2016/06/06 - 2016/06/08
1位(同エリア79件中)
chiaki-kさん
- chiaki-kさんTOP
- 旅行記231冊
- クチコミ123件
- Q&A回答139件
- 735,205アクセス
- フォロワー212人
バルト3国、そしてポーランドを巡る旅もいよいよ大詰め。残る見学予定地はヴィエリチカ岩塩坑のみ。今回の旅行記は重い内容のものが多かったので最後は軽めに。
表紙の写真はヴィエリチカ岩塩坑、聖キンガ礼拝堂にある「最後の晩餐」。岩塩採掘坑夫達は岩塩を掘りながら、彫刻も彫ったのだ。ミラノにあるレオナルド・ダ・ヴィンチの作品がお手本なのだが、なかなかよく出来ている。
2024/03/05 一部修正
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
6/6
今朝の朝食はこんな感じ。野菜の種類が多かったのが嬉しい。バナナもgood。 -
8:00に岩塩坑の予約を入れてあるというので、今朝は7:30の出発。標識に Wieliczka の文字が見えてきた。
-
8:20 バス専用駐車場到着。朝の通勤ラッシュ渋滞の為、予定時間に遅れてしまったので、ミニトラブル発生。まあ、こういうときもTDさんが対応してくれるので、ツアーは楽ちん。
-
本当はこの入り口から入るはずだったが・・・
-
こちら側に変更され、結局20分ほど待つようになったが、なんとか入場できた。
-
当初の予定ではEVで地下まで降りるはずだったが、乗り遅れてしまった為、急遽、階段で降りることになる。なお、グループの前に立っている黒い制服を着た男性が、我々を案内してくれる岩塩坑専門のガイドさん。名前は・・・忘れた。
*その後、皆さんの旅行記を見ると、結構階段で降りる方が多いので、最初から階段だったのかも知れない。 -
想像だが、多分EVが故障したときの非常階段と思われる。確か1000段近く降りたはず。降りるのは良いが登るのはかなり大変。
-
階段の中央部分にカメラを突き出して下のほうを撮影するが、う~ん下が見えない。
-
100mほど降りると、やっと階段は終わり、城の門のようなものをくぐっていよいよ構内へ。ドアを開けるたびに、トンネルの向こうからヒンヤリとした風が心地よい。
-
構内は迷路のようになっていて岩盤が剥き出しのところや、このように丸太で組まれたトンネルなどさまざま。
-
岩塩坑は世界中に沢山あるが、ここを有名にしたのは岩塩の彫刻。しかもこれらを彫ったのは芸術家では無く、岩塩採掘の労働者だったのが凄い。写真はポーランドの科学者、コペルニクスの像。ここでヴィエリチカ岩塩坑の歴史についてスタディ。
1038年、ポーランド王国の、ヴィエリチカに岩塩が発見され、1250年に国営企業となる。1996年に採掘が中止されるまで700年以上、岩塩を掘り続けた世界最古の岩塩坑である。深さは地下 327 m 、坑道の全長は 300 km 以上に及ぶ。特筆すべきは、坑道に歴史上や神話上の様々なモチーフを彫った彫像が並んでいることで、その殆どは、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものである。さらには礼拝堂までもが岩塩で造られ、さながら大聖堂のような景観を呈している。そして今では年間100万人以上の観光客が訪れ、ポーランドを代表する観光地のひとつとなっている。 -
キンガ姫の像。伝説ではキンガ姫がこの岩塩坑を発見したとされている。そのいきさつは下記のとおり。
1239年、ハンガリー王国の王女であったキンガ姫は、ポーランド王国のボレスワフ5世と結婚することとなったが、熱心なクリスチャンであったキンガ姫は、結婚に乗り気で無く、ハンガリー王国のマラムレシュ岩塩坑の中に婚約指輪を投げて捨ててしまった、ポーランドへ嫁いでから10年ほどしたある日のこと、クラクフ郊外の、ヴィエリチカ村より「りっぱな指輪が見つかった。」という一報が入った。当時のポーランドは岩塩の輸入国で、その輸入元は主にハンガリー王国であった。そのハンガリーから運ばれてきた岩塩はヴィエリチカにある倉庫に貯蔵されていた。キンガはヴィエリチカへと向かった。現地でその土地の代表者より指輪を見せられたキンガはびっくり仰天した。なんとその指輪は以前、マラムレシュ岩塩坑の中に放り込んで捨てた指輪そのものだった。
