オルヴィエート旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />2016年6月10日、無事にスペイン、ポルトガルの旅から帰国いたしました。大変充実した1か月でした。気が付けば1年経つというのに、まだ昨年の旅が半分しか更新できていないんですね。国内を含めて、他の旅についても紹介したいのに、いつのことになるやら(汗)・・・しのごの言わないで、気を取り直して、オルヴィエートに駒を進めましょう。<br /><br /><br /><br /><br />

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その61 オルヴィエート1

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2015/05/25 - 2015/05/25

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4

111

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

2016年6月10日、無事にスペイン、ポルトガルの旅から帰国いたしました。大変充実した1か月でした。気が付けば1年経つというのに、まだ昨年の旅が半分しか更新できていないんですね。国内を含めて、他の旅についても紹介したいのに、いつのことになるやら(汗)・・・しのごの言わないで、気を取り直して、オルヴィエートに駒を進めましょう。




旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 4日間滞在した居心地の良いフォリーニョのアパートを後に、オルヴィエートに向かいます。同じウンブリア州ですが、交通の便はあまり良くなくて、結構時間がかかります。ローマ方面への列車を利用してもよかったのですが、私はあえて一番のローカル線かと思われるテロントーラ・コルトーナ経由で向かいました。

    4日間滞在した居心地の良いフォリーニョのアパートを後に、オルヴィエートに向かいます。同じウンブリア州ですが、交通の便はあまり良くなくて、結構時間がかかります。ローマ方面への列車を利用してもよかったのですが、私はあえて一番のローカル線かと思われるテロントーラ・コルトーナ経由で向かいました。

  • 乗換駅のテロントーラです。ここからバスに乗ってルネッサンスの巨匠の一人ルカ・シニョレッリを生んだ町コルトーナの町に行くことも考えたのですが、何せ荷物がねえ・・・というわけで、のんびり次の列車待ちです。

    乗換駅のテロントーラです。ここからバスに乗ってルネッサンスの巨匠の一人ルカ・シニョレッリを生んだ町コルトーナの町に行くことも考えたのですが、何せ荷物がねえ・・・というわけで、のんびり次の列車待ちです。

  • テロントーラへの車中からも見えたまあるい湖トラジメーノ湖をようやく捉えることが出来ました。テロントーラへの列車の窓ガラスは汚れていて、写真撮影一切不可でした。向かいに座ったシスターが「無理無理。やめておきなさい」と言うほどの激しい汚れ方で、この列車の窓ガラスも決してきれいではありませんが、まだずっとまし。湖は古代ローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍と戦って大敗を喫した歴史的古戦場として有名で、イタリアで4番目の広さなんですって。

    テロントーラへの車中からも見えたまあるい湖トラジメーノ湖をようやく捉えることが出来ました。テロントーラへの列車の窓ガラスは汚れていて、写真撮影一切不可でした。向かいに座ったシスターが「無理無理。やめておきなさい」と言うほどの激しい汚れ方で、この列車の窓ガラスも決してきれいではありませんが、まだずっとまし。湖は古代ローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍と戦って大敗を喫した歴史的古戦場として有名で、イタリアで4番目の広さなんですって。

  • オルヴィエートの駅から歩いて7、8分のところにあるホテルウンブリアに無事チェックイン。移動に便利なところを最優先としているので、あえて旧市街を選びませんでした。

    オルヴィエートの駅から歩いて7、8分のところにあるホテルウンブリアに無事チェックイン。移動に便利なところを最優先としているので、あえて旧市街を選びませんでした。

  • 小さいけれどバスタブもあるし、十分です。

    小さいけれどバスタブもあるし、十分です。

  • おっとっと。部屋の写真を忘れました。WiFiがロビー周辺以外には通じないことを除けば不満はありません。ホテルはにぎやかな通り沿いにありますが、幸いなことに私の部屋は裏庭に面していました。

    おっとっと。部屋の写真を忘れました。WiFiがロビー周辺以外には通じないことを除けば不満はありません。ホテルはにぎやかな通り沿いにありますが、幸いなことに私の部屋は裏庭に面していました。

  • 一休みして早速出かけます。駅に向かう道から小高い丘の上の旧市街がよく見えました。よ〜し、上るぞ!

    一休みして早速出かけます。駅に向かう道から小高い丘の上の旧市街がよく見えました。よ〜し、上るぞ!

  • といってもフニコラーレ(ケーブルカー)でですよ! 観光用というよりは、文字通り丘の上の住人たちの足となっているケーブルカーで、バスと共通の切符で乗ることが出来ます。

    といってもフニコラーレ(ケーブルカー)でですよ! 観光用というよりは、文字通り丘の上の住人たちの足となっているケーブルカーで、バスと共通の切符で乗ることが出来ます。

  • 驚いたことに完全自動改札。フニコラーレも遠隔操作運転で乗員はおりません。

    驚いたことに完全自動改札。フニコラーレも遠隔操作運転で乗員はおりません。

  • 一番乗りしたのですが、後から隣の国の団体さんがどぉっと乗り込んできて、見回す限りアジア人がフニコラーレを占領状態でした。地元の人がびびるかも・・・

    一番乗りしたのですが、後から隣の国の団体さんがどぉっと乗り込んできて、見回す限りアジア人がフニコラーレを占領状態でした。地元の人がびびるかも・・・

  • さあ出発です。フニコラーレの終電は8時半頃で、ちょっと早いのですが、その後はバスがあるので帰りの足は大丈夫。旧市街の中央にある大聖堂やレップブリカ広場からなら、バスの方が便利かもしれません。但し本数はとても少ないです。

    さあ出発です。フニコラーレの終電は8時半頃で、ちょっと早いのですが、その後はバスがあるので帰りの足は大丈夫。旧市街の中央にある大聖堂やレップブリカ広場からなら、バスの方が便利かもしれません。但し本数はとても少ないです。

  • フニコラーレがついたこちらがカーエン広場Piazza Cahen。広場にはフニコラーレに接続?のバスが止まっていて、同乗の韓国人たちは、皆そのバスに乗っていきました。私はインフォメーションで、日本語の地図(珍しい!)をもらい、街歩き開始です。<br /><br />

    フニコラーレがついたこちらがカーエン広場Piazza Cahen。広場にはフニコラーレに接続?のバスが止まっていて、同乗の韓国人たちは、皆そのバスに乗っていきました。私はインフォメーションで、日本語の地図(珍しい!)をもらい、街歩き開始です。

  • 緑の並木が続くこちらの道が町のメインストリート コルソ・カブールです。

    緑の並木が続くこちらの道が町のメインストリート コルソ・カブールです。

  • 地図を片手に、まずは、広場の左側に見えるこちらのモニュメントの方に向かいました。

    地図を片手に、まずは、広場の左側に見えるこちらのモニュメントの方に向かいました。

  • 1928年にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が、第一次大戦で戦死した500人のオルヴェート出身者に敬意を表し、建てたモニュメントだそうです。

    1928年にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が、第一次大戦で戦死した500人のオルヴェート出身者に敬意を表し、建てたモニュメントだそうです。

  • その先は崖。下の町オルヴィエート・スカロを見下ろすことが出来ます。旧市街がある丘は標高320m位で凝灰岩からなる天然の要塞です。左に見えるのは、14世紀半ばに教皇領の立て直しを図るためにアルボルノツ枢機卿が作らせた、アルボルノツ要塞の塔です。この人の名前、スポレート、アッシジ等いろいろな所で出てきましたね。

