2016/11/28 - 2016/11/30
14位(同エリア2646件中)
chiaki-kさん
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ポルトガルの首都リスボン(現地ではリシュボアと発音する)には、たくさんの名物があるが、その一つがこの古いトラム。運営はカリス(Carris:リスボン電気鉄道会社)で、1901年から現在の電車方式のトラムが使用されてきたが、地下鉄の開業やバスの普及により徐々に路線は縮小され、一時は全廃の話も持ち上がったが、観光資源として活用できないか検討した結果、一部区間を残すことになり、5路線・総延長48kmのトラムが、現在も57両の車両によって運行されている。
表紙の写真はカテドラル前を通過するトラム。何度も改修されてはいるが基本構造はWW2以前に造られたものなので走るたびギシギシ・ガタガタと音がする、なんともレトロな車両である。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- イベリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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11/27
時間は昨日にさかのぼるが、ロカ岬を観光した後、バスはリスボンに移動、道路はスムーズだったので夕飯より先にホテルチェックイン。今回連泊するのは市内をややはずれたメトロ・ローマ駅近くにあるホテル・ルテシア。ホテルの情報は口コミをご覧いただくとして、一息いれた後、再びバスに乗ってやってきたのはエドゥアルト7世公園内にあるレストラン。 -
左上:珍しくサラダが出る。
右上:前菜はコロッケ。ドリンクはSUPER BOCK。
左下:メインはタコのリゾット。
右下:エドゥアルト7世公園、晴れていればテージョ河まで見える。
メインのタコのリゾットがおいしかった。
19:15にホテルに戻るがファド・ドリンクショーをオプションで予約した方は20:30に再集合。我々は参加せず別行動。交差点角のローマホテル前に泊まっていたTAXIでリスボンの新開発地区にあるヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター(9:00~24:00)へ。ワイン、オリーブオイル、チーズ、バター、チョコレートなど爆買い。帰りもTAXIを利用するが、往きが9E、帰りが8EほどでTIPは無し。リスボンのTAXIは安くて使いやすい。なお、ショッピング中の写真はありませんので悪しからず。 -
11/28
朝食前にホテル近くの地下鉄ローマ駅の自販機で購入したヴィヴァ・ヴィアジュン( VIVA viagem :6E+カード代0.5E)。スイカのようにチャージできるカードなのだが、選択すればメトロやトラムなどが24時間乗り放題券にもなる、すぐれもの。(以後Vカードと表記)ただ、自販機の画面が○○の歩き方とは違っていて、少々手こずったが、近くにいたセキュリティの方に手伝ってもらって無事ゲットできた。 -
8:45に出発、環状線を通ってベレン地区に向かうが、写真は途中にあったアグアス・リブレス水道橋。一見、ローマ時代の水道橋かと思うが、建設されたのは1748年。
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A5号線を一旦西へ、次のICで左折してベレン地区へ向かう。
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ベレン到着。ベレンの塔近くにバスを駐め、徒歩で塔へ向かう途中にあるのが、この複葉水上機のレプリカ。
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1922年、リスボンから、かつてポルトガルの植民地だったブラジル、リオ・デ・ジャネイロまでの飛行に成功したF400ルジタニア。ちなみに大西洋単独無着陸飛行を成し遂げたのはチャールズ・リンドバーグで、1927年のことだった。
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そして、世界遺産ベレンの塔が現れる。16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞。
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ここで悲しいお知らせ。なんとベレンの塔は外観のみの観光で入場しないとのこと、そんな~~。
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「テージョ河の貴婦人」に振られ、次ぎに向かったのは発見のモニュメント。1940年にポルトガルで開催された国際博覧会の象徴として制作されたもので、栄光の時代へのロマンを表している。最初に作られた記念碑はもろい素材で制作されたため、1960年にコンクリートで再度制作された。エンリケ航海王子の後方に、同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らの像が31体並ぶ。
残念ながら、汚れを除去する修復工事中で、ご覧の通りスチールの足場がバッチリ組まれている。一つの救いとしては足場が外されつつあったので、先頭のエンリケ航海王子だけはハッキリと見ることができた。 -
工事中の壁には、このように本来見れるはずの像の写真が貼り付けられている。現地日本人ガイドのIさんが指している先に唯一の女性像があるが、エンリケ航海王子の母、ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ。
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1492年にスペインでレコンキスタが完了するより以前、アヴィス王朝を開いたジョアン1世の3男のエンリケ(エンリケ航海王子)は1414年に父とともにイスラム勢力が立てこもる北アフリカのセウタを攻略、セウタを足がかりにバルトロメウ・ディアスの喜望峰発見や、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓、そしてペドロ・アルヴァレス・カブラルによるブラジル発見などにより海上帝国を築くことに成功する。(出遅れたスペインは新大陸へ向かうしかなかった)しかし、17世紀になると後発のオランダやイギリスとの競争に敗れ、19世紀半ばには頼みの綱のブラジルも独立してしまうなど世界史のひのき舞台からは退場してしまう。それでもアンゴラ、ギニア、ゴア、ティモール、マカオなどの一部植民地は残ったが、それも1961年から2002年にかけて相次いで独立し、ついにポルトガルの植民地は世界地図上から姿を消した。
