2015/11/09 - 2015/11/10
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Donkyさん
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晩秋の山形探訪 2日目 まずランチは 米沢「そば処 吾妻軒」で「白猿蕎麦」をいただき「吾妻の白猿」を知りました。
二日目の お宿は新高湯温泉 米沢吾妻屋旅館。 天然温泉を源泉掛け流しで愉しめる秘湯の宿がキャッチコピーです。
泉質は 含硫黄-カルシウム-硫酸塩温泉(石膏硫化水素泉)
効能は 動脈硬化、きりきず、やけど、慢性皮膚病、高血圧症、慢性婦人病、糖尿病、神経痛 、筋肉痛、関節痛、五十肩、などなど・・・
3日目には松が岬公園を中心に上杉家城下町米沢で歴史を学び、お昼は170年の眠りから覚め、現代に蘇る『幻の山形天保そば』を味わいました。
日がな一日まったりと とても気ままな旅が続きます。
注) ブログ記事中「吾妻屋旅館」「松が岬公園」「上杉鷹山」に関する記述のうち一部は 各公式サイトから抜粋引用・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
二日目のお昼です。
まずは 米沢そば処「吾妻軒」で腹ごしらえをすることになりました。
「吾妻軒」お店に入って驚いたことに、中では白布温泉の三つの旅館の若女将たちが集合し、今後の営業拡大策を真剣に議論していたのです。
「頑張れ 若女将たち!!」 -
米沢「吾妻軒」でのお昼
漬物とにしん旨煮 -
米沢「吾妻軒」でのお昼 ・白猿蕎麦
白髪大根を山盛りにのせて出てきます。左上の大根のお漬物が「とても美味しかった」とは妹の感想です。
それでは白猿とは・・・・・? ただのサルではありません。米沢市指定天然記念物の「吾妻の白猿」なんです。
-
吾妻の白猿(ソバ屋吾妻軒や近隣のお店でも紹介されているので写真に残しました)
昨年末から1カ月にわたり米沢市街地に出没していたサルが1月30日に保護されました。ただのサルではありません。米沢市指定天然記念物の「吾妻の白猿」なんです。
――白猿って、いつごろ発見されたの?
米沢市の2人のハンターが1938(昭和13)年、福島県と山形県にまたがる西吾妻の山中で10歳くらいの白い雌ザルを発見して捕獲したのが最初だった。まもなく東京・上野動物園に引き取られたが、1年ほどで死んでしまったという。やがて戸川幸夫の小説「吾妻の白サル神」のモデルになった
以上は 2015年2月3日 朝日新聞デジタルより引用抜粋 ほぼ原文のまま -
吾妻軒でのお昼
きのこそば(鶏肉入り) -
二日目の宿である吾妻屋旅館からの送迎バスが 「吾妻軒」までお迎えに来てくれました。
「吾妻軒」から送迎バスでお宿へ移動。 -
二日目の宿である「吾妻屋旅館」へ
新高湯温泉 秘湯の宿がキャッチコピーです。
〒992-1472 山形県米沢市大字関湯の入沢3934
TEL.0238-55-2031 FAX.0238-55-2032
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
日本の秘湯を守る会「吾妻屋旅館」
山奥にひっそりと佇む吾妻屋旅館は、まさに秘湯と呼ぶに相応しい温泉が自慢の旅館です。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
吾妻屋旅館は秘湯が自慢の旅館ですが どのくらい山奥かというと「西吾妻山」の中腹 海抜1126メートルにあるのだそうです。
1126=イイフロ お後がよろしいようで。 -
早速露天風呂へ。
到着早々 自慢の天然温泉を源泉掛け流しで愉しむ贅沢はお風呂好きにはこたえられませんね。
24時間いつでも雄大な自然を活かした4つの露天風呂・2つの内風呂を心行くまで堪能できます。(男女別・時間指定あり)
奥に見えるのが眺望露天風呂。手前が大樹露天風呂です。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
「吾妻屋旅館」
眼前に広がる、手付かずの大自然。刻々と移り変わる美しい風景。
清涼な空気に包まれながら、まったりとリラックス。