    その先は崖。下の町オルヴィエート・スカロを見下ろすことが出来ます。旧市街がある丘は標高320m位で凝灰岩からなる天然の要塞です。左に見えるのは、14世紀半ばに教皇領の立て直しを図るためにアルボルノツ枢機卿が作らせた、アルボルノツ要塞の塔です。この人の名前、スポレート、アッシジ等いろいろな所で出てきましたね。

  • 旧市街に向かう前に、アルボルノツ要塞を少し見ていきましょう。1353年に当時アヴィニョンにあった教皇庁から派遣されたスペイン人アルボルノツ枢機卿が最初に試みたのは、教皇に反対する勢力ギベリン党(神聖ローマ皇帝を支持する皇帝派)のリーダーの一人ジョヴァンニ・デイ・ヴィーコをヴィテルボとオルヴィエート地区から追放することでした。要塞は1364年から70年にかけて建設されました。要塞は当初堀と跳ね橋を備えていましたが、現在では2枚上の写真の見張り塔を残すのみとなっています。

    旧市街に向かう前に、アルボルノツ要塞を少し見ていきましょう。1353年に当時アヴィニョンにあった教皇庁から派遣されたスペイン人アルボルノツ枢機卿が最初に試みたのは、教皇に反対する勢力ギベリン党(神聖ローマ皇帝を支持する皇帝派)のリーダーの一人ジョヴァンニ・デイ・ヴィーコをヴィテルボとオルヴィエート地区から追放することでした。要塞は1364年から70年にかけて建設されました。要塞は当初堀と跳ね橋を備えていましたが、現在では2枚上の写真の見張り塔を残すのみとなっています。

  • こちらが、アルボルノツ要塞のメインゲートです。中は公園になっていました。

    こちらが、アルボルノツ要塞のメインゲートです。中は公園になっていました。

  • 子供用の遊具などもあり、緑の木々が生い茂る市民の憩いの場になっているようです。

    子供用の遊具などもあり、緑の木々が生い茂る市民の憩いの場になっているようです。

  • あのアーチをくぐると、展望台かなあ・・・

    あのアーチをくぐると、展望台かなあ・・・

  • 果たして、崖の上に突き出した狭い展望台でした。

    果たして、崖の上に突き出した狭い展望台でした。

  • あらら、落書きだらけの可哀そうなヤギさんかな? 今にも力尽きて倒れてしまいそう・・・これはいったいどんな意味があるのかしら???

    あらら、落書きだらけの可哀そうなヤギさんかな? 今にも力尽きて倒れてしまいそう・・・これはいったいどんな意味があるのかしら???

  • 折角なので、風景を楽しみましょう。スカロから上ってくる道が見えていますね。

    折角なので、風景を楽しみましょう。スカロから上ってくる道が見えていますね。

  • 先ほどの写真とあまり変わり映えしませんが、オルヴィエートの谷が一望できるパノラマヴューを楽しむことが出来ました。鉄道の線路、高速道路を超えた辺りには、パリア川がゆったりと流れていました。

    先ほどの写真とあまり変わり映えしませんが、オルヴィエートの谷が一望できるパノラマヴューを楽しむことが出来ました。鉄道の線路、高速道路を超えた辺りには、パリア川がゆったりと流れていました。

  • 公園の一角にあった古い家。何の説明もありませんでした。オルヴィエート出身の作家ルイジ・バルツィーニが住んでいた家があると書いてあったので、これがそうかしら?

    公園の一角にあった古い家。何の説明もありませんでした。オルヴィエート出身の作家ルイジ・バルツィーニが住んでいた家があると書いてあったので、これがそうかしら?

  • さて、街に戻って、旧市街をぶらぶらしましょう。まずはメインストリートのコルソ・カブールを行きます。

    さて、街に戻って、旧市街をぶらぶらしましょう。まずはメインストリートのコルソ・カブールを行きます。

  • 昼休みの時間なのか、ご覧のとおり人通りはあまり多くありません。

    昼休みの時間なのか、ご覧のとおり人通りはあまり多くありません。

  • 「手作り陶器」工房の前には、美しいピンクと黄色の絵皿が何枚も壁にかかっていました。しかし、このピンク、本当にうっとりするほど綺麗・・・

    「手作り陶器」工房の前には、美しいピンクと黄色の絵皿が何枚も壁にかかっていました。しかし、このピンク、本当にうっとりするほど綺麗・・・

  • こちらがお店のようです。いつも荷物の重さと格闘しているため、見るだけで我慢です。くすん・・・

    こちらがお店のようです。いつも荷物の重さと格闘しているため、見るだけで我慢です。くすん・・・

  • ちょっと横町に入って、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会を見ていきましょう。地震のために1875年に再建された新しい建物ですが、1233年に創建され1265年に完成した、オルヴィエートでも古い歴史を持つ教会の一つで、修道院を併設しています。

    ちょっと横町に入って、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会を見ていきましょう。地震のために1875年に再建された新しい建物ですが、1233年に創建され1265年に完成した、オルヴィエートでも古い歴史を持つ教会の一つで、修道院を併設しています。

  • このビニールの上に描かれた天使たちがおかしいでしょ。イタリアで初めて見るビニール張りのファサードです。現在修復中なのかなあ・・・そういう風には見えませんが。

    このビニールの上に描かれた天使たちがおかしいでしょ。イタリアで初めて見るビニール張りのファサードです。現在修復中なのかなあ・・・そういう風には見えませんが。

  • ついでなので、もう片方も見せちゃいます。これは希望は持てないなと思いましたが、中に入ったら、

    ついでなので、もう片方も見せちゃいます。これは希望は持てないなと思いましたが、中に入ったら、

  • じゃ〜ん、花絨毯が床に置かれていました。スペッロのインフォラータには時期が合いませんでしたが、ちょうどオルヴィエートでは5月20日から24日まで花の祭典が行われていたのだそうです。ということは、祭りで使われたお古ってわけね! でもまだ十分楽しめます。

    じゃ〜ん、花絨毯が床に置かれていました。スペッロのインフォラータには時期が合いませんでしたが、ちょうどオルヴィエートでは5月20日から24日まで花の祭典が行われていたのだそうです。ということは、祭りで使われたお古ってわけね! でもまだ十分楽しめます。

  • どうやら、美術学校の生徒の作品のようですよ。

    どうやら、美術学校の生徒の作品のようですよ。

  • 折角なので、教会の中を一巡しました。近所の人たちが集まる集会所みたいな雰囲気漂う教会です。主祭壇からカウンターファサードを眺めた1枚。身廊の両側には狭い通路でつながった3つずつの礼拝堂があります。

    折角なので、教会の中を一巡しました。近所の人たちが集まる集会所みたいな雰囲気漂う教会です。主祭壇からカウンターファサードを眺めた1枚。身廊の両側には狭い通路でつながった3つずつの礼拝堂があります。

  • 丸いドームを支える4本の柱が印象的な主祭壇です。主祭壇の下には、福者オルヴィエートのトマスの聖遺物が収められています。

    丸いドームを支える4本の柱が印象的な主祭壇です。主祭壇の下には、福者オルヴィエートのトマスの聖遺物が収められています。

  • この方が15世紀の福者オルヴェートのトマスです。彼が右手に持っているのはイチジクの木。時季外れなのにイチジクを欲しがった妊婦のために熱心に祈りを捧げたトマスは、果樹園で見事に熟した3個のイチジクの実を見つけ、それを妊婦に与えたのだそうです。この逸話から福者トマスは「イチジクの兄弟」と呼ばれています。

