2017/01/04 - 2017/01/04
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kyokosa-nさん
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2017年 年が明けてすでに4日目 暖冬の日が続く今日
「隅田川七福神と隅田川遊覧」のインターネット限定のツアーに参加。
4月のころの陽気を感じる暖かさ。陽の光を感じながら向島界隈を歩いた。
初めて七福神を訪ねた。一人では道先案内人がいなければ歩けないコース
今年一年が良い年であることを願って・・・・
ウォーキング 19805歩
年明けの一日を七福神にお参りをしながら、知らない世界を楽しんだ
ツアーの一人参加も楽しい時間。
- 旅行の満足度
- 5.0
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-
「隅 田 川 七 福 神 め ぐ り」の由来と概要
隅田川七福会が監修、制作されています。
暮らしにくい世相であればなおのこと、たとえ太平の世の中であっても、福の神を崇め、いっそうゆたかに、心楽しく生活できるよう祈念することは、古くから人びとの間に持ち伝えられている心情です。
そうですねー。
今の世の中にも当てはまります。
七福神めぐり― 若い人より高齢者の集団でした。
心楽しく生活ができるようにー
-
逆コース
弁財天 多聞寺から参ります。
色紙と名所案内の小冊子にスタンプを
山門 茅葺屋根の山門は、多聞寺の中でも歴史のある建造物
1803年の大火にも、関東大震災にも、戦火にも免れた
時代を超えて今も歴史を伝える建造物
あらためて茅葺の山門の美しさを感じます。 -
恵比寿、大黒(國)、布袋尊、弁財天、福禄寿、寿老人(神)、毘沙門天と七体の神仏聖人が組み合わされ、七福神として瑞祥の象徴となったのは、室町時代以降だそうです。
多聞寺ー弁財天 -
隅田川七福神の
「多聞寺」は天徳年間(957~960)に創建
毘沙門天 弘法大師の作伝えられる。
山門 時代の災いを逃れた昔を今に伝える建造物
六地蔵 「座姿六地蔵」仏教における救いの手を差し伸べてくれる地蔵
タヌキ塚 碑がある -
東京大空襲で被災した鉄骨
「よくぞこの姿を残してくれた」と
惨状が浮かびます。歴史の証人 -
戦災の証言者
戦火に免れた木材 何を語るべきか・・・ -
木造の建物に興味があります。
何か、ホッとする郷愁の表れでしょうか。 -
向島百花園
福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一つ。道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものである。
資料より頂きました -
福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、
三体一組の神である。中国において明代以降広く民間で信仰され、
春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習がある -
立派なお顔が台座の上に
長頭で長い髭をはやし、ちょこんと座ったお姿に
今までに見たことのない神様 印象に残ります。
まさに七福神様でしょうか? -
蝋梅 春の花です。
陽だまりに咲く ほのかな香りが・・・ -
春の七草 体に優しい粥にどうぞ。
-
1/4は 3月頃の暖かさでした。
今日の天気は違います。真冬の温度です。 -
春の頃が待たれます。広い庭園です。
カワセミを見つけました。遠目にも綺麗な野鳥です。
一瞬の餌を取るダイビング。次の瞬間を松の木の枝で
待っていました。出会いに嬉しくなります。 -
白鬚神社は隅田川の堤の脇にあり、向島では最も古い由緒ある神社の一つ。
社伝によると、天暦5年(951)に、慈恵(じえ)大師が関東に下った際、近江国志賀郡打颪(うちおろし)(現滋賀県高島市)の白鬚大明神の分霊を、ここに祭ったといいます。
資料より掲載 -
福禄寿と同じく中国出身の神様で、道教の思想から出ており、
「寿星」を人格化した神様です。一説には、福禄寿の別名とも言れれています。 -
白鬚神社 寿老神
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祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、
国土の神・道案内の守神であり、隅田川沿いの道祖神の役割もありました。
白髭大紙 延命長寿の信仰は古くからあり無病息災延命長寿を
願う人々の参拝が後を絶たない -
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一日 スカイツリーを眺めました。
カメラのアングルは最高 全部入ります。 -
弘福寺の北隣りの寺が、長命寺です。
開山は明らかではありませんが、元和元年(1615)頃の創建とも
