2015/05/22 - 2015/05/22
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
今日はアッシジに行く予定ですが、その前にちょっと寄り道。フォリーニョから列車でわずか1駅目のスペッロに向かいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フォリーニョ09:02発の列車で4分。車窓の外をあっという間に通り過ぎた、あの町へ寄っていくのです。
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スペッロの小さな駅で降りて、北に歩いていくと、すぐにご覧の景色です。断崖の村という雰囲気ではないけれど、イタリアで最も美しい町と称され、6月に行われるインフォラータという花祭りで有名。本物の花びらを使った花絨毯を町中に敷き詰めるという、春の訪れの喜びを祝うお祭りです。
怪しい雲が上空を覆っていて、気がかりです。あ〜あ。また、傘を持ってくるの忘れちゃったよ・・・ -
町の後ろ側に写っている山は、スバシオ山。標高1290m。この山のなだらかな南麓にスペッロとそして10km先にはアッシジがあるのです。
ひときわ目立つ三角の屋根は、町の人々の心の拠り所サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。駅から歩いても15分ほどで行けちゃいそう。 -
インフォラータに代表されるように、スペッロは花の町。手入れの行き届いた庭や花壇をたくさん見ることが出来ました。
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程なくやってきたのは、町の入り口コンソラーレ門。大変古い歴史のある門で、スペッロがローマ帝国初代皇帝アウグストゥスによって建設され、まだイスペラムHispellumと呼ばれていた紀元前1世紀のころの建造です。
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門の中ほどにある彫像はオリジナルではなく、町にある古代ローマの円形劇場にあったものを後年ここに運んだようです。
門の先は工事中で、進入禁止となっていました。この先にローマ時代のモザイクが残る博物館があるのですが、ここから見る限り、今は公開していないようですねえ。発掘調査の真っ最中といった雰囲気でした。 -
カフェ・ポルタ・コンソラーレで朝のカプチーノを頂きました。まだ疲れてはいないのだけれど、今朝は少々冷え込みます。とても感じの良い女主人が熱々のコーヒーを入れてくれました。
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コンソラーレ門近くにあったインフォメーションで頂いた地図を頼りに、こちらのアーチから町へと入ります。
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花いっぱいのパニーニ屋さん。ご主人も、花に負けないような派手な赤い作業着で一服中。
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メインロードから外れ、遊歩道を上っていきます。
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バラの手入れをしていたマダムにご挨拶。彼女が手に提げている、花弁がたくさん詰まった袋が気になりました。インフォラータまであと2週間余り。今から花びらを集めておくのかしら??? 花びらが2週間持つとは思えないけれど・・・
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隣りに咲いていた赤いバラも見事です。
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その先にはジャスミン。
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香しい花のアーチをくぐります。
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町の中は恐ろしく綺麗。ごみ一つ落ちていません。遊歩道から横にそれる道はどれも傾斜が急な坂ばかり。
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スペッロで見つけた祠第1号では、マリア様が重たそうな肥満児のキリストを抱えていました。
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ローマ時代の城壁の中を進みます。やはり落書きの被害から完全に逃れられてはいません。腹立つのお。
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景色がぴったりとアーチにはまっています。まるで額縁のよう。
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この鷲もローマ時代のものかしら?