ただひたすらリラックス。それが露天風呂温泉の醍醐味です。 -
「吾妻屋旅館」にて 「大岩狸風呂」
大きな岩に挟まれ、岩の奥から源泉が注がれている趣あふれる女性専用の露天風呂です。ただし朝の時間指定で男性用に1時間だけ開放されます。
一昔前まで大岩の間にタヌキの住まいがあり、タヌキが引っ越したのを機に露天風呂にしてしまったというお風呂です。 大きな岩に挟まれ外部から見えないので女性専用になっています。※冬季はご利用できません。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
「吾妻屋旅館」源流滝見風呂
最上川源流「白金の滝」を望み滝つぼに岩を組み上げた露天風呂です。
マイナスイオンを浴びながら目の前に落ちてくる豪快な滝を眺める贅沢が愉しめます。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
「吾妻屋旅館」眺望露天風呂
まさにダイナミックと言える開放感溢れる眺望露天風呂です。写真を見るとあまり大きく感じませんが、ここだけはたくさんある露天風呂の中でも 特に広くてデカいのです。
米沢藩町割りの目印として知る人ぞ知る兜山を正面に見据え、 天気が良ければ、遠くには飯豊朝日連山さえ望むことができる眺望が人気です。
広々とした湯船には新高湯源泉がたっぷりと張られ、極上の湯を源泉掛け流しで心行くまで愉しめます。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
泉質: 含硫黄-カルシウム-硫酸塩温泉(石膏硫化水素泉)
効能: 動脈硬化、きりきず、やけど、慢性皮膚病、高血圧症、慢性婦人病、糖尿病、神経痛 、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化 器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
泉温: 55.6℃ pH: 7.0
24時間いつでも雄大な自然を活かした4つの露天風呂を心行くまで堪能しましょう。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
貸し切り大樹露天風呂 大樹を繰り抜いたお風呂です。
こちらは玄関横にある貸し切りのお風呂で、2〜3人用です。
入り口の札を入浴中にして入ります。
自分たちが入浴する前に若いカップルが利用しているのを見かけたメンバーの一人はとても羨ましく思ったのだとか。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
「吾妻屋旅館」大樹露天風呂
大樹を切り抜いたお風呂ですが、これが栗の根っこ風呂の方にある一人用です。
この湯舟に注がれた温泉は、気温や状況により濁り具合がかわるお風呂だそうです。大樹を切り抜いた豪快な湯船なんて まるで原始のカヌーを彷彿とさせます。「湯舟」って語源は木彫りの中にお湯を入れたようなものだったのでしょうか?
この素朴な豪快さ、そうそうお目にかかれるわけではありません。
夜にはこぼれ落ちそうな星空が、見る者を感動させてくれます。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
もう一つの大樹露天風呂 一人用です。
「栗の根っこ風呂」と呼ばれていました。小さな湯舟なので一人入るとお湯があふれてなくなってしまうため、お湯がたまるまで待つ必要がありました。
でも本当に栗の大樹の根元をくりぬいたものかどうかは定かではありません。 -
静謐な山々に湯煙る秘湯風情を存分に愉しみ それから湯上りに地酒でまったりと。
夕食の時間になりました。
「まったり」とは本来、まろやかでコクのある味を表現する言葉として関西エリアで江戸時代から使われていました。
1980年代のグルメブーム時に関西の料理評論家や料理人がTV番組の中で使ったことから全国的に普及。
また、まったりはこうした味がゆっくり口に広がるさまを表現する言葉でもあり、これが転じて1990年代に入ると何もすることがなくてダラダラ(ゆっくり・のんびり)するさまを表す言葉として使われています。 -
吾妻屋旅館 夕食
湯を満喫したあとは、一品一品丁寧に仕上げた、山の幸などを
