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南大阪桜紀行 まずは和泉市若樫町の山本家所有のシダレザクラを攻略する為、朝6時前自宅を車で出る。現地に着くなり・・・・・・・もうすでに葉桜となり緑の葉がたなびいている。とりあえず河内長野まで進出し歓心寺等で善後策を練ろうと思った。外環状線をひた走り途中で金剛寺の看板があった。そうだ一度金剛寺を見に寄ろうと行く。素晴しい桜がたたずんでいた。 大阪のチベット河内長野 天野山金剛寺の駐車場に停める。小雨の為、朝7時過ぎでは誰もいない。<br />ただ残念なのは建物の修復の為、工事があちこち行われていた。<br />撮影に行こうと駐車場に出る。<br /><br />後から「おい」<br />私「うひゃーでたでた・・・・・」<br />ここは大阪なので完全に忘れていた。この人のいわくつきの寺だったのである。そう 皆様お待ちかねの土門先生<br />登場である。<br />「形あるものは滅びるのだ」<br />私「いや先生、滅びてしまえばあとかたもなく」<br />ということで土門先生の持論はこうである<br /><br />古寺巡礼より<br />中尊寺の撮影にあたり、筆舌に尽くせぬご厄介になった僕だが、解体修理成った金色堂の写真を前にして、一言申しあげるを禁じ得ないのである。<br /> ぼくが、我が身の人一倍重いのを悔やんで這うように動き、毀(こわ)れ物を扱うようにライトをセットしたとき、八百年の歴史を背負って淡い光を放って見せた金色堂内陣は、もはやない。八百年の歴史はきんきらきんに塗り込められてしまったのである。もちろんこの解体修理に際し、日本一流の技術陣が総出であたられたであろうことは、僕も聞き知っている。しかしこの技術陣にして果たして八百年昔の技術は完全な形で継承されていたであろうか。はたまた、材質面における往時との差はなかったであろうか。天野山金剛寺の雀文手筥(すずめもんてばこ)、御獄(みたけ)神社蔵赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)等における補修のまずさを眼のあたりにしてきたぼくは不安でならない。<br />よしんば技術が、あるいは材質が、八百年の歳月を完全にうめつくしていたとしても、ぼくは解体修理それ自体に賛成できない。いかに八百年を遡った姿に近づいていようとも、それはあくまで八百年昔の真似ごとにすぎぬからである。厳然として存在した歴史を模倣することは、それがいかにうまく真似られようとも、真実とはほど遠いものになってしまうのである。<br /> 漆の剥げ落ちた跡に残る螺鈿は、いつも鈍い光を放っていたし、緑青の浮いた打出しの孔雀文は和菓子のような柔らかさだった。ぼくはこれらに好んでカメラを向けたものである。あの金色堂は消え去り、昭和元禄出来の金色堂に変容してしまった。ぼくの好きだった金色堂は、今や『古寺巡礼』の第四集に残るのみである。消えた金色堂を悔やむのはぼくひとりだろうか。日本の文化に心ある人は、少なからず嘆息しておられることだろう。また中尊寺に詣でる人たちは、果たして金ピカの金色堂に驚き声をあげるために登山されるのであろうか。ぼくはそうは思わない。日本人の生み出した文化の、八百年の歴史に頭を垂れたくて、岩手県平泉を訪れるはずである。今まさに崩れんとする金色堂を前に、八百年の歴史に思いを馳せるために、中尊寺に詣でるのである。<br /> 「形あるものは亡びる」、亡びるものは亡ばしめよう。剥げ落ちる金箔は、剥げ落ちるにまかせておけばよい。「形あるものは、命あるものは、いつか亡びねばならない」ものなのである。