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ぽつぽつと雨が降り始めました。後ろからやってきた女性が、傘を差し掛けてくれました。サンタ・マリア・マッジョレ教会で働いていると言っていたその女性はきれいな英語を話しました。傘を持ってきたのに、肝心な時に持っていない。マテーラで雨に降られ、傘を買って2本になったのに、また懲りずに忘れてきたという話をしながら、一緒に歩きました。教会が見えてきたころ、彼女が厳かにこう宣言しました。
気の毒だけれど、あなたはまた1本傘を増やすことになるわ。今日の雨は、1日中降り続くそうよ。 -
サンタ・マリア・マッジョーレは、ローマ帝国時代のユノーとヴェスタの神殿跡に1025年に建てられたとされる教会ですが、公式に文書に登場するのは1159年のこと。
ロマネスクのファサードは1285年、大理石職人ビネッロとリドルフォの作とされています。左隣に建つ鐘楼も13世紀の建造です。 -
ピンクと白のレンガの配色が私好みのファサードです。淡いピンクの柱も控えめな感じが素朴で良いなあ。デザインは大変シンプルで、中央扉の周りにだけ、レリーフの装飾が施されています。
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雨でカメラの調子が悪く、サブのカメラを使ったせいか、身廊の写真がありません。内部は一廊式。インテリアはバロック様式に改修されていました。
聖域は16世紀初頭に内装を一新させています。主祭壇とその上の天蓋はロッコ・ディ・トマソの1512年から15年にかけての作品です。
上の写真には写っていませんが、教会の裏にある第二の鐘楼を建てたのもロッコ・ディ・トマソ。小さくて申し訳ないですが、駅そばから写したスペッロのパノラマ写真を見ると、その存在がわかります。 -
身廊左側にあった石の説教壇はシモーネ・ダ・カンピオーネの1545年の作品。ずしりと重厚感がありますね。説教壇の一番上の縁には、町の有力者ベナンツィ一族が費用を負担してくれた旨が書かれた碑文がありました。
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右翼廊にあった磔の礼拝堂。中央のキリスト像は17世紀に作られたもの。左側見にくいですが、聖セバスティアーノの木像は1538年、ポンペオ・コッキの作品です。
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こちらも右翼廊にあるラファエッロやカラヴァッジョの作品で有名なロレートの聖母に捧げた礼拝堂です。
ナザレで暮らしていた聖母マリアの家が、1291年、天使たちによってダルマツィアのフィウメに運ばれ、3年後、またも「奇跡」によりレカナーティの近くの月桂樹の林Lauretum(ロレートの町の名はここから生まれた)に運ばれた というお話は、前にローマのサンタゴステイーノ教会のところで書きました。あれから色々と想像力を膨らましていたのですが、天使たちはこんな風に家を運んだんだと、思わずにんまり・・・見入ってしまった祭壇でした。異教徒ゆえ、単なる好奇心です。カトリックの方ごめんなさい。
http://4travel.jp/travelogue/11067871 -
天使が飛び回っている祭壇が多くみられますが、1670年頃スポレートの司教チェザーレ・ファッキネッティの命により、ほとんどの祭壇にスタッコ装飾を追加したようです。
こちらはその典型と思われる左翼廊の聖ガエターノ・ティエーネに捧げる礼拝堂です。いつも地味な黒服に身を包んでいる聖ガエターノと白い天使たちの相性はイマイチのような気もしますが、いかがでしょうか? -
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の目玉の一つが、こちらのペルジーノのフレスコ画です。
そもそもは、前述のヴィチェンツァからやってきたロッコ・ディ・トマソが、1515年、聖域そばにある2本の付け柱に二つの祭壇の制作を依頼されたことから始まります。そして1521年に、彼はすでにその頃高名だったペルジーノから祭壇の装飾を任されます。
祭壇そのものは1644年に撤去されてしまいましたが、2枚のフレスコは元々あった場所に、そのままの姿で残っていました。 -
こちらが、ペルジーノが描いた聖ブラシウスとアレキサンドリアの聖カタリアといる聖母子。フレスコはとても良い状態で残っていて、一見、壁に直接描かれているのではなく、額縁入りの絵画のように見えます。
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そしてこちらが、福音記者聖ヨハネとマグラダのマリアとピエタの場面。こちらの作品には、ペルジーノ本人の署名が残されているそうです。
玉座に書かれた名前は、施主の名前(ミケランジェロ・アンディーネ)ですね。聖ヨハネはここでも、まるで女性のように描かれています。 -