伝えられています。もとは常泉寺と号していました。
狛犬と燈籠 社殿前に有ります。 -
七福神のうち、紅一点の弁財天は、水辺に多く祭られている神様で、
長命寺の弁財天は、琵琶湖竹生島の弁財天の分身です。
インドの神様で、もとは河(水)の神様でした
日本に伝来してから、弁舌や音楽を司る芸能の神として信仰されました。
琵琶を奏でている御姿で描かれることの多いのは、そのためです。 -
寛永年間(1624~44)に、三代将軍家光が鷹狩の途中、不意の腹痛のためこの寺に休憩した際、境内の井戸水を汲み、薬を服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒しました。喜んだ家光がその井戸に長命水の名を与えたところから、以後寺号を長命寺と改めたといいます。今も残る長命水石文や洗心養神の石碑が、それを物語っています。
境内には、他にも様々な石碑が立ち並んでいます。 -
子育て地蔵尊
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季節は巡ります。
陽だまりの紅梅 -
さあどちらにしましょう。
長命寺の桜もち -
「ことといだんご」言問団子
160年間も親しまれている上品な味
一息つきました。 甘いお団子に暑いお茶です。 -
七福神の一つ、布袋尊(ほていそん)を祀ってある弘福寺
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布袋尊(ほていそん)は、中国の唐の時代の禅僧で、その名を契此(けいし)といい、七福神の中ではただ一人の実在した方であります。額が広くてお腹は大きく、いつも杖と大きな布袋を持ち歩き、物を貰えばそれをこの袋に入れて貯え、因る人があると、その中から取り出して施し、しかもなくなることがなかったといわれています
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発財菩薩(ぼさつ)といわれ、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の再来
ともいわれ、世の人々からうやまわれ信仰されました。 -
この世の幸福とは、金銭欲や物欲を満足させることだけではない、
ということを教えてくれる神様といえましょう
とつも良いことが書かれています。
そうなんですねー 感じます。 -
街中 ウォッチング
何とも おしゃれな・・・写りこみでしょうか? -
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三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、
東京都墨田区向島に在る神社である。
祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。
三囲神社は江戸時代三井家の守護社として崇拝
三井家と三井グループから信仰 -
由緒
元禄六年のひでりの際、俳人 宝井其角(たからいきかく)が雨乞いの句を詠んだことで世に有名となり、江戸市民に広く知られるようになった -
2009年に閉店した三越池袋のシンボルライオン
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三囲の名の由来
村人が白狐の背に乗る稲荷の神の像を拝んでいると、
白狐が生身になり神様のまわりを3回まわって消えたという。 -
三囲神社
大黒 -
三囲神社
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初めての隅田川に由来ある
七福神めぐり に資料を開けながら使わせていただきました。
知らない世界を覘くことに興味を抱きながら
中身の濃い資料に驚き、ネット社会の情報に勉強でした。
知ることの・・・楽しみました。 -
「老翁老嫗の石像」
元禄の頃に、この三囲稲荷にある白狐祠を守る老夫婦がいたそうで、
その方々の徳を慕い建てられたものだそうです。
云われは面白いものがあります。
その時代の物語に忘れられている時間を感じます。 -
商業 商いの神様は凄いです。参拝者が・・・
今日は 1/4 です。
仕事始めの日です。続々と駆け付ける背広組の参拝者に
圧倒されました。
良き時代、繁栄を願う庶民も会社組織も気持ちは皆一緒です。 -
年の初めに初めて「隅田川七福神めぐり」に行って来ました。
歩くと汗ばむほどの一日の陽だまりハイクの20000歩は
心地良いものでした。
我が家の事、自分のこと、一年に一度、神様にお願いをすることも
良いことですね。 また来年も・・・
まとめて高齢者から、少しだけ良いことが
65歳から75歳までは準高齢者に?
政財界も今年の運勢は「トランプさん」次第とか・・・・
良い年になることを願いましょう。
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