    この方が15世紀の福者オルヴェートのトマスです。彼が右手に持っているのはイチジクの木。時季外れなのにイチジクを欲しがった妊婦のために熱心に祈りを捧げたトマスは、果樹園で見事に熟した3個のイチジクの実を見つけ、それを妊婦に与えたのだそうです。この逸話から福者トマスは「イチジクの兄弟」と呼ばれています。

  • マリアの僕(しもべ)修道会(イタリア名セルヴィ)の聖人サン・ペレグリーネ・ラツィオージに捧げる祭壇です。彼はガン、エイズなどの病気の守護聖人です。これには、こんなエピソード?伝説?がありましたよ。<br /><br />ペレグリーネ自身が60歳の時、右足がガンに侵され、切断するしかないという診断を受けたのです。手術前夜、キリストの磔のフレスコの前で祈り続けた後、彼は昏睡状態のような眠りに陥り、夢うつつの中でキリストが十字架から降りてきて、そっと彼の足に触れたように思いました。翌日医者は首を傾げ、どこにもガンの兆候はないと宣言。奇跡的なこの治癒のニュースは瞬く間に町中に広がり、その後彼は訪ねてくる病人を何人も救ったそうです。ペレグリーネは85歳まで生き、熱病で亡くなりました。またまた、奇跡のお話でした。

    マリアの僕(しもべ)修道会(イタリア名セルヴィ)の聖人サン・ペレグリーネ・ラツィオージに捧げる祭壇です。彼はガン、エイズなどの病気の守護聖人です。これには、こんなエピソード?伝説?がありましたよ。

    ペレグリーネ自身が60歳の時、右足がガンに侵され、切断するしかないという診断を受けたのです。手術前夜、キリストの磔のフレスコの前で祈り続けた後、彼は昏睡状態のような眠りに陥り、夢うつつの中でキリストが十字架から降りてきて、そっと彼の足に触れたように思いました。翌日医者は首を傾げ、どこにもガンの兆候はないと宣言。奇跡的なこの治癒のニュースは瞬く間に町中に広がり、その後彼は訪ねてくる病人を何人も救ったそうです。ペレグリーネは85歳まで生き、熱病で亡くなりました。またまた、奇跡のお話でした。

  • 左側2番目の祭壇にあった15世紀のフレスコ「玉座の聖母子」。ピエトロ・ディ・ニコラ・バローニの作と言われています。1473年という年号の入った落書きが左下にあるので、この作品はそれ以前に描かれたものとされています。

    左側2番目の祭壇にあった15世紀のフレスコ「玉座の聖母子」。ピエトロ・ディ・ニコラ・バローニの作と言われています。1473年という年号の入った落書きが左下にあるので、この作品はそれ以前に描かれたものとされています。

  • 献花がひときわ目立つ美しいマリア像。胸には全部で7本の剣が突き刺さっているように見えます。聖母は深い悲しみの表情を浮かべていました。

    献花がひときわ目立つ美しいマリア像。胸には全部で7本の剣が突き刺さっているように見えます。聖母は深い悲しみの表情を浮かべていました。

  • これは説明がなかったので、古い作品ではないでしょうが、養父ヨゼフに抱かれた幼子かしら?珍しい組み合わせなのでパチリ!

    これは説明がなかったので、古い作品ではないでしょうが、養父ヨゼフに抱かれた幼子かしら?珍しい組み合わせなのでパチリ!

  • 修道院への入り口のルーネットのフレスコ画です。下には、マリアの僕 707年と書かれた碑文がありました。707年じゃあ計算合わないんだけれど・・・

    修道院への入り口のルーネットのフレスコ画です。下には、マリアの僕 707年と書かれた碑文がありました。707年じゃあ計算合わないんだけれど・・・

  • サンタ・マリア・デイ・セルヴィを出てしばらく行くと、今度はロマネスク様式の建物と愛らしい鐘楼が見えてきました。ちょこんと出っ張った後陣も可愛い!<br />インフォメーションでもらった地図には出ていない小さな教会です。

    サンタ・マリア・デイ・セルヴィを出てしばらく行くと、今度はロマネスク様式の建物と愛らしい鐘楼が見えてきました。ちょこんと出っ張った後陣も可愛い!
    インフォメーションでもらった地図には出ていない小さな教会です。

  • サント・ステファノ教会。13世紀の建造です。こういうロマネスクの教会にどんどん惹かれていく自分がいます。裏道に回ったら幸運にも扉が開いたので、中に入ることが出来ました。

    サント・ステファノ教会。13世紀の建造です。こういうロマネスクの教会にどんどん惹かれていく自分がいます。裏道に回ったら幸運にも扉が開いたので、中に入ることが出来ました。

  • 内部は一廊式。大規模な修繕を行った後のようです。かつては壁一面に描かれていたと思われるフレスコの断片があちらこちらに残っていました。教会としての機能はまだ失われていないようです。

    内部は一廊式。大規模な修繕を行った後のようです。かつては壁一面に描かれていたと思われるフレスコの断片があちらこちらに残っていました。教会としての機能はまだ失われていないようです。

  • 主祭壇後ろの壁には、左右に磔場面のフレスコが残されていました。右側上の絵にはキリストと聖母、福音記者聖ヨハネと白い服を着たヒエロニムスが、下の絵には天国で選ばれしものの姿が。

    主祭壇後ろの壁には、左右に磔場面のフレスコが残されていました。右側上の絵にはキリストと聖母、福音記者聖ヨハネと白い服を着たヒエロニムスが、下の絵には天国で選ばれしものの姿が。

  • そして左壁には、キリストと聖母と福音記者聖ヨハネ、下の絵には大アントニオスと洗礼者聖ヨハネとともにいるキリストの姿が描かれていました。下の絵はいずれも損傷が激しく、顔も誰だか良く分かりません。

    そして左壁には、キリストと聖母と福音記者聖ヨハネ、下の絵には大アントニオスと洗礼者聖ヨハネとともにいるキリストの姿が描かれていました。下の絵はいずれも損傷が激しく、顔も誰だか良く分かりません。

  • そして中央の窪んだ部分に描かれていたのは、玉座の聖ステファノです。まだ少年のような幼さが残る顔つきで、右手にヤシの葉、左手に書物を持った姿で玉座についています。「ステファノは天使のような顔をしていた」とウィキペディアに書いてありましたが、本当ですねえ。中央の絵は他のものと比べると保存状態が大変良好だと思われます。<br /><br />元々は左右のフレスコの間に碑文が書かれていたのでしょうが、今は一部分しか見ることが出来ません。

    そして中央の窪んだ部分に描かれていたのは、玉座の聖ステファノです。まだ少年のような幼さが残る顔つきで、右手にヤシの葉、左手に書物を持った姿で玉座についています。「ステファノは天使のような顔をしていた」とウィキペディアに書いてありましたが、本当ですねえ。中央の絵は他のものと比べると保存状態が大変良好だと思われます。