そして、教会のもう一つの目玉が、主祭壇に向かって左側にあるこちらのバリオーニ礼拝堂のピントゥリッキオによるフレスコです。昨年シエナのドゥオモ、ピッコロミニ図書館での大興奮を思い出します。
またしてもここで、鼻血が出そうに完璧な受胎告知にしばし見入ってしまいました。ピントゥリッキオの1500年頃の作品。 -
数多くの受胎告知を見てまいりましたが、これほど洗練された雰囲気のものを私は他に知りません。マリアの優雅な両手の仕草が何よりも多くを語っています。
ただただ素晴らしい・・・
蛇足ですが、背景の町はどう見てもナザレではなく、中世のスペッロのようですよ。 -
いつもの雰囲気とは異なる、森の中での「聖誕」です。赤子を囲むのは、マリア、ヨセフ、そして二人の天使たち。ヨセフの後ろにいる羊飼いがカメラ目線なのが面白い。イタリアの緑あふれる美しい景色の中をラクダが移動する姿も興味深いです。
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中央にいる12歳の少年は、若き日のキリスト。ユダヤの高名の博士達と議論を戦わせたという逸話に基づいた1枚です。右側前面に、困惑したような表情のマリアとヨーセフがいますね。ヨゼフの右手が何を指さしているのか・・・これまた意味深長です。絵の左端にいる黒服の男性は、この礼拝堂のパトロン、バリオーニだそうです。
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床はマヨルカ焼きのタイルが敷き詰められていましたが、破損を恐れてご覧の通りのガラス張りです。このタイルがまた素敵です。1566年にウンブリア州デルータDerutaで作られたものだそう。
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ヴォールトには、4人のシビュラの姿がありましたよ。元来、シビュラはアポロンの信託を受け取る巫女でしたが、ルネッサンスの時代になると、キリストの降誕を予言した預言者という扱いになってきたようです。
ピントゥリッキオは、スペッロに来る直前に仕事をしていたバチカンのボルジアの間でも、シュビュラの姿を描いています。そして彼はこの後ウンブリアを発ち、シエナのドゥオモにおける大事業に取り掛かることになります。 -
降りやまない雨を恨めしそうに見上げた後、渋々教会前のお土産屋さんですぐに壊れる中国製の傘を購入して、再び歩き始めます。
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こちらは、サンタ・マリア・マッジョーレ教会のすぐ先にあったサンタンドレア教会。フランシスコ会の教会として、1253年に創建された歴史ある教会の一つです。残念ながら閉まっていました。この教会の右翼廊には、ピントゥリッキオとその弟子たちによる玉座の聖母と聖人たちを描いた油絵があるのですが、見られないのかなあ・・・
サンタ・マリア・マッジョーレ教会同様、スパシオ山の石灰岩で作られた、装飾が極控えめなファサードがこの町の雰囲気にぴったりです。 -
横丁にも花が絶えることのないスペッロです。思わず入っていきたくなります。
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でも横丁には足を踏み入れず、町唯一のメインストリートをそのまま進むと、次に右手に現れたのは町役場の建物パラッツォ・コムナーレ。1270年の建設です。
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2つのゴシック様式のアーチの上には、ライオンが雄牛を殺しているロゴとその横に建設年と建築家(Master Prode)を記す碑文がありました。当時町は、ポデスタと呼ばれる執政長官とギルドから選出される4人の評議員が支配していました。
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日本式2階のアーチには受胎告知のフレスコ。このアーチ、途中でちょん切れたように見えますが、この建物、当初は外階段を伝って2階に行けるようになっていたとのこと。1560年から70年に建物が拡張された際に外階段は取り外され、アーチの一部だけが残ることとなりました。
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そしてその下には・・・よく見るとこれは噴水のようです。中央にはルネサンス教皇の最後の一人といわれるユリウス3世(在位 1550年〜1555年)の紋章が刻まれていました。
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尖頭アーチのロッジア奥にあったフレスコ画です。なんでも、1469年から続く質屋の記録が書かれているそうですよ。
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時折雨宿りしながら、花を愛でます。本格的な降りの雨は、今回の旅行で初めて。今までの暑さに慣れた身にとってはやや寒い4月上旬のような気温です。ブルブル!!
