2015/11/08 - 2015/11/09
14位(同エリア72件中)
Donkyさん
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2015年 11月晩秋の山形を訪ねました。旅の同行者は 妹といつもの妹の気さくなお仲間です。
11月08日(日):新幹線つばさ129号(09:22発)で 大宮駅から 米沢駅へと向かいました。
米沢市(よねざわし)は、山形県置賜地方に位置する市で、置賜総合支庁の所在地です。上杉氏の城下町として知られています。
米沢駅に11:04着、到着早々酒造資料館 「東光の酒蔵」を訪ねました。
お昼は「米沢牛DINNINGべこや」で、米沢牛の豪華ランチ。
初日の宿は 白布高湯温泉「東屋旅館」由緒ある秘湯の歴史ある宿です。
1312年に開湯された白布温泉(しらぶおんせん)は山形県米沢市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある700年の歴史を持つ温泉です。白布高湯温泉とも呼ばれています。米沢市の南部に位置し、湯治場としても400年を越える歴史を有しています。
江戸時代には福島の高湯温泉、山形の蔵王温泉とともに奥羽三高湯に数えられていました。
翌朝山歩きでは 白布三十三観音など土地の歴史に触れます。散策後近隣の「西屋旅館」へも足を延ばしお風呂を楽しみました。
注)記事中 「東光の酒蔵」「東屋旅館」「西屋旅館」に関する記述は公式サイトで紹介されているものからの抜粋と加筆しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
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大宮駅から米沢駅へ新幹線で向かいます。
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つばさ129号(09:22発)で
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出発前に朝食を
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出発前に朝食を
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午前11時過ぎ 米沢駅に到着
米沢は米沢牛や上杉家の城下町として知られていますが、それだけではなく原始・古代の昔から開発が進んだ地域で、数多くの縄文遺跡が確認され、中でも矢来の一ノ坂遺跡(国史跡)からは長さ43.5メートルの長大な竪穴式住居跡が発見されています。 -
米沢駅ホームに 名物「牛丼弁当」を見つけました。
翌々日 帰る直前にでも駅前にある「牛丼弁当」製造直売所で購入し帰途味わうことにしました。
(写真は同行のKkさんが撮影したものです) -
米沢駅にて
米沢は成島古墳や戸塚山古墳群などの古墳も多く、古志田東遺跡は9世紀頃の豪族屋敷跡として国指定史跡となっています。(今回の訪問予定場所ではありませんが・・。) -
米沢駅にて
鎌倉時代には、置賜地方を領した地頭・長井氏が米沢に本拠を置いたと伝えられます。その後、長井氏に代わり伊達氏が置賜を領し米沢城下が整備されました。「独眼竜政宗」として戦国の世に名を馳せた伊達政宗も米沢城に生まれ、25歳までの青年期を過ごしました。 -
米沢駅にて
江戸時代には、上杉景勝(戦国の名将・上杉謙信の後継者)が越後から会津を経て米沢に入封、重臣・直江兼続の指揮で城下が拡張され、現在の米沢市街の基盤が築かれました。 -
米沢駅にて
以後、米沢は上杉氏(米沢藩)の城下町として発展し明治維新を迎えました。その中で、第9代藩主上杉治憲(号・鷹山)による藩政改革が有名です。会津120万石から米沢30万石に減封された上杉家、財政が逼迫していた米沢藩に、縁戚の高鍋藩秋月家から迎えられた鷹山は、率先して大倹約を行うとともに、数々の殖産振興政策を展開しました。 -
米沢駅にて
そうした中で養蚕と米沢織物が特産品に発展し、藩財政と人々の生活が立ち直りました。また、藩校・興譲館を設立するなど教育にも力を注ぎました。困難な状況の下、「なせば成る」の精神で改革を成功させた鷹山は、現在も理想のリーダーとして高く評価されています。 -
米沢市内 循環バス「ヨネザアド号」これって白ナンバー車なのです。通常の緑ナンバーのバスやタクシーなど営業車両ではありません。
市街地循環路線(左回り・右回り)1路線の同一ルートで左回りと右回りの2系統あり、時刻表などでは左回りを黄色、右回りを青でそれぞれ識別しています。
運賃は200円の均一制で、小学生以下は半額、大人同伴の幼児(未就学児)は1人まで無料。 循環路線のみ1日乗り放題の「一日乗車券」があり、料金は500円(小学生以下250円)。通年運行で、運休日は設定されていません。
停留所の標識は廃止代替路線と同じデザインのものが用いられ、停留所によっては系統別に「循環左(右)回り」と表示されているものがあります。
運行形態は、自家用自動車(白ナンバー車)による有償運送です。 -
ふるさと旅行券「山形日和」
1000円以上の利用時に毎回500円割引 -
到着早々酒造資料館 東光の酒蔵を訪ねました。
周囲が山にかこまれた盆地にある上杉十五万石の城下町、米沢は、山から湧き出る豊富な水と良質な米に恵まれています。
雪国米沢の身も凍る厳寒期に、寒造りの低温長期発酵によって手造りの美酒が誕生しました。 -
東光の酒蔵 酒造資料館