    元々は左右のフレスコの間に碑文が書かれていたのでしょうが、今は一部分しか見ることが出来ません。

  • 主祭壇向かって右側の壁にあったのは、磔の一部分と左右にいる聖母、聖ジョルジュ、大天使聖ミケーレ。一番左側の司教は、別の絵の一部分のようです。名前はわかっていません。

    主祭壇向かって右側の壁にあったのは、磔の一部分と左右にいる聖母、聖ジョルジュ、大天使聖ミケーレ。一番左側の司教は、別の絵の一部分のようです。名前はわかっていません。

  • この教会磔図のフレスコが非常に多いですね。<br /><br />そして、こちらが最後のフレスコです。右側の1枚はこれも磔の一部分と左にいる聖母と女性の聖人。この女性殉教者の聖人に注目。なんと首に剣が刺さっています!更に火あぶりの刑に処されている最中のよう。彼女の口から出ているものはいったい何でしょうか? 平然としたその表情が逆に恐ろしいです。この女性聖人の名前もわかっていないみたいでした。<br /><br />左上の1枚はキリストの復活です。

    この教会磔図のフレスコが非常に多いですね。

    そして、こちらが最後のフレスコです。右側の1枚はこれも磔の一部分と左にいる聖母と女性の聖人。この女性殉教者の聖人に注目。なんと首に剣が刺さっています!更に火あぶりの刑に処されている最中のよう。彼女の口から出ているものはいったい何でしょうか? 平然としたその表情が逆に恐ろしいです。この女性聖人の名前もわかっていないみたいでした。

    左上の1枚はキリストの復活です。

  • なおもメインストリートのコルソ・カブールの散策を続けます。大変歴史がありそうな古い民家の壁には「星 地区」という看板が掲げられていました。

    なおもメインストリートのコルソ・カブールの散策を続けます。大変歴史がありそうな古い民家の壁には「星 地区」という看板が掲げられていました。

  • こちらの家も下半分は中世の佇まい。手がかかっても古いものを残そうとするイタリア人の努力には頭が下がります。

    こちらの家も下半分は中世の佇まい。手がかかっても古いものを残そうとするイタリア人の努力には頭が下がります。

  • 古い外壁と色鮮やかな花がよく合いますねぇ・・・

    古い外壁と色鮮やかな花がよく合いますねぇ・・・

  • お店の入り口に1対置いてあった、目が覚めるようなラヴェンダー色の球状のお花。これも花祭りの名残でしょうか?

    お店の入り口に1対置いてあった、目が覚めるようなラヴェンダー色の球状のお花。これも花祭りの名残でしょうか?

  • お店の中もラヴェンダー色が溢れていました。

    お店の中もラヴェンダー色が溢れていました。

  • こちらはタイル工房かな?

    こちらはタイル工房かな?

  • タイルには昆虫か芋虫か・・・想像上の生き物が沢山登場します。

    タイルには昆虫か芋虫か・・・想像上の生き物が沢山登場します。

  • 次に目が留まったのはこれまたオルヴィエートで一二を争う古さの教会サンタンジェロ。1933年に後陣近くの壁の中から小さな部屋が見つかりましたが、なんと5、6世紀の建造だということがわかったそうです。この教会自体は11世紀に建てられたという記録が残っています。

    次に目が留まったのはこれまたオルヴィエートで一二を争う古さの教会サンタンジェロ。1933年に後陣近くの壁の中から小さな部屋が見つかりましたが、なんと5、6世紀の建造だということがわかったそうです。この教会自体は11世紀に建てられたという記録が残っています。

  • 教会前に飾られた豪華な花飾り。これも紫がとてもシックな色合いで素敵!

    教会前に飾られた豪華な花飾り。これも紫がとてもシックな色合いで素敵!

  • 横から見ると、まるで花の滝のようです!

    横から見ると、まるで花の滝のようです!

  • 開いていたので覗いてみましたが、一廊式で、身廊の両側に礼拝堂が二つずつある至ってシンプルな構造でした。半球状のドームを持った後陣、聖遺物が収められていそうな主祭壇だけ見て、引き返します。

    開いていたので覗いてみましたが、一廊式で、身廊の両側に礼拝堂が二つずつある至ってシンプルな構造でした。半球状のドームを持った後陣、聖遺物が収められていそうな主祭壇だけ見て、引き返します。

  • 通りのあちこちに、花祭りの余韻が感じられました。

    通りのあちこちに、花祭りの余韻が感じられました。

  • 横町の窓辺にも花がいっぱい!

    横町の窓辺にも花がいっぱい!

  • パラッツォ・グイドーニという表札のある家。

    パラッツォ・グイドーニという表札のある家。

  • だんだん賑やかになってきましたよ。日本じゃ考えられないけれど、これはスーパーマーケットMETAの入り口です。中はしごく普通のスーパーだけれど、入り口は全く目立ちません。広告等も一切なし。滞在中お世話になりました。

    だんだん賑やかになってきましたよ。日本じゃ考えられないけれど、これはスーパーマーケットMETAの入り口です。中はしごく普通のスーパーだけれど、入り口は全く目立ちません。広告等も一切なし。滞在中お世話になりました。

  • オルヴィエート旧市街の一番の繁華街に差し掛かったようです。

    オルヴィエート旧市街の一番の繁華街に差し掛かったようです。

  • 趣のある横道があったので、曲がってみました。ほとんど樹木のない道が多いのですが、ここはわずかなスペースを生かして、緑が植えられています。歩く人の邪魔にならないよう、幹は細く、枝を伸ばさないよう手入れがされていますが、緑があるとないとでは大違い。とても気持ちが休まるオアシスのような雰囲気です。

    趣のある横道があったので、曲がってみました。ほとんど樹木のない道が多いのですが、ここはわずかなスペースを生かして、緑が植えられています。歩く人の邪魔にならないよう、幹は細く、枝を伸ばさないよう手入れがされていますが、緑があるとないとでは大違い。とても気持ちが休まるオアシスのような雰囲気です。

  • こういう素朴な石の彫り物を見ると、幸せな気分になります。田舎道で石仏と出会った時と同じ気分。

    こういう素朴な石の彫り物を見ると、幸せな気分になります。田舎道で石仏と出会った時と同じ気分。

  • 近くに木工を扱う店があるのか、こうした木のモニュメントがいくつか壁を飾っていました。

    近くに木工を扱う店があるのか、こうした木のモニュメントがいくつか壁を飾っていました。

  • 木のモニュメントの下のベンチで休んでいたカップル。奥様はカメラに応えてくれました。

    木のモニュメントの下のベンチで休んでいたカップル。奥様はカメラに応えてくれました。

  • こちらが工房みたい。木馬に誘われて店内へ。流石に店内での撮影は控えました。

    こちらが工房みたい。木馬に誘われて店内へ。流石に店内での撮影は控えました。

  • こちらも、工房パート2。素敵な木工製品が沢山並んでいましたよ。

    こちらも、工房パート2。素敵な木工製品が沢山並んでいましたよ。

  • ローマ時代の列柱が並ぶ広場に出ました。レプブリカ広場です。旧市街の中心のようです。花祭りの横断幕がまだ取り外されないまま残っていました。1日違いだったのね。がっかり・・・

    ローマ時代の列柱が並ぶ広場に出ました。レプブリカ広場です。旧市街の中心のようです。花祭りの横断幕がまだ取り外されないまま残っていました。1日違いだったのね。がっかり・・・

  • 名残のお花をもう1枚。

    名残のお花をもう1枚。

  • 色とりどりの旗がぶら下がっているのがオルヴィエートの市庁舎パラッツォ・コムナーレ。最初の市庁舎は12世紀に建てられましたが、現在見えているのは1573年から81年にかけて再建されたもの。中央に見える小さな旗の下は、れっきとした通りで、ガリバルディ通りと呼ばれています。<br /><br />左側の12角形の塔はお隣のサンタンドレア教会の鐘楼で、こちらは12世紀に建造されたものですが、1514年に一部が崩壊し、その後何度も修復されています。3つ並んだ方立のある窓が素敵!