写真は長い修復工事を終え、よみがえった発見のモニュメントのエンリケ航海王子の像。王子の後ろにしゃがんでいるのはアフリカ王といわれたアルフォンソ5世。なお、左下に作業員がいるが、作業員と比べると像の大きさがわかる。 -
堤防からはテージョ河(スペインではタホ河)、4月25日橋(旧サラザール橋)、そして対岸にはクリスト・レイと呼ばれる110mの巨大なキリスト像が見える。
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発見のモニュメント北側の広場には大航海時代にポルトガルにより発見された地名を記した世界地図がある。1488年アフリカ最南端・喜望峰、1498年インド・ゴア、1509年マラッカ、1514年マカオ、そして1541年に日本・・・。
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この地下横断歩道を渡って道路や線路の向こう側に出ると・・・
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世界遺産ジェロニモス修道院前広場に出る。ここでまたまた残念なお知らせ、きょうは月曜日のため修道院はお休みで中には入れません。まあ、最初から外観のみの観光だったので覚悟はしていたが。
なお、写真の右上と左下はカメラのフードがずれてしまったことによるケラレです。(初歩的ミス) -
ジェロニモス修道院はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、最終的な完成には300年ほどかかっている。その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。
写真はジェロニモス修道院付属サンタ・マリア教会南門及びファサード。 -
聖母子像と、それを取り囲む天使、聖人、聖女達です。
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南門中央柱の上部にある像はエンリケ航海王子の像。
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西門はこちら。休館日でなければこちらから入場します。
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マヌエル1世と聖ジェロニモスの像。ジェロニモスとはラテン語でヒエロニモスのことで、12使徒の一人。なお、イタリア語ではジローラモとなり、あの2枚目半のナポリの伊達男と同名。
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反対側にあるのは王妃マリアと洗礼者ヨハネの像。
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上にあるのは受胎告知、キリスト誕生、東方三博士の礼拝。
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外観だけの世界遺産見学を終えてゾロゾロむかったのはパスティス・デ・ベレン。
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ポルトガルではパステル・デ・ナタと呼ばれるエッグ・タルトの有名店。TDさんが先に店に入り、メンバー1人1個づつ配給サービス。店先でC国の方に混じって食すが、外皮はパリッとして、中はカスタードクリームがほどよくとろけており、まいう。
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後ろの方でガタゴト音がしたと思ったら18番線のトラムがやってきた。
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ベレン地区を後にバスはリスボン旧市街地区にやってきた。前方に見えてきたのはレスタウラドーレス広場と中央には勝利と独立を表すオベリスク。
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ロシオ広場で下車。目の前にはメトロ・ロシオ駅の入り口。
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アウグスタ通りをしばらく歩いて右にサンタ・ジュスタのエレベータ(以後EVと表記)が見えた場所で30分ほど自由行動。このあと一目散にEVを目指したのは言うまでも無い。
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EVでは20人ほどの観光客が順番待ちしていたので、これなら乗れると判断して列に並ぶ。見上げるとこんな感じ。結構な高さだ。多くの人がギュスターヴ・エッフェルが建てたと勘違いしているらしいが、EVを設計したのは、フランス系のエンジニア、ラウル・メスニエル・デ・ポンサルド。建設は1900年に始まり1902年に終わった。
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10分ほど並んで乗車に成功。シーズンオフ様々。定員は24人で外では強そうな係員が数を数えていた。EV中にも係員がいたがVカードをセンサーにかざして一発OK。
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ガタン、ガタンとクラシックなEVはゆっくりと上昇する。窓の外にはリスボンの街がゆっくりと下へ下がってゆく。
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EV停車階からさらに上の展望台を目指すがこちらは別料金で1人1.5E。そして螺旋階段を上り詰めると、写真のようなリスボンの街が目に飛び込んできた。ちなみにこれは北側で、先ほどバスを降りたロシオ広場が見える。
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東へパンすると正面にサン・ジョルジェ城が見える。
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イチオシ
縦構図で撮ってみる。
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南東側を見るとテージョ河とカテドラルが見える。