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これは祠ではありませんね。マドンナ・デル・テライオ フレームの聖母と書かれていました。
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町役場の裏に回ります。こちらは、パラッツォ・ウルバーニ。ウルバーニ家が1605年に建てた邸宅です。その後様々な人々の手に渡りましたが、1972年にスペッロの町が買いあげました。修復を終えて現在は町の多目的な事務室として利用されています。2階にある木造のロッジアは珍しいですね!
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ロッジアの下のアーチをくぐると中庭に出ます。中央には、古い井戸が置かれていました。雨に濡れて、石がまた味わい深い色を出しています。
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1階アトリウムのヴォールトに残るフレスコ画です。楕円形部分には、美徳と悪徳の寓話像や、司教の紋章が描かれていたそうですが、今ではほとんど消えてしまっています。
それでも想像上の動物の姿、花瓶に挿した植物などはかなり鮮明に残っていますよ。 -
こちらのヴォールトはやや鮮明。画面中央下の紋章は、1600年当時の司教でペルージャの法王庁長官だったベヴィラックアの紋章だそうです。
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壁には気味悪い怪鳥の姿も・・・
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木造のロッジアを中庭側から見た1枚です。
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こちらのかまぼこ型のヴォールトはどこにあったんだろう? 金色の枠の中には、ほとんど消えかかっていますが、黒っぽい背景の中に建物の輪郭が浮かび上がっていました。エルコラーノに残っていたフレスコの中に似た雰囲気のものがあったような記憶です。
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再び、町を彷徨います。
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メインストリートからジュリア通りへと右折して進んでいきます。この右横の壁の辺りに、聖ロレンツォ教会があるはずなのですが、入口が見当たりません。
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多分この右にある建物がその一部だったんですね。見逃してしまいました。この教会の前身はペルージャの聖人エルコラーノに捧げられた教会でしたが、1127年頃、ロレンツォを祀る教会に生まれ変わったようです。
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この辺りから傾斜がきつくなってきました。
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グリーンベルトが見事に続いていますね。完璧なまでのエクステリア!
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ベルベデーレ展望台への道はこちら という標識があったので、道は間違っていないはず。
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斜面に工夫を凝らした石畳とレンガがずっと続いています。よく見ると大変手間がかかっているものだということが良く分かりますよ。
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ようやくスペッロの最高地点ベルベデーレ展望台に到着です。といっても、この天気ですから、素晴らしい眺望は望めません。標高は高いところで280mだそうです。
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それでも、雲があまり低く垂れこめていなかったせいで、近隣の景色を楽しむことが出来ました。同じスパシオ山の山麓に広がるアッシジを望むのは無理かなあ・・・
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スペッロ最高地点付近にそびえていたのは、ロッカ デラルボルノスRocca dell’ Albornoz 。司教アルボルノスが1354年に、古代ローマの要塞内に建造した砦です。
左の塔は、二つ残っている塔の一つです。二つ目は後で出てきますよ。右横にある城壁は古く見えますが1911年に作られたものだそう。 -
アルボルノスの塔のそばにあったこちらの門は、ずばりアーチ門。スペッロに残るローマ帝国時代の建造物のうちで最も古いもの、おそらくアウグストゥス以前に築かれた要塞の一部だったと言われています。
建設当時と比べると、現在地面は約1m高くなっているのでわかりにくいですが、当初は二重アーチ構造になっていて、落とし格子のある城門だったそうですよ。 -
早まった…この十字架のある場所がベルベデーレだったようです。いずれにしろ今日はベルベデーレ(良い景色を見るところ)ではありません(泣)。
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2000年以上前の城門をくぐって、ベルベデーレを去ります。本当は丘の上を一周したかったのですが、雨に加え至る所工事中で足許が悪く、行けそうもなかったため、途中で戻ってまいりました。
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雨は相変わらず結構激しく降っています。
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レンガと石を上手に組み合わせた石畳の美しいこと!! 芸術品です。
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塔の見える風景。ちらっと顔をのぞかせているのは、クラリッセ修道院の尖塔です。
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ある民家の入り口が大きく開かれていたので1枚。階段を上った奥に見える三日月のような形のハンモックが素敵!