    色とりどりの旗がぶら下がっているのがオルヴィエートの市庁舎パラッツォ・コムナーレ。最初の市庁舎は12世紀に建てられましたが、現在見えているのは1573年から81年にかけて再建されたもの。中央に見える小さな旗の下は、れっきとした通りで、ガリバルディ通りと呼ばれています。

    左側の12角形の塔はお隣のサンタンドレア教会の鐘楼で、こちらは12世紀に建造されたものですが、1514年に一部が崩壊し、その後何度も修復されています。3つ並んだ方立のある窓が素敵!

  • こちらがレプブリカ広場に面するサンタンドレア教会です。左側にはコルソ・カブールに面している列柱の並んだポルティコがあります。最初の教会は1013年の創建。教会の下にはキリスト教以前のエトルリア時代の遺構が残っていて、1926年に教会の床が崩れ落ちた際に発見されたそうです。遺構の規模や状態から、ここがエトルリア時代にも街の中心だったとされています。

    こちらがレプブリカ広場に面するサンタンドレア教会です。左側にはコルソ・カブールに面している列柱の並んだポルティコがあります。最初の教会は1013年の創建。教会の下にはキリスト教以前のエトルリア時代の遺構が残っていて、1926年に教会の床が崩れ落ちた際に発見されたそうです。遺構の規模や状態から、ここがエトルリア時代にも街の中心だったとされています。

  • 教会の床は多分、下にある遺構の影響で1512年と1926年の2回崩れ落ちていて、最近では1992年に大改修を行っています。<br /><br />現在の教会のファサードは、1487年に再建されたものが残っていますが、残念ながら中央扉上のルーネットの浮彫は1928年の作です。3色で構成されたとてもシンプルなファサードでした。

    教会の床は多分、下にある遺構の影響で1512年と1926年の2回崩れ落ちていて、最近では1992年に大改修を行っています。

    現在の教会のファサードは、1487年に再建されたものが残っていますが、残念ながら中央扉上のルーネットの浮彫は1928年の作です。3色で構成されたとてもシンプルなファサードでした。

  • 内部は三廊式。左右5本ずつの花崗岩の列柱が身廊と側廊を隔てています。列柱は1512年の床の崩壊以前から使われていたものの再利用で、柱頭だけはその時置き換えられました。天井はシンプルなトラス構造ですね。

    内部は三廊式。左右5本ずつの花崗岩の列柱が身廊と側廊を隔てています。列柱は1512年の床の崩壊以前から使われていたものの再利用で、柱頭だけはその時置き換えられました。天井はシンプルなトラス構造ですね。

  • 説教壇も以前の建物から持ち込まれたスラブの再利用で、おそらく13世紀のもの。コズマーティ風のモザイクが大変美しかったです。<br /><br />ここからちらっと見える右翼廊の天井は星空をイメージしていますね。

    説教壇も以前の建物から持ち込まれたスラブの再利用で、おそらく13世紀のもの。コズマーティ風のモザイクが大変美しかったです。

    ここからちらっと見える右翼廊の天井は星空をイメージしていますね。

  • 説教壇とそこに上る階段。綺麗なカーブを描いています。

    説教壇とそこに上る階段。綺麗なカーブを描いています。

  • 左側のかなりダメージのあるフレスコ画は、14世紀末、ピエトロ・ディ・プッチョの作品。聖母子の両側には大アントニオスと福音記者聖マルコ、そして寄進者の姿が描かれています。

    左側のかなりダメージのあるフレスコ画は、14世紀末、ピエトロ・ディ・プッチョの作品。聖母子の両側には大アントニオスと福音記者聖マルコ、そして寄進者の姿が描かれています。

  • こうなると、もう見分けがつきませんね。

    こうなると、もう見分けがつきませんね。

  • 主祭壇向かって左側の壁にあったのは、左 両親を殺した後の聖ジュリアン。「聖ジュリアン」はフロベールの小説で有名になりましたが、ありとあらゆる残虐なことを繰り返し、挙句の果てに両親を殺してから己の罪深さを悟り、そこから這い上がって聖人まで上り詰めた人です。興味のある方は、フロベールの唯一の短編集「3つの物語」をお読みください。<br /><br />右には、聖ジョルジュと大アントニオスの姿が描かれていました。こちらの2片のフレスコは15世紀のものとされています。

    主祭壇向かって左側の壁にあったのは、左 両親を殺した後の聖ジュリアン。「聖ジュリアン」はフロベールの小説で有名になりましたが、ありとあらゆる残虐なことを繰り返し、挙句の果てに両親を殺してから己の罪深さを悟り、そこから這い上がって聖人まで上り詰めた人です。興味のある方は、フロベールの唯一の短編集「3つの物語」をお読みください。

    右には、聖ジョルジュと大アントニオスの姿が描かれていました。こちらの2片のフレスコは15世紀のものとされています。

  • 再び右翼廊です。小さくてはっきりとしませんが、星空の下には「キリストの栄光と聖人達」というルドヴィコ・マッツァンティの絵が飾られていました。1713年から4年頃の作品。

    再び右翼廊です。小さくてはっきりとしませんが、星空の下には「キリストの栄光と聖人達」というルドヴィコ・マッツァンティの絵が飾られていました。1713年から4年頃の作品。

  • 主祭壇右側にあったロザリオのマリア像。強烈な光輪が人々を引き寄せます。

    主祭壇右側にあったロザリオのマリア像。強烈な光輪が人々を引き寄せます。

  • この教会が捧げている聖アンデレの像。こちらは最近の作のようですね。

    この教会が捧げている聖アンデレの像。こちらは最近の作のようですね。

  • バラ窓のステンドグラスにも、アンデレのシンボルX十字が見られました。なお、教会の下に眠る遺構には、ガイド付きツアーで見学が可能だそうです。時間の都合で今回はパスしましたが、初期の教会の他、ローマ時代、それより前のエトルリア時代の3つ一緒に見ることが出来る遺跡というのは、期待できますね。

    バラ窓のステンドグラスにも、アンデレのシンボルX十字が見られました。なお、教会の下に眠る遺構には、ガイド付きツアーで見学が可能だそうです。時間の都合で今回はパスしましたが、初期の教会の他、ローマ時代、それより前のエトルリア時代の3つ一緒に見ることが出来る遺跡というのは、期待できますね。

  • サンタンドレア教会を出て、再びレプブリカ広場の中央に立っています。

    サンタンドレア教会を出て、再びレプブリカ広場の中央に立っています。

  • 市庁舎の中央辺りのアーチをくぐり、前述のガリバルディ通を少し歩いてみましょう。

    市庁舎の中央辺りのアーチをくぐり、前述のガリバルディ通を少し歩いてみましょう。

  • トンネルのようなアーチをくぐって左に折れる道を行くと、向かって左側にサンタンドレア教会の裏口を発見しました。エトルリア時代の遺跡はこちらの入り口から入るのかな?