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南側には勝利のアーチ(凱旋門)とテージョ河が。
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後ろ側にはあるのはカルモ教会。1755年のリスボン大地震で天井などが破壊され、今では災害の記憶を留める博物館となっている。展望台からの下りは階段の方が早いとTDさんに言われていたのでEVでは無く階段を選択するが途中で道が2手に分かれるところがあり、標識も何も無いので行き止まりの方へ行ってしまった。正解は左なので、もし行く方があったら、覚えておいてください。
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ロシオ広場で集合、バスに乗車して向かった先はリベイラ市場。青いバスの前方、屋根の上にドームがある建物。
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リベイラ市場の中はこんな感じ。半分は通常の市場で、半分はフードコートとなっている。
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ここから自由時間となり、各自好きな料理を注文。どの店にするか、さんざん迷ったが、選んだのはHONORATOという名前のハンバーガー屋。だってファーストフードはまだ食べていないもん。
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ビッグマックのような分厚いハンバーガーとビールが今日のランチ。1人10Eほどだと思ったが、このボリュームなら安いものだ。おいしゅうございました。
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リベイラ市場を出て Googleで予習しておいたビッカのケーブルカーに向かう。写真はビッカ停留所。よーく見ないとただの建物としか見えない。
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これがケーブルカー・ビッカ線の車両。Vカードで乗車できる。落書きが凄いが、夜間、車両基地に戻るトラムと違いケーブルカーは無人の線路に放置されるので何度塗り替えても、悪ガキ達の格好の餌食にされてしまうのだそうだ。
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客を乗せてから10分くらいしてやっと動き出した。写真は中間ですれ違った下りの車両。あれ、こちらの車両には落書きが無い! 塗り替えたばかりなのだろうか。
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これは乗ってきた車両。落書きがすさまじい。なんと運転席の窓まで文字が書かれている。
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絶妙のタイミングでやってきたトラム28番線に飛び乗る。混んでいてダメかと思ったが、なんとか乗車できた。これももちろんVカードでOK。
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トラムの中はこんな感じ。狭いコーナーがあるので車両は連結できず、常に1車両のみの運行なので、すぐに満員になってしまうようだ。ガタガタ、ゴトゴト、ギシギシと実に賑やかな走行音が、まるでディズニーランドの乗り物に乗ったような気分にさせてくれる。
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カモンイス広場で幸運にも席に座ることが出来た。広場中央の像は、多分カモンイス。
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バイシャ・シアードは繁華街、今晩ひょんなことでまた来ることになるとは。
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カテドラル付近でトラムを降り、カメラを構える。
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やってきたのはトラム12号線
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イチオシ
鉄板の一枚
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赤いトラムはカリスの車両では無く、観光用の車両。Vカードでは乗れない。
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これが観光客に一番人気のトラム28番線。次の写真でわかるが、この車両は狭い街角を曲がる為極端にホイールベースが短い。このため連結はできないのだ。なお、ゲージは90cmとのこと。
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ここは、このくらいにしておこう。今気がついたが、結局カテドラルには入らずじまいだった。
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最後にもう1枚。カテドラル前のカーブを下るトラム28番線。どうしても後ろは車の行列になってしまう。
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トラム通りを、とある場所で左折、坂道を昇って行くと前方に通せんぼをしている建物発見。
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建物の正体はこれ、なにかの遺跡の発掘調査らしい。
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息を切らせて坂道を上り詰めた場所は先ほどEV展望台から見えたサン・ジョルジェ城。(入城料1人8.5E)この城は、紀元前からフェニキア人、古代ギリシャ人、カルタゴ人などにより支配されていたが、のちに古代ローマ帝国、スエビ族、西ゴート王国、ムーア人(イスラム)と支配者が変わり、やがてポルトガル王アフォンソ1世により、ムーア人から取り戻された。アヴィス朝の開祖ジョアン1世は、城を聖ジョルジェへ捧げ、城の名をサン・ジョルジェ城としたが、この名前が現在までも続いている。