これを単なる偶然ではありえないと信じたポーランド王は、国のプロジェクトとして本格的にヴィエリチカの地中を掘り進んでみた。すると、果たして途方もない規模の岩塩床が見つかったのである。1250年、ポーランド王国はこの岩塩床からの塩の採掘を王立の事業とし、大規模な投資を行って事業を再編成した。その後、王国はこの塩の輸出で莫大な利益をあげつづけて行くこととなった。これが有名なヴィエリチカ岩塩坑の逸話である。(Wikipedia参照) -
坑道での作業は常に危険と隣り合わせで、この人形は坑道に貯まったメタンガスを除去するため、ガスに火をつけて小爆発させるという、最も危険な作業。この作業で多くの坑夫達が命を落としたとのこと。
-
岩塩採掘の様子を再現したジオラマ。
-
このように、馬も重要な労働力とされた。
-
坑道には、このように丸太が塩で真っ白になったところもある。
-
また、馬が出てきたが、殆どの馬は、死ぬまで坑道の中で働いた模様。
-
坑道の延長は約300kmにも達するが、観光用に公開されている部分は2.5kmほど。
-
ポーランド王、カジミェシュ3世の胸像。1368年に「クラクフ岩塩採掘法」を制定した王様。
-
ガイドさんは「スパゲティ」と呼んでいた塩のツララ。
-
地下100mからさらに30mほど階段を下る。なお、階段の手前にある石段はかつて坑夫達が利用していたもの。
-
そしてヴィエリチカ岩塩坑最大のハイライトとも言える聖キンガ礼拝堂へ到着。なお、写真撮影は有料で、10Z払って、撮影許可シールを胸に貼る。
-
礼拝堂の壁には坑夫達の力作がズラリと並んでいる。まずはキンガ姫の像。岩塩なので、照明の明かりで体が透けてみえる。
-
イエスの誕生。
-
嬰児殺害。
-
エジプトへの逃避。
-
メインの聖壇に飾られているのは聖キンガの像。
-
イエスの磔刑像もある。
-
カナの婚礼で水をワインに変えた奇蹟のシーン。
-
このシャンデリアも一部は岩塩で作られているらしい。
-
多分、一番有名なのが、この「最後の晩餐」ではなかろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を基にしているが、良く出来ている。
-
ヨハネ・パウロ2世像もあったが、これを彫ったのは坑夫では無く、芸術家。
-
ヴィエリチカ岩塩坑は1978年にユネスコの世界遺産に登録されたが、世界で最初に登録された12件のうちのひとつである。
-
聖キンガ礼拝堂を出て最後に見学したのは塩湖。坑道から湧き出た塩水の貯蔵湖なのだが、イスラエルにある死海と同じく、体が浮くらしい。(入る人はいないけど・・・)
-
巨大なホールのような場所に出てきた。上を見上げるとこんな感じ。
-
そして定番のお土産屋さんがある。
-
布袋に入ったものもあったが、右下にあるスタンダードな2本セットを、お買い上げ。(レシートが行方不明なので値段は不明)
-
これで見学は終わりだが、最後の坑内には様々な施設がある。綺麗なトイレはもちろん、これはスナックコーナーか。
-
カフェもある。
-
そして、こんな立派なレストラン兼セレモニーホールまで。これで、ドワーフのショーまであったら、まるでディズニーランドだ。
-
ガイドさんの案内でEV乗り場まで歩く。
-
EVは2階建てで、一台に8人ほどしか乗れない狭い構造。
-
EVで地上に上がると、そこにもお土産屋さんがある。写真はバラで売っていた岩塩。一袋(1kgか?)7.5Z。多分これが一番安いのでは。(ただし食用かどうかは未確認です)
-
ヴィエリチカ岩塩坑の建物を外側から撮影。屋根の上にある構造物がEVワイヤーの巻取り機か。
-
5分ほど住宅街を歩いて昼食会場のレストランへ移動する。
-
こんなテラスも良いなあと思ったが、室内だった。とりあえずZYWIEC。そしてトマトとチーズのサラダ。チーズがまいう。メインはロールキャベツ。まあまあのお味。
-
昼食後一旦クラクフへ戻り、昨日ミサのため入場できなかった聖マリア大聖堂だけ見学した後、バスに乗り込みワルシャワへ向けて出発。バスの窓にはヴァヴェル城が、我々を見送ってくれた。
-
バスは一昨日来たS8号線では無く7号線を通る。距離的には近いのだが7号線に沿った高速道路は20%程度しか完成していないため、いたる所が工事中。
-
多分EUの融資で建造しているのだろうが、南北を結ぶインフラは、はっきり言って遅れている。