    トンネルのようなアーチをくぐって左に折れる道を行くと、向かって左側にサンタンドレア教会の裏口を発見しました。エトルリア時代の遺跡はこちらの入り口から入るのかな?

  • 右側には、花に囲まれたトラットリア パロンバ。この辺りはレストランやトラットリアが多くみられました。

    右側には、花に囲まれたトラットリア パロンバ。この辺りはレストランやトラットリアが多くみられました。

  • そろそろ大聖堂に行かないとと、レプブリカ広場の隅にあった大きな地図で確認します。街の散策は明日午前中にも時間が取れるので、今日は大本命の大聖堂を目指すことにしましょう。

    そろそろ大聖堂に行かないとと、レプブリカ広場の隅にあった大きな地図で確認します。街の散策は明日午前中にも時間が取れるので、今日は大本命の大聖堂を目指すことにしましょう。

  • 16世紀に建てられた、今はレストランになっているパラッツォ・グァルテリオのある広場を抜けて、

    16世紀に建てられた、今はレストランになっているパラッツォ・グァルテリオのある広場を抜けて、

  • 狭いドゥオモ通りを進んでいくと、目指す美しい大聖堂が姿を現しました。こういう瞬間がたまらなく好きです。

    狭いドゥオモ通りを進んでいくと、目指す美しい大聖堂が姿を現しました。こういう瞬間がたまらなく好きです。

  • 日常とはかけ離れた高貴なものを垣間見た瞬間です。

    日常とはかけ離れた高貴なものを垣間見た瞬間です。

  • じゃ〜ん! シエナの大聖堂を髣髴させる美しいファサードとご対面です。<br /><br />あれぇ、ボケている!!

    じゃ〜ん! シエナの大聖堂を髣髴させる美しいファサードとご対面です。

    あれぇ、ボケている!!

  • 青空にくっきりと姿を現したオルヴィエートの至宝大聖堂です。シエナの大聖堂に似ているのは建築開始がほぼ同時期ということと、同じ建築家ロレンツォ・マイターニが関わっているということ、シエナの大聖堂のファサードを作ったジョヴァンニ・ピサーノの影響を受けたということなどが挙げられます。<br /><br />大聖堂の建設は1290年に始まりましたが、その時はロマネスク様式だったらしいです。それから完成を見るまでに実に300年以上かかっています。内部はともかくとして、ファサードに関しては、シエナ出身のロレンツォ・マイターニによる部分が多いそうですが、彼が仕事をしたのは1310年から30年までのたった20年間だけ。よって、それから完成までの間に、一体何人の建築家が関わったことやら・・・ともあれ、こんな完成度の高いファサードはイタリア全土を見回したって、そう多くはありません。

    青空にくっきりと姿を現したオルヴィエートの至宝大聖堂です。シエナの大聖堂に似ているのは建築開始がほぼ同時期ということと、同じ建築家ロレンツォ・マイターニが関わっているということ、シエナの大聖堂のファサードを作ったジョヴァンニ・ピサーノの影響を受けたということなどが挙げられます。

    大聖堂の建設は1290年に始まりましたが、その時はロマネスク様式だったらしいです。それから完成を見るまでに実に300年以上かかっています。内部はともかくとして、ファサードに関しては、シエナ出身のロレンツォ・マイターニによる部分が多いそうですが、彼が仕事をしたのは1310年から30年までのたった20年間だけ。よって、それから完成までの間に、一体何人の建築家が関わったことやら・・・ともあれ、こんな完成度の高いファサードはイタリア全土を見回したって、そう多くはありません。

  • こちらが2014年に撮ったシエナの大聖堂のファサード。全体的な構成要素はほぼ同じ。異なる部分といえば、まず石の色。シエナは白、オルヴィエートはピンクがかった大理石を使用しています。ポータル(扉)部分の横幅がシエナは等分、オルヴィエートは中央部分が広い。モザイクはシエナ3枚に対しオルヴィエートは合計10か所!両側に立つ尖塔はシエナのそれが聖人達の像で装飾されているのに対し、オルヴィエートのものは、直線美を誇っています。イタリアでは数少ないゴシック建築ですが、三大ゴシック建築の一つとされています。ミラノ、シエナ、オルヴィエートで良いのかしら?

    こちらが2014年に撮ったシエナの大聖堂のファサード。全体的な構成要素はほぼ同じ。異なる部分といえば、まず石の色。シエナは白、オルヴィエートはピンクがかった大理石を使用しています。ポータル(扉)部分の横幅がシエナは等分、オルヴィエートは中央部分が広い。モザイクはシエナ3枚に対しオルヴィエートは合計10か所!両側に立つ尖塔はシエナのそれが聖人達の像で装飾されているのに対し、オルヴィエートのものは、直線美を誇っています。イタリアでは数少ないゴシック建築ですが、三大ゴシック建築の一つとされています。ミラノ、シエナ、オルヴィエートで良いのかしら?

  • 詳細部分を見ていきます。まずは、一番目立つ中央最上部に燦然と輝くモザイクから。あら あら? なんだか白い絆創膏のようなものが見えますね。ちょうどキリストの頭の上、彼の右上、聖母の下の部分の3か所はモザイクが剥がれて応急処置をしているようです。工事に入る前で良かった。大聖堂の一か所でもシートや足場が組んであったら、感激も薄れてしまいますよね。<br /><br />見えている「聖母戴冠」のモザイクは実は三度目のもので、15世紀にサーノ・ディ・ピエトロにより描かれた原画を元に1842年から7年頃設置されたものです。以前のヴァージョンの断片はドゥオモ付属美術館で見ることが可能です。

    詳細部分を見ていきます。まずは、一番目立つ中央最上部に燦然と輝くモザイクから。あら あら? なんだか白い絆創膏のようなものが見えますね。ちょうどキリストの頭の上、彼の右上、聖母の下の部分の3か所はモザイクが剥がれて応急処置をしているようです。工事に入る前で良かった。大聖堂の一か所でもシートや足場が組んであったら、感激も薄れてしまいますよね。

    見えている「聖母戴冠」のモザイクは実は三度目のもので、15世紀にサーノ・ディ・ピエトロにより描かれた原画を元に1842年から7年頃設置されたものです。以前のヴァージョンの断片はドゥオモ付属美術館で見ることが可能です。

  • お次は第二層左側のモザイク。現在のものは1381年に作られたピエトロ・デ・プッチョらのオリジナルに代わり、1612年に描かれたアントニオ・チルチニャーニ(イル・ポマランチョ)の下絵によるもので、1786年に完成した「マリアの結婚」の場面です。親子ほど年齢の違う?夫ヨセフもここでは比較的若く描かれていますね。

    お次は第二層左側のモザイク。現在のものは1381年に作られたピエトロ・デ・プッチョらのオリジナルに代わり、1612年に描かれたアントニオ・チルチニャーニ(イル・ポマランチョ)の下絵によるもので、1786年に完成した「マリアの結婚」の場面です。親子ほど年齢の違う?夫ヨセフもここでは比較的若く描かれていますね。