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壁に錬鉄製の装飾を施した民家もありましたよ。窓には6月のインフォラータの写真が飾られています。
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古さは感じられないけれど、扉も錬鉄製で、なかなか凝っていますね。扉の上にあるのは、この家の紋章かしら?
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トンドの中に10枚の絵が描かれているこちらの装飾。書かれている文字SINO OLEO DOLEOとは、ラテン語で「油なしでは悲しい」。どうやら絵はオリーヴに関係したものらしいです。一番上はオリーヴの双葉でしょうか? オリーヴ畑や油を搾る機械、両手一杯のオリーヴなども描かれていますね。
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どこの町に行っても、たいてい目に留まる水飲み場。これを写すのも、私の楽しみの一つです。
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町の古い教会の一つであるサンタ・マリア・・ディ・ヴァッレグロリア教会。ここも閉まっていました。1320年から38年頃の創建。さっき見えた尖塔は、こちらの教会付設の修道院でした。
ファサードはゴシック様式。中央の大きなバラ窓が特徴的です。 -
なんてキュートな渡り廊下でしょう! 手前の壁にある植木鉢も良いアクセントになっていますが、残念ながら花はなし。
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緑で飾られた玄関が続きます。
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小さな町の中心に戻ってまいりました。アントニオ・グラムシ広場付近。
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モンテリオーネ通りのアーチヴォールトには
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こんなフレスコが描かれていましたよ。スペッロの絵ですね。1911年6月28日。意外と新しい・・・
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聖ビアージョのオラトリオ(礼拝堂)。1430年から60年の創建。中央扉の両脇の二つのアーチは元々は死者の扉として使用されていたものだそう。
礼拝堂は、現在は聖ロレンツォ教会に属していて、1979年にオリジナルの特徴を残すように復元されました。 -
このカーヴが何とも言えない味わいがありますね。
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町をぐるっと一周してきたので、そろそろ下りることにしましょう。
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玄関までずっとステップが続きます。いかにも職人の手作りといった雰囲気ですよね・・・
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スリップしないよう、細かな配慮が感じられる歩道です。とはいえ、注意が肝心。転ばぬよう、そろそろと歩きます。
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扉が開かないほど、花鉢に囲まれた玄関です。家をこよなく愛している方のおうちとお見受けしましたが、壁には「売家」の看板が・・・
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先ほど訪れた展望台ベルベデーレそばにあった、ロッカ デラルボルノス要塞の、二つ残った塔のうちの二つ目がこちら。円筒形の塔です。現在はプレツィオシ邸の庭の壁の一部となっていて、私有地なので、これ以上は近づけません。
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何なんでしょう? 町の至る所でこうした工事が行われていたので、足場がとても悪かったです。地面を全部掘り返して、舗装のやり直し?
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天気が良ければ、辿っていきたい道が沢山あります。散策するにはもってこいの町。
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民家の壁のアーチ内にあった聖母子のフレスコと・・・
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その下にあった、スペッロ版ナゾーネ君。狭い空間を巧みに利用しているのに驚かされます。
この近辺には、アウグストゥスのアーチがあったのですが、どこから見ても何かの残骸にしか思えなくて、写真撮っていません。 -
滑りやすいステップを辿って、ずんずん下へと進みます。
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町一番の繁華街に突入。アンティークなインテリアショップ。陶器製のものが多かったという印象。
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陶器屋さんの看板また見っけ!