『東光』の名で知られる小嶋総本店は、慶長2年(1597年)創業の米沢藩上杉家御用酒屋であり、江戸時代頻繁に「禁酒令」が出された中でも、酒造りを許されていた数少ない造り酒屋のひとつといわれています。 (当時米は非常に貴重品であり、飢饉のたびに禁酒令が出されました) -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
現在まで400余年の歴史を有し、この地になんと23代の長きに亘って、酒造り一筋に息づいているのです。 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
この資料館は、 昭和59年4月、みちのくの造り酒屋を訪問者に見学してもらうことを目的に、古い酒蔵を原形を保ちながら復元したものです。 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
1,200坪の敷地に500坪の建物を有し、中でも東北一の広さといわれる1棟140坪の大きな土蔵には昔ながらの造り酒屋の様子と酒造りの道具などを展示しています。 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
昔人の暮らしを知るうえでも興味深い『東光の酒蔵』。
昼なお暗い蔵の中でひんやりとした空気に触れたとき、柱の傷が、格子戸が、そして酒樽が、往時の物語を語りはじめます。 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
酒造資料館 東光の酒蔵
住所:〒992-0031 山形県米沢市大町二丁目 3-22(柳町上通り)
TEL 0238(21)6601 / FAX0238(24)0408 / フリーダイヤル 0120(27)6601
開館時間:午前9時から午後4時30分まで -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
館内には1月〜3月まで甘酒サービスがあります。訪れたのが11月ですからこのサービスの恩恵には巡り合えませんでしたが・・・。
東光の酒粕は、酒成分をたっぷり残して搾られますから、1月〜3月に行くと出来上がった甘酒はと〜ってもおいしくてあったまります。 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
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東光の酒蔵 酒造資料館にて
明治時代の面影を残す台所 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
明治時代の面影を残す台所 -
東光の酒蔵 酒造資料館にて
館内 常設展 (年間常設)
*直江兼続公史跡めぐり展
大河ドラマ”天地人”主人公 直江兼続公ゆかりの地をパネルで紹介しています -
東光の酒蔵 酒造資料館にて *米沢牛の系譜・ダラス先生資料展
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東光の酒蔵 酒造資料館にて
米沢牛のルーツと米沢牛が全国に知られるようになったきっかけをつくったダラス先生の資料を展示しています -
米沢の町並みは大正6年・同8年の大火によって昔の面影を失いましたが、それでも米沢藩主上杉家墓所や上杉治憲敬師郊迎跡などの国史跡や、国宝「上杉本洛中洛外図」・「上杉家文書」などの文化財が多く残り、「上杉の城下町」として多くの観光客が訪れます。
謡(能楽)が盛んなことも上杉文化の影響といわれています。
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また、直江や鷹山が力を入れた学問・教育の伝統をくみ、官僚・海軍将官をはじめ様々な分野に多くの人材を輩出したことでも知られています。
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さて この日のお昼は「米沢牛DINNINGべこや」。有名店です。
米沢牛のDinnerといってもよいほどの豪華ランチ。 -
「べこや」土・日メニュー 右下の「べこや御膳」を注文します。
ウイークデイは もう少しリーズナブルな価格設定のメニューになるのだとか。 -
「べこや」米沢牛のランチ
米沢牛カルビ・牛タン・米沢牛しゃぶしゃぶの握り寿司・米沢牛ローストビーフ・焼き野菜・小鉢・サラダ・三色ご飯・香の物・ソフトドリンク付き -
「べこや」米沢牛のランチ
米沢牛カルビ・牛タン・焼き野菜 -
JR米沢駅
米沢市(よねざわし)は、山形県置賜地方に位置する市で、置賜総合支庁の所在地です。上杉氏の城下町として知られています。
米沢市は山形県の最南端に位置し、山形県の母なる川「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地に位置し、福島県と県境を接しています。
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米沢市街
市域は東西32.1?、南北28.2km、周長124.5kmで横長の楕円形に近い形をしており、面積は548.51k?となっています。(平成27年3月6日 国土地理院)
市域の最高地点は、西吾妻山の標高2,035mで、市街地では最高地点が標高260mとなっており、南から北に向けて低くなっています。 -
白布温泉まで 米沢駅からバスで45分ですが、山奥の秘湯には それはそれは言い知れぬ良さがあるのです。