  • バラ窓はアンドレア・ロルカーニャにより1354年から1380年にかけて、その四隅にいる教会博士達のモザイクはピエトロ・プッチーニによって、1388年頃に作られました。<br /><br />バラ窓の周りを12使徒、旧約聖書に出てくる12人の預言者達の彫像が取り囲んでいます。これはフランスのゴシック建築でよく見られる様式ですね。

    バラ窓はアンドレア・ロルカーニャにより1354年から1380年にかけて、その四隅にいる教会博士達のモザイクはピエトロ・プッチーニによって、1388年頃に作られました。

    バラ窓の周りを12使徒、旧約聖書に出てくる12人の預言者達の彫像が取り囲んでいます。これはフランスのゴシック建築でよく見られる様式ですね。

  • 第二層向かって右側のモザイクは、1360年に作られた左側と同じプッチョによるオリジナルに代わり、1650年頃ジャコモ・ピエルッチによって作られた下絵を元にしている「マリアのお披露目」。モザイクはその後何度も修復されていますが、こちらのオリジナルもドゥオモ付属の美術館で見ることが出来るそうです。

    第二層向かって右側のモザイクは、1360年に作られた左側と同じプッチョによるオリジナルに代わり、1650年頃ジャコモ・ピエルッチによって作られた下絵を元にしている「マリアのお披露目」。モザイクはその後何度も修復されていますが、こちらのオリジナルもドゥオモ付属の美術館で見ることが出来るそうです。

  • 第三層左側のモザイクです。上半分には「受胎告知」、下の三角のペディメント部分には「キリストの洗礼」が描かれています。オリジナルはそれぞれネッロ・ダ・ローマ、ロルカーニャらが1360年頃に手掛けたものですが、こちらも現存していません。現在見られるモザイクは、「キリストの洗礼」はジャコモ・ピエルッチ(1583年)、「受胎告知」はチエーザレ・ネッビア(1649年)が、それぞれ完成させています。

    第三層左側のモザイクです。上半分には「受胎告知」、下の三角のペディメント部分には「キリストの洗礼」が描かれています。オリジナルはそれぞれネッロ・ダ・ローマ、ロルカーニャらが1360年頃に手掛けたものですが、こちらも現存していません。現在見られるモザイクは、「キリストの洗礼」はジャコモ・ピエルッチ(1583年)、「受胎告知」はチエーザレ・ネッビア(1649年)が、それぞれ完成させています。

  • 第三層中央部分は「聖母被昇天」ですね。中央のマンドルラの中の聖母は天使たちによって天へと導かれていきます。左右の2枚は、それを見守る使徒達です。こちらの中央部分は何度もデザインの変更が行われたようで、以前は聖母子と天使たちの彫像が並んでいたそうです。

    第三層中央部分は「聖母被昇天」ですね。中央のマンドルラの中の聖母は天使たちによって天へと導かれていきます。左右の2枚は、それを見守る使徒達です。こちらの中央部分は何度もデザインの変更が行われたようで、以前は聖母子と天使たちの彫像が並んでいたそうです。

  • 第三層右側のモザイク。上半分は「天使によるマリアの両親への受託告知」。このテーマに関する絵を見ることはあまりないので、ワクワクしながら見物しました。天使ガブリエルはアンナにも告知をしていたんですね。右側の「アンナへの受胎告知」なんて、よほど傍で見ないと、マリアのそれと間違いそうです。砂漠で断食行を行っていたヨアキム(アンナの夫)の元にもガブリエルのお告げが。<br />「神はヨアキムの願いを聞き入れた。妻アンナは間もなく懐妊するであろう」。これを聞いてヨアキムは妻の元に帰ったのでした。<br /><br />三角部分のモザイクは「マリアの誕生」です。こちらがメインテーマですね。ジョヴァンニ・ディ・ブッチョ・ディ・レオナルデッロの作品で、本物は今ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館にあります。今見ているのは1786年に置き換えられた複製です。

    第三層右側のモザイク。上半分は「天使によるマリアの両親への受託告知」。このテーマに関する絵を見ることはあまりないので、ワクワクしながら見物しました。天使ガブリエルはアンナにも告知をしていたんですね。右側の「アンナへの受胎告知」なんて、よほど傍で見ないと、マリアのそれと間違いそうです。砂漠で断食行を行っていたヨアキム(アンナの夫)の元にもガブリエルのお告げが。
    「神はヨアキムの願いを聞き入れた。妻アンナは間もなく懐妊するであろう」。これを聞いてヨアキムは妻の元に帰ったのでした。

    三角部分のモザイクは「マリアの誕生」です。こちらがメインテーマですね。ジョヴァンニ・ディ・ブッチョ・ディ・レオナルデッロの作品で、本物は今ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館にあります。今見ているのは1786年に置き換えられた複製です。

  • さて、最下層階を左から見ていくと、まず、ブロンズ製の4人の福音記者達のシンボルが目に飛び込んできます。左からマタイの人間、マルコの羽の生えたライオンです。その下の巨大な柱がまた凄い!!これこそが、マイターニの彫った浅浮彫。彼は4本の巨大な柱になんと計162ものレリーフを残しています。テーマは創世記からの場面と贖罪の旧約聖書からの預言(意味わからない???)だそうです。

    さて、最下層階を左から見ていくと、まず、ブロンズ製の4人の福音記者達のシンボルが目に飛び込んできます。左からマタイの人間、マルコの羽の生えたライオンです。その下の巨大な柱がまた凄い!!これこそが、マイターニの彫った浅浮彫。彼は4本の巨大な柱になんと計162ものレリーフを残しています。テーマは創世記からの場面と贖罪の旧約聖書からの預言(意味わからない???)だそうです。

  • 中央扉上のルーネット部分には大理石で作られた玉座の聖母子、ブロンズ製の天蓋、天蓋のドレープを持ちあげているブロンズ製の天使たち が置かれています。こちらも複製で、本物は付属美術館で展示されています。

    中央扉上のルーネット部分には大理石で作られた玉座の聖母子、ブロンズ製の天蓋、天蓋のドレープを持ちあげているブロンズ製の天使たち が置かれています。こちらも複製で、本物は付属美術館で展示されています。

  • ルーネット部分にもう少しズームイン!ルーネット周りの飾り柱の美しさも際立っていますよ。

    ルーネット部分にもう少しズームイン!ルーネット周りの飾り柱の美しさも際立っていますよ。

  • 中央扉は一番歴史が新しく、1962年から64年にかけての制作によるものです。扉はシシリア人の彫刻家エミリオ・グレコによるブロンズ製で、7つの美徳をテーマにしていますが、古典的な内容ではなく、設置にはかなりの論争を招いたようです。右側下から二番目の場面は、教皇ヨハネ23世が刑務所の人々を見舞った場面が描かれています。

    中央扉は一番歴史が新しく、1962年から64年にかけての制作によるものです。扉はシシリア人の彫刻家エミリオ・グレコによるブロンズ製で、7つの美徳をテーマにしていますが、古典的な内容ではなく、設置にはかなりの論争を招いたようです。右側下から二番目の場面は、教皇ヨハネ23世が刑務所の人々を見舞った場面が描かれています。

  • お終いの最下層右側です。福音記者シンボルのブロンズ像は、聖ヨハネの鷲と聖ルカの翼のある牛です。<br /><br />太い柱三番目はマリアとキリストの生涯からの場面、そして四番目は最後の審判です。細かい部分をきちんと見てこなかったのが悔やまれます。1330年のマイターニの死により、作業はストップしたため、柱の上部の一部には未完成部分があるとか。

    お終いの最下層右側です。福音記者シンボルのブロンズ像は、聖ヨハネの鷲と聖ルカの翼のある牛です。

    太い柱三番目はマリアとキリストの生涯からの場面、そして四番目は最後の審判です。細かい部分をきちんと見てこなかったのが悔やまれます。1330年のマイターニの死により、作業はストップしたため、柱の上部の一部には未完成部分があるとか。

  • 大聖堂の右側広場を挟んで、先ほどからたびたび登場している大聖堂付属美術館がありました。こちらは明日入場します。<br /><br />長くなりましたので、この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その62 オルヴィエート2で!