亡びつつも美しさは衰えることなく、そして昇華する一瞬においても、美は消え去りはしないのである。<br /><br />天野山金剛寺へのアクセス<br />&lt;電車・バスの場合&gt;<br />■南海高野線 河内長野駅下車(南海なんば駅より急行で約27分)<br />■南海バス光明池駅前行、槇尾中学校前行、またはサイクルスポーツセンター行にて天野山下車すぐ。<br /><br />拝観料・拝観時間<br />&lt;拝観料&gt;<br />宝物殿、庭園、北朝御座所拝観<br /><br />■大人400円<br />■中学生200円<br />■小人100円<br />30人以上の団体は割引あり<br /><br />&lt;拝観時間&gt;<br />午前9時〜午後4時30分<br /><br /><br /><br />天野山金剛寺は、奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)により、当時の高僧である行基によって開かれたと伝わっています。 また、平安時代には、弘法大師(空海上人)の修行の聖地として知られています。その後、衰退をしますが、平安時代の終わりに阿観(あかん)上人が後白河上皇とその妹の八条女院(はちじょうにょいん)の庇護を受けて金堂(本堂)多宝塔(たほうとう)、御影堂(みえどう)などの伽藍(がらん)を再興してゆきました。その結果。金剛寺は八条女院の祈願所となり、また、侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(いんじゅ=住職)となったことから、「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれるようになりました。<br />その後、鎌倉時代の終わりには後醍醐天皇(ごだいごてんのう)との関係ができ、南北朝時代には、南朝方の拠点となり後村上天皇(ごむらかみてんのう)が正平9(1354)年から6年間、子院(しいん)の「摩尼院(まにいん)」「食堂(じきどう)」を行宮(あんぐう)として政務を執られました。また、その間、 北朝三上皇が、一時子院「観蔵院(かんぞういん)」に幽閉された時期がありました。 南北朝が終わり、寺領から生み出される米や木材、炭、特に「天野酒(あまのさけ)」は商品として寺の経済を潤し、子院は80以上を数え、さらに、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け幕末まで307石寺領を所有しました。 このような歴史から、金剛寺には、国宝3件、重要文化財40件をはじめ数多くの美術工芸品や歴史的建造物が伝えられています。特に伽藍には金堂、多宝塔、御影堂、鐘楼(しょうろう)、食堂、楼門(ろうもん)などの重要文化財や、五仏堂(ごぶつどう)、薬師堂(やくしどう)、開山堂(かいさんどう)などの大阪府指定文化財で構成されています。これらの建物は、慶長11(1106)年に豊臣秀吉によって修理され、また、元禄13(1700)年に徳川吉宗の命により岸和田藩主が奉行となって修理を行っています。 この元禄時代の修理から300年間、大規模な修理は行われていません。その為。永年の風雨に耐えた建物は沈下や歪みが生じ、この度、解体修理をする事になりました。<br /><br />また、金堂に安置されていますご本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)不動明王坐像、(すべて重要文化財)の三躯(さんたい)の仏像も修理する運びとなりました。<br /><br />

