2016/01/24 - 2016/01/24
1970位(同エリア2426件中)
WT信さん
別府港には大分のM君夫妻が来るまで待っていてくれた。
乗船して間もなくM君に連絡を入れた時は、「大分もかなりの雪が降っており、車が使えそうにない。
新川までバスで来てほしい」との事であったが、暫くして「雪が小降りになったので別府港まで行けそうだ」と連絡して呉れていた。
数年前M君夫妻が国東半島巡りをしてくれたが、その時と同じく運転はっもっぱら奥さん。
その奥方の運転で、雪景色の”坊主温泉・鬼石の湯”に直行。
疲れた体に有り難かった。
別府は色んな温泉が散在しているが、その中でも記憶に残るのはJR別府駅からも程近い、明治12年創業と云う”竹瓦温泉”。
外観は道後温泉を彷彿とさせる、昭和初期の建物で、何よりここでは”砂湯”が名物。
立見席座長の岩男さんの芝居の師匠だった・つかこうへいさんが湯布院滞在中、一緒に砂湯を浴びた来た。
*参考
九州横断・温故知新の旅:別府
http://4travel.jp/travelogue/10215250
夜大分に戻り、奥さんの甥にあたる方の店、”ひなたぼっこ”で珍味を頂き、M君方に宿を借りる。
惣菜工房菊や
http://www.kikuya-souzai.com/%E3%81%B2%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%93/
初めて知ってショックを受けたM君の話。
彼は終戦時(当時10歳)、現在の北朝鮮の、しかもロシアとの国境に近い街に居た。
警官をしておられた親父殿より一歩先に母親と日本への逃避行が始まった。
しかしそこには生まれて間もなかった妹の姿は無かった。
日本への帰国船に乗れるまで、朝鮮の各地を盥回しさせらる。
一歩遅れて親父殿も何とか帰国されたが、金日成の素性を最も良く知る立場にあった親父殿は、その後の北朝鮮の状況をニュースでご覧になる度に、金日成を捕縛出来なかった事を悔やんでおいでだったらしい。
M君のご子孫はもとより、日本人全体の為にもM君がこの事を記録に残してくれることを切望して止まない。
5,雪雲下の豊後水道と別府温泉(目次)に戻る
http://4travel.jp/travelogue/11107564
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 芭蕉西国行脚の夢5,雪雲下の豊後水道と別府温泉(目次)
0
17