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お土産屋さんでは、陶器とオリーヴで作った木工製品が多く売られていました。
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かつては、この2倍の大きさだったのかなと思われるアーチがありました。
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こちらのギャラリーはなかなか楽しかったですよ。私の目を惹いたのは中世の町並みと修道士たちが登場する絵の数々。
ノルベルト・プロイエッティ 1927年スペッロ生まれの彫刻家兼画家で、2009年に惜しくも世を去りました。彼は彫刻家としても名高く、中でもアッシジの高い方のサン・フランチェスコ聖堂正面にある「オリーヴの木と巡礼者」が有名です。 -
彼の絵は、別のギャラリーにもありました。写真を撮って良いかどうかわからなかったので、入り口からそっと撮影。絵の右側にいるのはピノッキオかな?
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右側にもノルベルト・プロイエッティの作品と思しき絵が並んでいます。
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これは版画のようですね。うまく撮れなかったけれど、お気に入りの作品の一つです。
ノルベルトはベルガモにいた叔父の元で仕立て屋として働いた後、1950年にスペッロに戻り、本格的に絵に取り組み始めたそうです。帰国してから調べてみたら、彼はほとんどの作品をスペッロにあるアトリエとして使っていた彼の美術館に寄贈したとありました。知らなかったので、寄れなくて非常に残念・・・ -
もう少し町をぶらぶら。こちらはバッグ屋さん。クリムトのバッグもよいけれど、左上の円いバッグのデザインと色が強烈。
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デリカテッセン。生ハムもパスタも美味しそう・・・
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現代風な色使いの陶器? 磁器? 屋さん。イタリアらしいセンスに溢れたショーウインドーにくぎ付けです。
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もう一丁陶器屋さん。こちらは伝統的なスタイルですね。
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ああすっかり目の保養をしてしまいました。再び緑溢れる路地を下っていきます。
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狭い玄関前を巧みに演出しています。
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どの家も草花に愛情を降り注いでいるのがわかります。次回はインフォラータとノルベルトをターゲットにスペッロに来ることにしましょう。
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この急坂を下りて行くと、見えてきたのは・・・
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ヴェーネレ門。ヴィーナスの門です。アウグストゥスがここをコロニーとした時に作られたもののようです。スペッロの一番高い場所にあるアクロポリスと今はヴィッラ・フィディーリアの庭となっている聖域をつなぐ道の延長上にあります。
ヴェーネレ門という名前は、この辺りにヴィーナスの神殿があったとする17世紀の学者たちにより、名付けられました。 -
元々は、三つのアーチのある二つの門の間に長方形の中庭のある大きな門でしたが、内側の門は、一つのアーチしか現存していません。
左側手前に見えるレンガのアーチが内側の門の一部です。
門に付随した建物はその後何世紀にも渡って作られ、中央以外の両側のアーチは閉ざされてきました。12角形の左右の塔は、ローマ時代を起源としますが、12世紀に地元の白とピンクの石灰岩を用いて再建されました。ローマの詩人の名を取って、プロペルツィオの塔と呼ばれています。 -
こちらが、オリジナルの内側の門の(町に向かって一番右端の)アーチです。
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外側部分の門は1940年から41年にかけて、コンソラーレ門を参考に修復が行われました。
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少し下った場所にもアーチがありましたが、これは門ではないのかな? アーチに続く城壁は明らかにローマ時代のものですよね。
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スペッロを離れる前に、もう一度町を見上げて別れを告げます。
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そして、雨天ではありますが、ヴェーネレ門からの眺望も楽しみます。走っている車が見える高速道路の先に、鉄道駅があります。
ヴェーネレ門を下りてさらに北へ進むと、ローマ時代の円形劇場を含む聖域があったそうですが、今回はパス。ベルベデーレの展望台から見たかったな・・・ -
11時10分スペッロの駅到着です。2時間余りのスペッロ滞在でしたが、楽しい街歩きが出来ました。お天気の回復は望めませんが、これからアッシジに向かいますよ。
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その54 アッシジで。
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