南大阪桜紀行 その1 大阪のチベット河内長野 天野山金剛寺

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2015/04/04 - 2015/04/04

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bakaneko

bakanekoさん

南大阪桜紀行 まずは和泉市若樫町の山本家所有のシダレザクラを攻略する為、朝6時前自宅を車で出る。現地に着くなり・・・・・・・もうすでに葉桜となり緑の葉がたなびいている。とりあえず河内長野まで進出し歓心寺等で善後策を練ろうと思った。外環状線をひた走り途中で金剛寺の看板があった。そうだ一度金剛寺を見に寄ろうと行く。素晴しい桜がたたずんでいた。 大阪のチベット河内長野 天野山金剛寺の駐車場に停める。小雨の為、朝7時過ぎでは誰もいない。
ただ残念なのは建物の修復の為、工事があちこち行われていた。
撮影に行こうと駐車場に出る。

後から「おい」
私「うひゃーでたでた・・・・・」
ここは大阪なので完全に忘れていた。この人のいわくつきの寺だったのである。そう 皆様お待ちかねの土門先生
登場である。
「形あるものは滅びるのだ」
私「いや先生、滅びてしまえばあとかたもなく」
ということで土門先生の持論はこうである

古寺巡礼より
中尊寺の撮影にあたり、筆舌に尽くせぬご厄介になった僕だが、解体修理成った金色堂の写真を前にして、一言申しあげるを禁じ得ないのである。
 ぼくが、我が身の人一倍重いのを悔やんで這うように動き、毀(こわ)れ物を扱うようにライトをセットしたとき、八百年の歴史を背負って淡い光を放って見せた金色堂内陣は、もはやない。八百年の歴史はきんきらきんに塗り込められてしまったのである。もちろんこの解体修理に際し、日本一流の技術陣が総出であたられたであろうことは、僕も聞き知っている。しかしこの技術陣にして果たして八百年昔の技術は完全な形で継承されていたであろうか。はたまた、材質面における往時との差はなかったであろうか。天野山金剛寺の雀文手筥(すずめもんてばこ)、御獄(みたけ)神社蔵赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)等における補修のまずさを眼のあたりにしてきたぼくは不安でならない。
よしんば技術が、あるいは材質が、八百年の歳月を完全にうめつくしていたとしても、ぼくは解体修理それ自体に賛成できない。いかに八百年を遡った姿に近づいていようとも、それはあくまで八百年昔の真似ごとにすぎぬからである。厳然として存在した歴史を模倣することは、それがいかにうまく真似られようとも、真実とはほど遠いものになってしまうのである。
 漆の剥げ落ちた跡に残る螺鈿は、いつも鈍い光を放っていたし、緑青の浮いた打出しの孔雀文は和菓子のような柔らかさだった。ぼくはこれらに好んでカメラを向けたものである。あの金色堂は消え去り、昭和元禄出来の金色堂に変容してしまった。ぼくの好きだった金色堂は、今や『古寺巡礼』の第四集に残るのみである。消えた金色堂を悔やむのはぼくひとりだろうか。日本の文化に心ある人は、少なからず嘆息しておられることだろう。また中尊寺に詣でる人たちは、果たして金ピカの金色堂に驚き声をあげるために登山されるのであろうか。ぼくはそうは思わない。日本人の生み出した文化の、八百年の歴史に頭を垂れたくて、岩手県平泉を訪れるはずである。今まさに崩れんとする金色堂を前に、八百年の歴史に思いを馳せるために、中尊寺に詣でるのである。
 「形あるものは亡びる」、亡びるものは亡ばしめよう。剥げ落ちる金箔は、剥げ落ちるにまかせておけばよい。「形あるものは、命あるものは、いつか亡びねばならない」ものなのである。亡びつつも美しさは衰えることなく、そして昇華する一瞬においても、美は消え去りはしないのである。

天野山金剛寺へのアクセス
<電車・バスの場合>
■南海高野線 河内長野駅下車(南海なんば駅より急行で約27分)
■南海バス光明池駅前行、槇尾中学校前行、またはサイクルスポーツセンター行にて天野山下車すぐ。

