣跡<br />ここは本陣のあった跡なので写真の建物は関係ありません。

    ここは本陣跡
    ここは本陣のあった跡なので写真の建物は関係ありません。

  • 本陣跡<br />原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っている。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていた。間口は15~17間で、建坪は235坪、総坪数は山林、畑を含め6600坪の広大な規模であった。

    本陣跡
    原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っている。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていた。間口は15~17間で、建坪は235坪、総坪数は山林、畑を含め6600坪の広大な規模であった。

  • 原駅<br />なまこ壁となっているのですがタクシーが邪魔です。

    原駅
    なまこ壁となっているのですがタクシーが邪魔です。

    原駅

  • 原駅<br />なまこ壁が歴史を感じさせる造りになっています。

    原駅
    なまこ壁が歴史を感じさせる造りになっています。

  • 原駅の案内地図には原宿と浮島マップが設置されています。<br />

    原駅の案内地図には原宿と浮島マップが設置されています。

  • 高嶋酒造<br />蔵元の純米酒白隠正宗は有名です。

    高嶋酒造
    蔵元の純米酒白隠正宗は有名です。

  • 高嶋酒造<br />白隠禅師にちなんだ「白隠正宗」 という山岡鉄舟がつけた銘の酒を 製造しています。 <br />富士山の伏流水を無料で 提供しています。<br />

    高嶋酒造
    白隠禅師にちなんだ「白隠正宗」 という山岡鉄舟がつけた銘の酒を 製造しています。
    富士山の伏流水を無料で 提供しています。

  • 高嶋酒造<br />地下150mもの深い井戸が掘られ酒用はもちろん飲料水として飲まれています。<br />地元住民は大きなポリタンク持参で水を汲んでいきます。もちろん無料です。<br /><br />地元住民にはあまりに知れ渡った店ですが4トラにはグルメにも観光にも登録されていません。<br /><br />

    高嶋酒造
    地下150mもの深い井戸が掘られ酒用はもちろん飲料水として飲まれています。
    地元住民は大きなポリタンク持参で水を汲んでいきます。もちろん無料です。

    地元住民にはあまりに知れ渡った店ですが4トラにはグルメにも観光にも登録されていません。

  • 高嶋酒造の向かい側に西木戸(見附)跡

    高嶋酒造の向かい側に西木戸(見附)跡

  • 東と西の境には木戸を設けて宿場の入り口とした。<br /><br />私は宿内だけを歩くのが目的なので以上で散策は終了です。<br />歴史的には大変興味がある酒造、寺社、人物が登場しましたが4トラでは無視されているのは何故でしょうか?

    東と西の境には木戸を設けて宿場の入り口とした。

    私は宿内だけを歩くのが目的なので以上で散策は終了です。
    歴史的には大変興味がある酒造、寺社、人物が登場しましたが4トラでは無視されているのは何故でしょうか?

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