-
ワルシャワまで190km地点。やっと高速道路らしくなったと思ったら・・・
-
また、こうなってしまう。
-
結局ワルシャワの街中にある Golden Tulip Warsawa Center ホテルに到着したのは20:00頃。写真はホテルの夕食。疲れ果てたので写真はこの1枚だけ。
-
夕食後、ホテルの反対側にあるミレニアムプラザ内にあるスーパーで、チーズ、バターなどを購入。部屋の冷蔵庫にしまってから就寝する。(写真はミレニアムタワーとミレニアムプラザ:翌朝撮影)
-
6/7
5:00 ホテルの窓からの眺め。広い道路の向こう側の緑地には鉄道が通っている。 -
通りの反対側にあるのは鉄道博物館。鉄っちゃんでは無いので行かなかったが、装甲列車のような珍しい車両もあるそうだ。
-
朝食はいつものバイキングなのだが、今朝の料理は種類、味、量とも今回のベストだった。テーブルに置かれた花がおしゃれ。
-
今日は帰国の日ではあるが、TDさんから10時30分までフリーとの嬉しいアナウンスがあったので、もう一度旧市内へ行ってみることにした。写真はポーランドの通貨ズオッティ。数字が大きく解りやすいお金だった。
-
キオスクで1日券(15Z)を購入、交差点を渡り、反対側のバス停から175番のバスで旧市街を目指す。なお、左側の建物がミレニアムプラザ。
-
ワルシャワ大学前でバスを降りる。カミさんの後方にある立派な門がワルシャワ大学の門。日本でいえば東大の赤門といったところか。なお、ワルシャワ大学構内にはショパンが暮らした宮殿も残されている模様。
-
通りを横断してサスキ公園方面へ進む。振り返るとショパンが毎週オルガンを弾いていたというヴィジトキ教会が。
-
そして前方には広いサスキ公園が見えてきた。
-
そして、東屋風、白い造りの建物が見えてきた。おっと、兵隊さんだ。
-
無名戦士の墓を守る衛兵さんがいた。ポーランドの兵隊さんの帽子って、昔の大学生の帽子みたいに四角いのね。なお、毎時ちょうどに衛兵の交代式が行われているそうだが時間が無いので今回はパス。
-
サスキ公園の噴水。
-
公園を抜けてマルシャウコフスカ通りを南へ。文化科学宮殿が見えてきた。
-
文化科学宮殿は、高さ237メートル、42階立て、尖塔の高さは49メートルあり、総室数は3288室。全体の総床面積は2万3000平方メートルで、その内部には3000人を収容できる映画館、劇場、博物館、書店、会議場及び展示場を要する。1955年、スターリンによって、ソビエト連邦からのポーランド人民への贈り物としてワルシャワ市内に建設された。ワルシャワ市民の間では、文化科学宮殿を揶揄して「ワルシャワの墓石」又は「スターリンの墓」とも呼ばれることもある。
-
文化科学宮殿の向かいには大型のデパートが建っているのだが、なんと、MARKS&SPENCER だった。
-
ホテルへの帰りの足はトラムを選択。ほとんどが専用軌道を走るのでなかなか快適。
-
チラッと見えたのはワルシャワ中央駅。
-
新しいトラムの車内はこんな感じ。エアコンも効いて快適。
-
10:30 ホテル出発。バスの窓からGolden Tulip ホテルが見えた。
-
15分ほどで、ワルシャワ・ショパン空港到着。写真は空港ロビーに置いてあったピアノ。誰が弾いても良いそうだが、たまにショパンの曲を弾く方も現れるそうだ。
-
13:05発のフィンエアAY0742便にてヘルシンキへ。お隣はWiZZ航空? WEBで調べてみると、ウィズエアーは、2004年より運航を開始したハンガリーのLCCだそうだ。
-
ゲート前はこんな感じ。新しいきれいな空港だった。なお、空港の売店では残ったズウォティでマグカップやチョコレートなどを購入する。
-
では、AY0742便に搭乗。機種はエンブラエルERJ-190。
-
座席は窓際だったため、ワルシャワ~ヘルシンキ間の空を一デジで激写する。LOTとはポ?ランドのフラッグキャリア、ポーランド航空。今年から成田-ワルシャワ間の直行便が就航。
-
ワルシャワよド・ヴィゼニア(さようなら)。
-
今日は雲の上も、雲の下も良い天気。これは何川? (帰国後googleで確認するとワルシャワ西北の街、ノビ・ドブル・マゾビエツキ市らしい。川はビスワ川。)
-
バルト海が見えてきた。ここは多分リトアニア上空か。
-
14:07にANA機とすれ違う。こんなに近くて良いの?
