2015/04/04 - 2015/04/04
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bakanekoさん
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金剛寺の素晴しさに感動し、なんとなくご機嫌で観心寺に向かう。ここの梅はきれいであったが、それゆえ桜はもうひとつであろうと思っていたが、やはり少なかった。梅の観心寺はまだアップしていない。旅行記の掲載がずたずたになっているのである。これもこれも次の第3目標で写真を撮りすぎ、編集が止まってしまったのである。
5月の連休金もなく作戦行動がとれず、編集にうつつを抜かす。
とりあえず観心寺の桜でも眺めていただこう。
観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。
その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。
弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命して、その弟子真紹とともに天長四年(827年)より 造営工事に着手された。
以後、当時は国家安泰と厄除の祈願寺として、また高野山と奈良・京都の中宿として発展する。
- 旅行の満足度
- 4.0
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観心寺 寺・神社・教会
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梅の本数が多いので、桜はやはり少なかった。
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つくづく大阪ではない。というか筆者がごみごみした大阪に慣れすぎたのだと思う。大阪のチベットとかつて言われた河内長野。大阪市内の高校にいけず、南海高野線で河内長野の高校に行っていた連中は島流しといわれたものである。
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人もいなく静か。
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秋にまた来ようと思う。
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梅のときはすごかった。桜はちらほら。
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しかしこの近郊もベッドタウンと化し、尾根ひとつ越えれば下品な住宅街である。
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ここは梅が咲きそろっていた。
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江戸から続くのであろうか、建物の古さ加減は、東大寺をにおわすような感じである。
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最後に観心寺振り返り。
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観心寺をでて、次の目標まで裏道を行く。
楠木正成の千早赤阪城近辺を行く。 -
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2015/05/06 23:58:44
- 成功者。
- bakanekoさん、今晩は。
莊子は言う、猿のほとんどはその才能に差異は無い、しかし、居場所(梅、樟(楠木)、山桑)を見付ける事が出来た猿は、木の上で自由に行き来して、例え弓の名手と言えども射殺す事は出来なくなり、居場所を見付けた猿ほど、幸いな物は無いと。
引いて、猿(成功者)の、その居場所(梅、樟(楠木)、山桑)を意味してます。
ただし、山桑は虫が付くので庭園樹木には適さない。
梅の木が多いと言う事は、成功者として基盤を形成したと言う意味が込められてます。
(ぶっちゃけ言うと、プライド高い。笑)
楠木氏も帝から賜った名なので、帝の楠木(権威基盤)と為れとの意味が込められてます。
墨水。
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