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城からの眺め:その1
日が陰ってしまい、青っぽくなってしまったのが残念。 -
城からの眺め:その2
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城からの眺め:その3
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これから城の中心部へ侵入する。
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前方右手にある石段を登ると、
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城壁です
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もちろん銃眼もあります。
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しつこいですが今度は城壁からの眺め:その1
日が差してきました。 -
城壁からの眺め:その2
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城壁からの眺め:その3
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城から出て、再びトラムの通る道路まで降りる。
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トラム28番線に乗車。ちなみにトラムには時刻表は無い。
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再びバイシャ・シアードに戻り下車する。前方の広場はカモンイス広場。
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カモンイス広場手前の交差点を右へ。ダラダラの上り坂を上ると・・・
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サン・ロケ教会に到着。サン・ロケ教会は、リスボンにあるイエズス会の教会で、1584年、天正遣欧少年使節のための宿舎として提供されたことで有名。天正遣欧少年使節は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。
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教会前はこんな広場になっている。おや、記念撮影ですか。
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シンプルな外観と違って、内部は絢爛豪華。
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天井画のある教会は珍しい。
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いくつかある祭壇の一つなのだが、豪華に装飾された聖母子像と妙に生々しい横たわるキリストとの対比が妙。
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ピエタ像なのだが、棺の中に横たわるのはマリア様か。
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こちらの聖母子像の両側に並んでいるのはイエズス会の著名な聖人と思われる。
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こちらの受胎告知の画の両側にいる聖人も同じ。
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ちなみにイエズス会の著名な4人の聖人とは、イグナチオ・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・ボルハ、アロイジオ・ゴンザガなのだが、ガイドさんがいないので、誰がどの像なのかハッキリしないのだが、この像はフランシスコ・ザビエルと思われる。
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最後の晩餐。イエスを裏切るエスカリテのユダはイエスの前にいる。
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絢爛豪華な祭壇。ちなみに作者はイタリア人だそうだ。
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教会を出て右へ5分ほど歩くとサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台に到着。あ、またケラれた。
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夕暮れの近づいたリスボンの街を眺めながら”消臭力”は・・・叫ばない。
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パノラマで
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ケーブルカー・グロリア線が近くにあったので乗車する。
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ほぼ満員になるとケーブルカーは出発する。
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車内はこんな感じ。アジア系の観光客が増えた。
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グロリア線の車両も悪ガキどもの餌食になっている。
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メトロ・レスタウドーレス駅からサン・セバスチャン駅まで地下鉄で移動。サン・セバスチャン駅構内直結のデパート、エル・コルテ・エンゲレスでショッピング。最初、衣料品階へ行くが、スペインの街にあるダイエーのようなエルコルテと違い、まるで高級デパートのようにブランド品中心の品揃えなので、ただちに地下の食料品売り場へ降り、昨日購入できなかった菓子類を中心にショッピングを楽しむ。