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初日の宿は 白布高湯温泉「東屋」由緒正しい歴史のある秘湯の宿です。
1312年に開湯された白布温泉は、置賜(米沢地方)、会津の国境、吾妻連峰にある山岳宗教吾妻権現と関連の温泉としての江戸時代の初期までの歴史と、上杉家領の置賜地区と松平家領の会津地区の人々に愛された明治初期までの時代がありました。 -
開湯宿の東屋宍戸家は、代々のお殿様が入湯したと伝えられています。
来客の地域も上杉藩領の人、会津藩領の人が同数に近く、正に広域の人々に親しまれた温泉として「奥州三高湯の一つ」の名まで付けて愛されての江戸時代だったようです。
※奥州三高湯とは「福島高湯温泉」「山形蔵王温泉」「白布高湯温泉」(現白布温泉)
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明治時代になると、東屋旅館は新しい時代の温泉旅館として今につながっています。
2000年3月26日、隣家からの出火で、東屋も類焼。江戸時代からのかやぶき屋根の宿は消えましたが、1年半後の2001年9月再建しました。 -
東屋 夕食は 山の幸満載
山形名物「芋煮の鍋」牛肉と里芋、丸いこんにゃく入りで醤油味
イワナの塩焼き、山女のお刺身 鯉の甘煮 -
東屋 夕食 きのこ汁にそばがきが入っていた
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東屋 夕食 からりと揚げたてのてんぷら
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東屋 夕食
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東屋 夕食 デザートに 甘くてしゃりしゃりとした林檎
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東屋 ロビー売店 くるみのゆべしがお薦め
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東屋 朝食 湯豆腐 山菜 笹納豆 温泉卵 サラダ・・・
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翌朝は この方が地元を紹介してくれます。
予約しおねがいしてあった観光案内ボランティアのガイドさんです。
散策の案内とこの地の歴史を親切に丁寧に説明していただきました。
曰く 700年にわたって滾々と湧き出る自然湧出の天然温泉は、まさに天からの恵みです。白布温泉では古くからこの天からの恵みに感謝して、毎年6月12日に源泉祭礼(湯神祭)を催しています。
(写真は同行のMさんが撮影したものです) -
特に100年ごとの節目の大祭では一体の地蔵尊を奉納する慣わしになっており、現在6体の地蔵尊が開湯700年を迎えた2012年6月12日には、白布温泉の源泉地に新たに一体加わりました。
これから「白布森の館」や「白布三十三観音」まで散策開始です。
(写真は同行のMさんが撮影したものです) -
白布森の館前
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途中 湧水が滾々と湧き出ていました。
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白布三十三観音とは
案内板によると「 東屋24代当主が、幾世の安らかなる事と、温泉の永遠の栄えを祈願して、石工と共に西国三十三観音を巡礼し、分霊をうけ、享保14年(1729)に建立した「石造野立の三十三観音」です。 -
案内板によると「笹野観音住職が巡礼し分霊をうけ、昭和50年安置の「四国八十八ヶ所」もあり、来場者の憩いの場ともなっています。」とのこと -
白布三十三観音
一般的には庶民の物見遊山は江戸時代後期から急速に発展しました。
(写真は同行のMさんが撮影したものです) -
白布三十三観音
特に宗教的な参拝や巡礼などを理由とすれば藩からの許可が下りやすく、関所の取調べも比較的楽だった事からお伊勢参りや金比羅参り、富士山登拝などが行なわれました。 -
白布三十三観音
村人達は毎年少しづつ資金を貯め、数年に一度代表者が参拝する例が多く、そこの分霊の勧請や境内の砂、御札などを持ち帰り村で祀ることがありました。西国三十三観音も人気が高く、村の一角に三十三観音の分霊を勧請してそこを参拝すると同じ御利益があるとされました。
(写真は同行のMさんが撮影したものです) -
白布三十三観音巡拝案内図
白布温泉のものは江戸時代中期にあたる為、特に東北地方では異例な速さで笹野観音の住職は時代を先取りした偉業を行なったと言えます。石仏は選定された三十三の寺院の本尊を模ったもので現在でも明瞭に見る事が出来ます。 -
石仏の他にも祭壇と思われるものや、地蔵尊像や石碑、石祠、石灯籠なども建立されており、当時の民間宗教の形態が色濃く残されています。 -
白布大滝
白布温泉すぐわきを流れる大樽川上流には、大小7つの滝があり、観光客に親しまれているのが「白布大滝」です。 -
白布大滝
この大滝は落差が30m幅約5mで比較的小規模ですが豪快な眺めが楽しめます。
(写真は同行のKkさんが撮影したものです) -
白布大滝 ここで皆さん記念撮影を
初夏になると西吾妻山の雪解けで水量が多くなり、見ごろです。やっぱり秋の紅葉のころが一番でしょうか?