-
タリン上空を通過。
-
ヘルシンキが見えてきた。
-
15:45(FST)ヘルシンキ・ヴァンター国際空港に到着。Fの尻尾をつけた飛行機が一杯。
-
出国手続き後、ゲートへ。ゲート前にはこんなお店発見。アジアの国の皆さんで、ほぼ満席。
-
帰国便は17:15発フィンエアーAY73便・成田行。機種は来るときに乗ってきたエアバスA330-300。最初の食事はこんな感じ。久しぶりのソバが嬉しい。
-
帰りの飛行時間は9時間30分ほど。あっというまにこんな所まで。
-
6/8
映画は見ず、PCも開かず、耳栓をつけて寝ることに集中するが、ウトウトするだけ。グッスリ眠れる人がうらやましい。写真は日本海上空で出された2度目の食事。なお、紙のナフキンはマリメッコ・デザインです。
AY73便は、ほぼ定刻の08:55(JST)に成田空港到着。10:30のホテルのシャトルバスに乗り、車を預けた成田市内のホテルへ。そこでセルボに乗り換えて印西→我孫子→柏→常磐道→外環道→関越道→上信越道を経由して15:00頃帰宅、自分にお疲れ様。 -
すぐ隣に、しかも陸続きで大国があるという状況は、私を含めて日本人は、なかなか理解できないものがある。様々な理由により民族単位の移動が古より行われていたヨーロッパでは、民族間の争いが絶えずに行われ、多くの人々が殺されていった。弱肉強食の諺の通り、強い軍隊を持つ、大きな国が周囲にある小さな国に攻め込み、これを支配してきた歴史は枚挙のいとまも無い。
2022年3月にロシアのウクライナ侵攻がはじまり、また同じ歴史が繰り返されている。原因は1人の人間に長期間権力を与えすぎたことに尽きるのだが、これ以上戦禍が広がらないよう収まってくれることを祈るしかない。
これで「2016年 バルト3国&ポーランド旅行記8:ヴィエリチカ&ワルシャワ」及びバルト3国&ポーランド旅行記は全編終了です。本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございます。もし全編ご覧になった方には最大のデェンクゥイェンを差し上げます。
2024/03/05 一部修正 -
OMAKE1
今回もこんなに買っちゃいました。 -
OMAKE2
これすべて、SAKUビールです。KULDが一番うまかったかな。 -
OMAKE3
ポーランドといえばウォッカですね。ズブロッカは有名ですが、隣のソビエスキも癖が無く、おいしかったです。 -
OMAKE4
(左上)コーヒーはドイツ系が多かったような気がします。
(右上)マグカップ、いろいろ。
(左下)ヴィエリチカで購入した岩塩。これで2年は持ちます。
(右下)2度目のワルシャワで購入したバター&チーズです。右側の白くて穴が沢山開いたチーズがおいしかったです。 -
OMAKE5
(左上)主としてタリンで購入したチョコレート。
(右上)これも同じ。
(左下)クラクフ&ワルシャワで購入したイギリス系紅茶とクスクス、スープの素など。
(右下)各地で購入したTシャツ。左のPOLSKAはポーランド代表チームTシャツのコピー。サッカー好きの息子にあげましたが、あまり喜びませんでした。(^^; -
OMAKE6
最後はこんな買い物バッグです。帰国後、すぐ娘に取られました。
おしまい
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- わんぱく大将さん 2016/08/30 22:31:41
- M&S
- chiaki-kさん
ご無沙汰してました。
中欧、東欧の国々、M&S(マークスパ)やテスコなど、イギリス資本が進出してるようですね。 EUになった時に、イギリス人がこぞって今なら東欧、中欧なら家が安いっぞと、 それに便乗したのでしょうかね?