使った滋味豊かな料理と地酒でまったりとお愉しみ。
米沢牛の焼肉、とろろそば、山菜、玉こんにゃく・・・ -
吾妻屋旅館 夕食
岩名の塩焼き、山女の刺身、 -
吾妻屋旅館 夕食
熱々の焼肉 -
吾妻屋旅館 夕食
たっぷり豚汁(大きいお椀にびっくりぽん!熱々であたたまる(^^♪)幸せ? -
一夜明けて 吾妻屋旅館 朝食
温泉卵、納豆、鮭、海苔、蕨のお浸し、煮物で東日本の山里の朝ごはん -
山里の朝ごはんを十分に味わって これから「上杉の城下町」である米沢市内観光開始です。
私は米沢は2008年6月に訪れて以来ですから7年ぶり2度目の訪問になります。 -
まずは 米沢「松が岬公園」です。
目に鮮やかな紅葉が園内随所に -
松が岬公園にて
公園内にあるのは見覚えのある米沢牛コロッケのお店。
前回もなぜか買いそびれたのですが、今回も少し満腹気味だったせいもあり買わずじまいでした。 -
米沢 松が岬公園案内図
大正8年に起こった米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまいましたが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、大正12年、現在の神社が完成しました。設計は米沢出身で、神社建築の第一人者伊東忠太博士です。 -
米沢 松が岬公園にて
園内の紅葉も今が見ごろ 色鮮やかにピークです。 -
米沢 松が岬公園にて
この地ではなんといっても鷹山公、そして直江兼続がヒーローです。
もちろん上杉謙信ですが、彼って別格の神様なんですね。
後述しますが、謙信とそれ以外の偉人・武人たちがたくさんいた感じです。
-
「松が岬神社」
明治に入り、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が松岬神社に分祀されました。
大正12年上杉景勝が合祀され、昭和13年、米沢市制施行50周年を記念して、新たに直江兼続、鷹山の師細井平州、重臣竹俣当綱、莅戸善政が配祀されました。 -
上杉神社は今でも米沢市民の心の支えとなっていて、初詣やお宮参り、結婚式や安全祈願など、四季を問わず多くの市民が訪れています。
ちょうど七五三に時期でもあり、お参りの親子連れにも大勢遭遇しました。 -
米沢 観光協会
協会のボランティアの方の園内案内は 出発前から予約されていました。 -
この方がご案内いただいた ボランティアのガイドさんです。
松が岬公園内の二つの神社 この土地が生んだ偉人・賢人について詳しく説明してくださいました。
(写真は同行のMさんが撮影したものです。) -
米沢 観光協会にて
NHK木曜時代劇「かぶき者 慶次」ポスターが
米沢が舞台なのですね。 -
米沢 観光協会にて
上杉謙信 敗戦をあまり体験したことがなく、あの信長ですら一目置かざるを得なかった謎の武将。天下取りを目指したことのない不思議な武将。
「我は毘沙門天の生まれ変わり也」と自ら言っていたとかいないとか、理解できない行動に歴史家や小説家が脚色したのかもしれませんが、女人を遠ざけたとかで謙信女性説まであり、どこか不気味で、謎が多くて、でも魅力的ですよね。 -
米沢 松が岬公園にて
「天地人」上杉景勝と直江兼継の主従像
減封されても家臣を決してリストラしなかった初代藩主・景勝。減俸されても藩を捨てなかった家臣団。どん底の藩の財政をなんとかしようとあの手この手で策を講じた家老直江兼継。その後も景勝の意向を守り続けた歴代藩主たち。やがて上杉鷹山という偉大な人物の登場につながっていく歴史。大河ドラマや歴史ドラマでも景勝と兼継の主従二人は頻繁に登場しますね。 -
米沢 松が岬公園にて 石碑「上杉鷹山公の誓い」
「受けつぎて 國のつかさの身となれば 忘れまじきは民の父母」
日向高鍋藩主・秋月種美の次男として高鍋藩江戸藩邸で生まれますが、宝暦10年(1760年)、米沢藩主・上杉重定の養嗣子となった時から偉大な歴史上の人物への道を歩むことになります。