(写真は同行のKkさんが撮影したものです) -
「直江兼継公鉄砲鋳遺跡」
あの直江兼継が残した鉄砲鋳造所跡地が
智将「直江兼継」はこの後 行く所行く所でその功績が紹介されます。 -
説明板によれば 慶長6年(1601年)、上杉家は会津120万石から米沢30万石に減封され、家老の直江兼続は城下町の整備を行うととともに、戦いの準備とも言える鉄砲製造に着手し、関西方面から鉄砲師を呼び寄せ、人里離れた白布高湯(現白布温泉)にて火縄銃を製造させました。造られた鉄砲の数は1000挺にのぼるといわれています。
更に直江氏は、鉄砲の撃ち方などを記した「鉄砲稽古定」を発し、射撃訓練を奨励しました。この鉄砲製造と射撃訓練奨励は、「大阪冬の陣」で成果が発揮され、後に徳川秀忠より感謝状が贈られています。 -
米沢市立関小学校 高湯分校跡 米沢市大字関1522-3
西屋の茅葺とマッチした白布高湯の風物史です。
現在は町の集会所になっているそうです。
平成17年度休校 平成 2年度 学級数 1 児童数 4 教員数 1の小さな小さな分校の跡です。 -
米沢市立関小学校 高湯分校跡
さて前述のボランティアのガイドさんがこの分校での、逸話を紹介してくれました。
半世紀を超えるほど遥か昔 この分校にたった一人の女性教員が教鞭をとっていました。その女の先生はある日学校の目の前にある「かもしか太田酒店」のご主人に見初められ、その酒屋さんに嫁ぐことになりました。 -
これがその白布酒郷「かもしかや」「太田酒店」です。
さてこのお店に嫁いだ女先生は嫁いだ後もとても働き者で、それはそれは幸せな日々を過ごしたそうです。健康に長生きされて90歳を超えるほどの長寿であったとのことです。
以上 前述のボランティアのガイドさんからお聞きした逸話です。 -
「かもしかや」はいまや白布温泉地元で唯一のお店です。
今回も温泉や食事、地元の方々の心配り等に十分満足出来た良い旅行でしたが、
同行の皆さんはこちらで地元のお酒を調達し目的達成でご満悦。 -
かもしかやのお店の中でこんなポスターが
天元台ロープウエイで 天空の紅葉が楽しめるのだそうです。 -
かつて白布温泉には「東屋」「中屋」「西屋」3軒の茅葺屋根旅館がありました。
中央の茅葺き屋根が「西屋」です。「西屋」の隣の空き地が元「中屋旅館」があった所です。フリー百科ウイキベディアによれば平成12年3月25日午後5時5分頃、中屋旅館から出火し全焼しました。その時に並列していた東屋にも延焼し、西屋の壁の一部も焼けたそうです。その際宿泊客たちは、雪の中別館の中屋旅館不動閣に退避しました。出火原因は現在もなお不明のまま謎なのだそうです。
現在は「中屋」は、別館の不動閣で営業を継続しています。
かつては3軒並んでいた茅葺屋根が今では、「西屋」だけになってしまいました。
火災のあと「東屋」は建て替えましたが、「中屋」の本館だった場所は「中屋旅館駐車場」になっています。
手前の坂を登った所に「東屋」があります。 -
散策後 「西屋旅館」へ 足を延ばしこちらのお風呂も味わうことに。
こちらは茅葺き屋根の「西屋」です。
創業以来何百年も湯治宿として愛されてきた「田舎の素朴な旅館」です。
こちらのお風呂もとても癒されます。若女将が温泉の温度を毎日調節しています。ここの若女将メッセージは後述しますが気合十分で、思わず応援したくなります。
源泉が約60度、加水後は約42度に調節されます。3本の湯滝から流れ落ちる源泉はとても迫力があり、 常に大量に贅沢に湯船へと注ぎ込まれています。
(写真は同行のMさんが撮影したものです) -
「西屋旅館」について
白布温泉の開湯は今から700余年前、正和元年に遡ります(1312年)。
西屋の創業年代は諸説あるものの、はっきりとした記録が残されておらず初期の様子は定かではありません。