夕食はフリーだったので、最後の晩餐はアジア料理か和食かラーメン屋がいいなと思い、メトロでバイシャシアードへ向かうが、降り口を間違えて丘の上の方に降りてしまい、そこから延々と繁華街を彷徨うことになる。情報収集が甘かったせいでアジア料理も和食屋もラーメン屋も見つからず、ちょっとあやしいお土産屋でTシャツを2枚購入、メトロでホテルのあるローマ駅まで戻り、駅近くのスーパーで適当な食材を購入、ついに最後の晩餐は部屋食となってしまった。明日は3時起きだ。 -
11/29
今日は帰国日。
4:25 乗り継ぎ便の関係で、こんな時間にホテル出発。リスボン空港までは僅か10分ほどだったが、イベリア航空のチェックインに30分以上手間取る。
6:55 イベリア航空IB-3107便にてマドリッド・バハラス空港へ。
9:15 (SST)1時間20分のフライトでマドリッド・バハラス空港到着。ここでEUからの出国とトランジット。T4にあったお店でリオハ・ワインなど購入。
12:20 イベリア航空IB-6801便にて成田へ出発。写真はIB-6801便だが下手な写真でごめん。 -
IB-6801便は、ほぼ定刻でテイクオフ。窓の外にはマドリッド郊外の風景が・・遙か左上にはチャマルティンの4本柱(高層ビル)が見える。
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昼食はこんな感じ。ミートボールはおいしかったです。
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復路のコースはパリ上空を通過。良い天気だったので窓の下にはパリの街が一望。
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そしてドイツでは、なんとコブレンツの上空を飛行。ドイチェス・エック(ドイツの角)も、くっきりと見えたので、なにか、もうかった気分。そして始まる退屈な13時間半。寝るにはまだ早いのでPCをいすの下にあるAC電源に繋ぎ、目を閉じてCD3本分の音楽を聞き流す。眠くなったら、あとは、ただ寝るだけ。
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目が覚めるとシベリア上空。朝焼けの雲がきれい。
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朝食は往路と同じくハム・チーズをはさんだクロワッサンなど。バレンシアオレンジ・ジュースがおいしかった。
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ただ今ハバロフスク上空、成田までは後2時間。
9:35 (JST)IB-6801便は成田空港第2滑走路へ無事ランディング。空港→ホテル→謎の下道→柏IC→常磐道→外環道→関越道→上信越道と、いつもの道をこなして15:00頃帰宅。自分にお疲れ様。
これで「2016年 ポルトガル旅行記4:リスボン」は終了です、本日も最後までご覧頂きありがとうございます。また、全編ご覧いただいた方には最大のオブリガードを差し上げます。
エピローグ
ポルトガルの面積は91,985平方キロメートルで日本の1/4、人口は1,064万人で1/12という小さな国なのだが、かつては世界の海をスペインと2分した栄光の歴史を持っている。しかし、17世紀になると後発のオランダやイギリスとの競争に敗れ、19世紀半ばには頼みの綱のブラジルも独立してしまうなど世界史のひのき舞台からは退場してしまう。それでもアンゴラ、ギニア、ゴア、ティモール、マカオなどの一部植民地は残ったが、それも1961年から2002年にかけて相次いで独立し、ついにポルトガルの植民地は世界地図上から姿を消した。(一部再掲)
ポルトガルというと哀愁とか、郷愁という言葉が似合うそうだが、もの悲しい調べのファドを聞いていると、よけいその言葉がズッシリとくる。しかし、植民地は失ってもポルトガル語はしっかりと根付いており、ブラジルとの交易は人の交流も含めて盛んであり、また、近年観光にも力を入れた結果、観光客も年々増加傾向にある。ラテンの国なので基本的に人々は陽気で親切、物価も安く、ヨーロッパを蝕むテロとは無縁な平和な国、それが今のポルトガルである。
2024/03/06 一部修正 -
OMAKE1
今回のお土産はポルトガル産にこだわらず、オール・ヨーロッパとしました。 -
OMAKE2
左上:左からサンデマン・ポートワイン。2~4本目はポルトガル・ドウロワイン。5~6本目はスペイン・リオハワインです。
右上:チーズなどです。バターだと思って購入したPlantaは植物性マーガリンでした。(^^;;
左下:菓子類はスペイン、UK、スイス、フランス、ドイツなどヨーロッパ連合です。
右下:カルダス・ダ・ライーニャの陶器店で購入したキャベツ柄の皿。毎日使ってます。 -
OMAKE3
上:ポルトガル・ナショナルチームのイミテーションTシャツ。
下:やっとポルトガル製のものが出てきました。イワシの缶詰とオビドスで買ったジャム。そしてギマランイスで買ったマグカップです。
おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
-
- わんぱく大将さん 2017/02/27 02:56:46
- 缶詰
- chikai-kさん
最後のお土産編。それにしても凄いですね。私が日本に帰る時は毎日朝食のパンに使うEXヴァージンオイルのみです。 と思ったら、昔いわしの缶詰を買って帰ったことが。こちらの缶詰、結構いけるんですよね。
大将
- chiaki-kさん からの返信 2017/02/27 10:40:36
- イワシ缶は・・・
- ・
大将さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
> 最後のお土産編。それにしても凄いですね。
ご覧の通り、ほとんどが食料品。それもリーズナブルな
ものばかりです。まあ、ご笑覧くださいませ。
>私が日本に帰る時は・・・EXヴァージンオイルのみです。
EXヴァージンオイルは私も必ず1本購入しますが、
スペインは本場だけあって、おいしいものが多いですよね。
サラダにかけたり、パンにつけたりしていますが、最近は
フライも国内で購入したオリーブ油を使用しています。
>昔いわしの缶詰を買って帰ったことが・・・
4トラの旅行記からイワシの缶詰がポルトガルの名物だ
と知り、3缶買って帰りましたが、タップリとオリーブ油
に浸かったイワシ・・・おいしかったですよ。
では、また。
chiaki-k
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