上杉家は、18世紀中頃には借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積する一方、石高が15万石(実高は約30万石)でありながら初代藩主・景勝の意向に縛られ、会津120万石時代の家臣団6,000人を召し放つことをほぼせず、家臣も上杉家へ仕えることを誇りとして離れず、このため他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かったのです。そのため、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていました。
新藩主に就任した治憲(後の鷹山)は、民政家で産業に明るい竹俣当綱や財政に明るい莅戸善政を重用し、先代任命の家老らと厳しく対立しました。 -
それまでの藩主では1500両であった江戸仕切料(江戸での生活費)を209両余りに減額し、奥女中を50人から9人に減らすなどの倹約を行ったのです。
ところが、そのため幕臣への運動費が捻出できず、その結果1769年(明和6年)に江戸城西丸の普請手伝いを命じられ、多額の出費が生じて再生は遅れていきます。
天明年間には天明の大飢饉で東北地方を中心に餓死者が多発していましたが、治憲は非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など対策に努め、自らも粥を食して倹約を行ないました。 -
また、曾祖父・綱憲(4代藩主)が創設し、後に閉鎖された学問所を藩校・興譲館(現山形県立米沢興譲館高等学校)として細井平洲・神保綱忠によって再興させ、藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせます。
安永2年6月27日(1773年8月15日)、改革に反対する藩の重役が、改革中止と改革推進の竹俣当綱派の派の罷免を強訴し、七家騒動が勃発しましたが、これを退けます。
これらの施策と裁決で破綻寸前の藩財政は立ち直り、次々代の斉定時代に借債を完済しました。この借財完済って大変なことですよ。 -
天明5年(1785年)に家督を前藩主・重定の実子(治憲が養子となった後に生まれた)で治憲が養子としていた治広に譲って隠居しますが、逝去まで後継藩主を後見し、藩政を実質指導しました。
隠居すると初めは重定隠居所の偕楽館に、後に米沢城三の丸に建設された餐霞館が完成するとそちらに移ります。享和2年(1802年)、剃髪し、鷹山と号しました。 -
松岬神社
上杉景勝、上杉鷹山、直江兼続ほか3名が祀られています。
明治に入り、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が松岬神社に分祀されました。 -
松岬神社にて
大正12年上杉景勝が合祀され、昭和13年、米沢市制施行50周年を記念して、新たに直江兼続、鷹山の師細井平州、重臣竹俣当綱、莅戸善政が配祀されました。 -
上杉神社
上杉謙信が祀られています。
明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。
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明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となりました。
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上杉神社にて
手洗いの上の石像が虎の頭です。通常は竜が多いのですが、・・・。 -
上杉神社にて
ところで上杉家廟所 には上杉謙信をはじめ米沢藩代々の藩主が眠っています。
上杉景勝が亡くなった元和9年(1623年)より上杉家の御廟所とされました。以後、歴代の藩主が埋葬されてきました。
明治6年の米沢城解体に伴い、米沢城に安置されていた上杉謙信の遺骸も、明治9年、御廟所へ移されました。 -
神社内には、上杉神社の宝物殿である稽照殿があります。
この日も開館中でした。 -
上杉神社にて由緒と宝物殿ご案内
上杉謙信が祀られています。
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三日目のお昼は 新そば菊太郎「新富」で
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新そば「新富」
ここの謳い文句は「幻の山形天保そば」です。 -
幻の山形天保そば(山形堺製麺所HPより)