写真はこれからの降雪に備えて やはり冬場は雪国なんですね。 -
「西屋旅館」
現存する最古の記録は、江戸時代初期に当館先祖が書き残した書物「先祖本書記」。
上杉藩が当時幕府に内密で戦に備え鉄砲を製造した際、かの直江兼続公の勅命により、 堺・和泉(現在の大阪)から遠路はるばる呼び寄せた鍛冶職人を西屋に滞在させ、その寝食のお世話をしたというくだりが克明に記されています。 -
「西屋旅館」
少なくとも約500数十年前には西屋が確かに存在していたという、唯一の記録でもあります。とはいえここには華やかなもの、特別なものは何もありません。
創業以来幾百年、人里離れた西吾妻山の小さな湯治宿として夏場はお客様に温泉と寝床とを提供し、 冬はお休みにして麓の集落に下り、自然の厳しさと尽きることのない恩恵に寄り添いながら、細々と看板を守ってきたのです。 -
「西屋旅館」客室
蛇口をひねれば一定温の水やお湯が出るのも、もはや当たり前といっていい。
大変にありがたいものです。そんな時代に在りながら、西屋は今も客室に手洗いやエアコンがない、廊下を歩く音が軋み聞こえてくる、お風呂にはシャワーはおろかカランもない…。
現代の便利さ・文明の利器に慣れきった方々にとって、西屋の趣はひどく時代錯誤に見えるかもしれません。 でも、そんな方々にこそ触れていただきたい西屋の心があります。かつて日本のどこにでもあった、ゆるく懐かしい生活の息遣いが、ここには確かに残っています。 -
「西屋旅館」温泉表示
白布温泉(しらぶおんせん)源泉名: 白布第1・2・3号源泉
泉 質: 硫黄泉 泉 温: 59.8℃ 水素イオン濃度(pH): 7.1
効 能: 神経痛、筋肉炎、関節炎、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進、慢性皮膚病、慢性婦人病、糖尿病、創傷、火傷、動脈硬化症、高血圧症
以上は「西屋旅館」HPにてアピールされていたものです。 -
「西屋旅館」渡り廊下の下には温泉が流れています。
歩くと温かさが伝わってきます。 -
家庭サイズより少し大きめのお風呂です。
また、貸切風呂も湯滝風呂同様に開湯時の湯治場の面影を守っているため
「シャワー」や「カラン」はございませんのであしからず。 -
「西屋旅館」19代目 若女将 遠藤 央子さんのメッセージ(1)
白布に暮らし始めて今年で8年目、そして湯守を引き継いで2年目。
ここに暮らしていると、正直大変だなと思うことも多々あります。
でも、毎日山へ入るたびに気づかされるのです。
私たちはただ生きているのではなく、常に何かに守られ、「生きることを許されている」のだということに。
森を流れる温泉や山水の清らかなせせらぎ、四季を通して刻々と変化してゆく木々の囁き、
かつて人々が願いを込めて安置したお地蔵様達の苔むした姿…
そこに流れる穏やかな時間のすべてに、あらゆる日常の痛みや苦しみを手放して安らげる、かげがえのない癒しがあることを。 -
「西屋旅館」19代目 若女将 遠藤 央子さんのメッセージ(2)
私はこの白布温泉を、西屋を心から愛しています。 次の世代に確かに引き継ぐ日が来るまで、全力でこの宿を守り、この地で魂を磨き続けたい。
訪れてくださるお客様に、この静かなひと時を喜びと安らぎをありのままにお届けできるように。 この古き良き西屋で、どうぞ心行くまでお寛ぎ下さい。
(以上 同社HPより) -
ここまでちょっと長くなりましたね。
この後の行程は 「晩秋の山形探訪」(2)でお伝えすることにします。
旅行記へのお立ち寄り有難うございました。
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