    大聖堂の右側広場を挟んで、先ほどからたびたび登場している大聖堂付属美術館がありました。こちらは明日入場します。

    長くなりましたので、この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その62 オルヴィエート2で!

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この旅行記へのコメント (4)

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  • マリアンヌさん 2016/06/15 12:24:01
    おかえりなさ〜い♪
    junemayさん、こんにちわ。

    無事帰国されて良かったです。
    スペイン・ポルトガルは、いかがでしたか?
    巡礼の道など教会だらけなので、さぞ充実の旅だったのでは。

    オルヴィエートもインフォラータみたいのがあるのですね。
    表紙のお花、きれいですね。
    私が以前訪れたときはフニクラーレが止まっててバスで街まで上がりました。
    確か聖母昇天祭でマリアの山車がでました。
    いつもながら教会内の詳しい解説、ありがとうございます。
    行けなかった場所もあってうれしいです。

    続き、楽しみにしています。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2016/06/15 14:44:01
    RE: おかえりなさ〜い♪
    マリアンヌさん こんにちは

    スペイン、ポルトガルとも充実した旅ができたと思います。教会は立派ですが、中身についてはイタリアの方がバラエティに富んでいて、一つ一つの教会の個性が光っていると思いました。でも、オヴィエド周辺で見たプレロマネスクの教会(7世紀から9世紀)は素晴らしかったです。あと、サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルで行われるミサは言葉もわからないのに大変感動的で、ボタフメイロ3回も見てしまいました。よろしければ、つたない動画をyoutubeにアップしたのでご覧くださいね。4トラベルにはいつになったらアップできるかわかりませんので。

    旅先で現地のお祭りが見られるとはラッキーですね。私は話には聞いているものの、まだカトリックのお祭りには出会ったことがありません。聖人のお祭りというものも一度この目で見て見たいなと思っています。

    動画はこちら
    ボタフメイロ 1回目
    https://youtu.be/lHVY7d3r8xE
    ボタフメイロ 3回目
    https://youtu.be/72RQs_ljKPA

    junemay

    > junemayさん、こんにちわ。
    >
    > 無事帰国されて良かったです。
    > スペイン・ポルトガルは、いかがでしたか?
    > 巡礼の道など教会だらけなので、さぞ充実の旅だったのでは。
    >
    > オルヴィエートもインフォラータみたいのがあるのですね。
    > 表紙のお花、きれいですね。
    > 私が以前訪れたときはフニクラーレが止まっててバスで街まで上がりました。
    > 確か聖母昇天祭でマリアの山車がでました。
    > いつもながら教会内の詳しい解説、ありがとうございます。
    > 行けなかった場所もあってうれしいです。
    >
    > 続き、楽しみにしています。
    > マリアンヌ

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2016/06/17 06:21:45
    RE: RE: おかえりなさ〜い♪
    junemayさん、おはようございます。

    毎日、ユーロサッカー視聴に追われる日々で返信遅れました。
    北スペイン・ポルトガルは1999年にツアーで訪れたことがあります。
    オヴィエドでは、サンタマリア・デル・ナランコ教会とサンミゲル・デ・リージョ教会に行きました。

    当時の思い出では、ブルゴスのサント・ドミンゴ・デ・シュロス修道院の回廊やレオンのサン・イシドロ教会など印象的でした。
    連れて行かれた私と違うjunemayさんの旅行記、楽しみにしています。
    気長に待ってま〜す。

    サンンティアゴ・デ・コンポステーラでボタフメイロ3回も見れたなんて良かったですね。youtube拝見しました!
    こちらにも色々アップされてるんですね。すご〜い!
    私もラッキーなことにボタフメイロのミサ見れたのです。
    教会に鳴り響くオルガンだけでも感動なのにボタフメイロ、怖いくらいに振りますよね。youtube拝見して感動が蘇りました。

    旅先で祭といえば、アルルで時代祭でたくさんの女性民族衣装が見れたことがあります。ツアーで見れたのは幸運でした。

    イタリアの続き楽しみにしています♪
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2016/06/17 17:08:59
    RE: RE: RE: おかえりなさ〜い♪
    マリアンヌさま こんにちは

    ご丁寧な返信ありがとうございました。

    私のような初心者と比べて、マリアンヌさんの旅は回数も行った場所の数も群を抜いていらっしゃる。今更のボタフメイロで済みませんでした。ユーロサッカーは今回の旅の終わり頃、イングランドのフーリガンが暴れたというくらいのニュースしか知りません。スポーツには、いや、スポーツにも疎いもので、これからいろいろとお教えくださいね。

    国分寺には月に何度も行くのですが、母が坂道がダメなもので、ローズガーデンには一度お邪魔したきりで、その後行っていません。美しいですね。マリアンヌさんの雰囲気にぴったりですよ!

    銀座には1か月に一度は行くので、今度あの無料のガーデンの場所を教えてくださいね。一人で楽しんでこようと思っています。

    オヴィエドではマリアンヌさんが行かれた2つの教会の他、サン・フリアンとオヴィエドからセルカニアスで40分くらい行った山中にあるサンタ・クリスティーナが良かったです。レオンのサン・イシドロも素晴らしい! 撮影禁止なので重い本を買ってしまいましたよ。帰国の時は22kgになっていて、スーツケース運ぶのが大変でした。

    またのお便りお待ちしております。ありがとうございました。

    junemay



    > junemayさん、おはようございます。
    >
    > 毎日、ユーロサッカー視聴に追われる日々で返信遅れました。
    > 北スペイン・ポルトガルは1999年にツアーで訪れたことがあります。
    > オヴィエドでは、サンタマリア・デル・ナランコ教会とサンミゲル・デ・リージョ教会に行きました。
    >
    > 当時の思い出では、ブルゴスのサント・ドミンゴ・デ・シュロス修道院の回廊やレオンのサン・イシドロ教会など印象的でした。
    > 連れて行かれた私と違うjunemayさんの旅行記、楽しみにしています。
    > 気長に待ってま〜す。
    >
    > サンンティアゴ・デ・コンポステーラでボタフメイロ3回も見れたなんて良かったですね。youtube拝見しました!
    > こちらにも色々アップされてるんですね。すご〜い!
    > 私もラッキーなことにボタフメイロのミサ見れたのです。
    > 教会に鳴り響くオルガンだけでも感動なのにボタフメイロ、怖いくらいに振りますよね。youtube拝見して感動が蘇りました。
    >
    > 旅先で祭といえば、アルルで時代祭でたくさんの女性民族衣装が見れたことがあります。ツアーで見れたのは幸運でした。
    >
    > イタリアの続き楽しみにしています♪
    > マリアンヌ

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