170年の眠りから覚め、現代に蘇る!!『幻の山形天保そば』
1998年のとある日、福島県の旧家の天井裏から「そばの実」がびっしり詰められた《俵》が発見された。
時は、江戸時代後期。冷害凶作にみまわれ餓死する者が続出した、世に言う天保の大飢饉の頃。同じ思いを子孫にはさせまいと、貯蔵食として天井裏にその《俵》を保管したのだという。そして、代々言い伝えられ、今日まで大切に保管されていた。まさに、ご先祖が残した宝物であった。
「そばの実」は長さ70cm、直径30cm位の小型の俵に詰められ、更に二重三重の俵で保護されており、それぞれ俵の隙間には木炭と炭の粉がびっしり詰められていた。それは、ネズミなどの食害から「そばの実」を守る為の知恵であった。
発見後、先祖が残した「そばの実」を何とか蘇らせたい。と、国や大学の公的機関に送り発芽試験を依頼。しかし「すべての種子で胚は発芽活性を喪失、成長能力はない。」との報告であった。
それでも、あきらめきれない熱意と、その「そばの実」約100グラムを運命的に引き継いだ「保存の会」のメンバーらがこの試みに挑戦したのである。専門の公的機関でも全く発芽する気配すら見せなかった天保そばを、見事に発芽させた。天保そばが山形の地で蘇ったのだ。
他品種と交配しないよう、日本海に浮かぶ飛島の畑で種子を採取、山形市内の畑で栽培した。収量は徐々に増加。
そして、十年間、試行錯誤を重ね、ついに、店頭販売できるまでの収量を確保するまでになったのだ。
天保そばとは、そんな謂れのある幻のそばなのである。 (原文そのまま) -
名物板そば
幻の山形天保そばがこれです。感激(^^♪ -
天ぷらの盛り合わせ(レモン)
-
米沢市内のあちこちに巨大な牛のモニュメントが!
これってちょっとしたサプライズですね。 -
散策中米沢の市街でみかけたお肉屋さんの前の金色のモニュメント。
これっていったい何だったのでしょうね。 -
歴史に触れる「米沢市上杉博物館」
上杉博物館には、数千に及ぶ上杉氏ゆかりの貴重な品々や国宝が収蔵されています。
展示室は「常設展示室」と「企画展示室」に分かれていて、常設展示室では上杉の歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に構成されています。 -
企画展示室では、置賜の歴史、上杉文化など歴史や美術に関する企画展や、郷土ゆかりの作家や作品を取上げた展示を行います。
マスコットキャラクター「かねたん」
わかりますよね。米沢に功績の多い智将「直江兼継」です。 -
立派な能舞台が博物館入口のロビーにありました。
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モミジの紅葉真っ盛り
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農産物振興のために垣根に植えた「うこぎ」のソフトクリーム
-
うこぎの垣根の説明
ウコギとはウコギ科の植物で、米沢地方では古くから食用を兼ねた垣根として利用されています。 -
うこぎの葉
上杉の知将「直江兼続」の勧めにて米沢で栽培が始まり、後の米沢藩九代藩主「上杉鷹山」がウコギの垣根を奨励したとされ、春から初夏にかけての新芽が美味しく切り和えやおひたしをはじめ天ぷらなど、様々な料理法でいただけます。
「垣根から食材を」ここでも智将「直江兼続」の功績が光ります。
恐るべし直江兼続、地元の歴史上の偉大なヒーローです。 -
JR米沢駅
米沢から帰路につきます。 -
復路乗車前に米沢駅前にて休息
ここがあの牛丼弁当の製造直売所です。 -
初日に駅のホームで見かけた米沢名物「牛丼弁当」は駅前の製造直売お弁当屋さんで仕入れ 全ての行程を終了しました。
-
もう一つは栗めし弁当。
帰途の夕飯になります。 -
復路は「つばさ14号」 16:23 米沢駅発
大宮駅へは18:10着です。 -
今回もご一緒いただいた皆様有難うございました。
7年ぶり 2度目の米沢は 晩秋で紅葉が鮮やかに色づいてとても爽やかな季節を感じることができました。
今日も記事へのお立ち寄り有難うございます。
「晩秋の山形探訪」 了
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