肝心の岩塩坑、いってみたいです。 よくまあ、ここまでほりました。
働きに行かされた馬が、一生働くなんて、まるで廓ですね。
大将
- chiaki-kさん からの返信 2016/08/31 08:36:07
- そのとおりです
- ・
大将さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
>M&S(マークスパ)やテスコなど、イギリス資本が
進出してるようですね。
今回行ったバルト三国・ポーランドにはイギリス資本
以外にも、Carrefour(仏)、Auchan(仏)、Kaufland
(独)、Rimi(スェーデン)など、旧西側諸国の資本が
雪崩れ込んでいる感じでした。
Maximaはリトアニア資本のようですが、ラトヴィアの
現地ガイドさんは、Maximaを勧めていました。
> 肝心の岩塩坑、いってみたいです。
よくまあ、ここまでほりました。
観光用に開放しているのは、ほんの一部で、最深部は
地下300m位まであるそうです。採掘が廃止された大き
な理由は、これ以上採掘すると、陥没などにより地上
に危険が及ぶからだそうです
> 働きに行かされた馬が、一生働くなんて、まるで廓ですね。
採掘が廃止されたとき、何頭かの馬は地上に戻った
そうですが、それまでは一生、穴の中だったようです。
では、また。
chiaki-k
-
- ニコニコさん 2016/08/24 22:04:20
- 懐かしいです^^
- chiaki-kさん
初めまして ニコニコと申します。
いつも見て下さり、いいね!下さり ジンクイエン。
ポーランドは2013年に行きましたが、ヴィエリチカ入場、大変でしたね。
でも、帰りはEVに乗れたので両方体験出来て良かったのかもですね^^
階段で降りたらその深さが実感できますものね。
書かれている内容も丁寧でお写真も美しくて、私のがハチャメチャなので
恥ずかしくなってしまいます^^;
ニコニコ
- chiaki-kさん からの返信 2016/08/25 09:26:41
- 初めまして
- ・
ニコニコさん、初めまして。私の旅行記にたくさんの
”いいね”をいただき、ありがとうございます。
ここへ来るまでは、アウシュビッツなど気分が重くなる
場所ばかりでしたから、ヴィエリチカはまるで
ディズニーランドに来たような気分になりました。
皆さんの旅行記を拝見しますと結構、階段で降りて
いる方が多いようなので、どうも特別なことでは
無いようですね。
100mの階段を昇るのは大変ですが、下りですから、
まあ、遊園地のようなものと思えば楽勝です。
「世界一周航空券、アテネ・イドラ・ナフプリオン」編
拝見しました。4トラにはUPしていませんが、2001年
11月にギリシャに行ったことがあります。
http://chiaki-k.justhpbs.jp/grr-1.htm
*アテネの地下鉄・・・2014年にオリンピック開催
を控えて、大急ぎで造ったんですが、冷房を
付け忘れた話は有名です。
*アクロポリスの丘・・・アテネ神殿、懐かしいです。
2001年も工事中でしたが、いつまで工事中なんで
しょうか?
*凄い人数の団体・・・C国の方でしょうか?
ちなみに2001年には全く見かけませんでした。
*新アクロポリス博物館・・・2001年には丘の上に
ありましたが、今はこちらなんですね。
*エウゾーニ(衛兵)の交代式・・・
雨に加え、バスの車窓からチラ見しただけでした。
再掲ですが、懐かしい風景をありがとうございました。
しかし、昨年は世界一周50日、今年はスペイン
ポルトガル40日とは、なんともうらやましい限りです。
でも、世界はまだまだ広いので、これからも体調を
整えられて、旅行を楽しんでくださいね。
では、また。
chiaki-k
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ヴィエリチカ(ポーランド) の人気ホテル
ポーランドで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ポーランド最安
487円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
4
94