拝観料・拝観時間
<拝観料>
宝物殿、庭園、北朝御座所拝観

■大人400円
■中学生200円
■小人100円
30人以上の団体は割引あり

<拝観時間>
午前9時〜午後4時30分



天野山金剛寺は、奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)により、当時の高僧である行基によって開かれたと伝わっています。 また、平安時代には、弘法大師(空海上人)の修行の聖地として知られています。その後、衰退をしますが、平安時代の終わりに阿観(あかん)上人が後白河上皇とその妹の八条女院(はちじょうにょいん)の庇護を受けて金堂(本堂)多宝塔(たほうとう)、御影堂(みえどう)などの伽藍(がらん)を再興してゆきました。その結果。金剛寺は八条女院の祈願所となり、また、侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(いんじゅ=住職)となったことから、「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれるようになりました。
その後、鎌倉時代の終わりには後醍醐天皇(ごだいごてんのう)との関係ができ、南北朝時代には、南朝方の拠点となり後村上天皇(ごむらかみてんのう)が正平9(1354)年から6年間、子院(しいん)の「摩尼院(まにいん)」「食堂(じきどう)」を行宮(あんぐう)として政務を執られました。また、その間、 北朝三上皇が、一時子院「観蔵院(かんぞういん)」に幽閉された時期がありました。 南北朝が終わり、寺領から生み出される米や木材、炭、特に「天野酒(あまのさけ)」は商品として寺の経済を潤し、子院は80以上を数え、さらに、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け幕末まで307石寺領を所有しました。 このような歴史から、金剛寺には、国宝3件、重要文化財40件をはじめ数多くの美術工芸品や歴史的建造物が伝えられています。特に伽藍には金堂、多宝塔、御影堂、鐘楼(しょうろう)、食堂、楼門(ろうもん)などの重要文化財や、五仏堂(ごぶつどう)、薬師堂(やくしどう)、開山堂(かいさんどう)などの大阪府指定文化財で構成されています。これらの建物は、慶長11(1106)年に豊臣秀吉によって修理され、また、元禄13(1700)年に徳川吉宗の命により岸和田藩主が奉行となって修理を行っています。 この元禄時代の修理から300年間、大規模な修理は行われていません。その為。永年の風雨に耐えた建物は沈下や歪みが生じ、この度、解体修理をする事になりました。

また、金堂に安置されていますご本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)不動明王坐像、(すべて重要文化財)の三躯(さんたい)の仏像も修理する運びとなりました。

旅行の満足度
4.0
  • これが土門先生お怒りの手箱である

    これが土門先生お怒りの手箱である

  • 朝、7時過ぎ駐車場に着く。後から声が「おい。へたくそ!!」

    朝、7時過ぎ駐車場に着く。後から声が「おい。へたくそ!!」

  • 私「先生。いきなりのアップは、私の心臓に悪いですよ・・・・」<br />土門「また下手な写真の大量生産か。勝負は一発だ」

    私「先生。いきなりのアップは、私の心臓に悪いですよ・・・・」
    土門「また下手な写真の大量生産か。勝負は一発だ」

  • 駐車場横の桜

    駐車場横の桜

  • これらの光景を見た瞬間、ここは撮れると思った

    これらの光景を見た瞬間、ここは撮れると思った

  • 桜も散り始めている

    桜も散り始めている

  • 何が主題やらわからない

    何が主題やらわからない

  • なにやら、明治の学校のようである

    なにやら、明治の学校のようである

  • 川沿いに味のある僧坊が続く

    川沿いに味のある僧坊が続く

  • この川と壁が良い

    この川と壁が良い

  • ええ感じである。<br />

    ええ感じである。

  • 土門「すべては滅びてゆくのだよ」

    土門「すべては滅びてゆくのだよ」

  • 何というか味のある風景。ここが大阪府とは思えない

    何というか味のある風景。ここが大阪府とは思えない

  • 土門「少しはマシな構図だな」

    土門「少しはマシな構図だな」

  • この壁が最高である

    この壁が最高である

  • なにやら奈良の匂いがする

    なにやら奈良の匂いがする

  • あ  ここがええな。向こうは南朝の行宮跡

    あ  ここがええな。向こうは南朝の行宮跡

  • もう4日早ければ見事だった。しだれは早い。<br />土門「滅びるのは仕方がないのだよ」

    もう4日早ければ見事だった。しだれは早い。
    土門「滅びるのは仕方がないのだよ」

  • 大阪とは思えない。やはり大阪のチベットである。

    大阪とは思えない。やはり大阪のチベットである。

  • 南朝行宮跡   最近南朝に縁がある

    南朝行宮跡   最近南朝に縁がある

  • 人がいないのは絵になる

    人がいないのは絵になる

  • 半分葉桜。

    半分葉桜。

  • 夜は怖いと思う。百鬼夜行がでそうな

    夜は怖いと思う。百鬼夜行がでそうな

  • ここの中が中心伽藍 工事中<br />土門「いただけない」

    ここの中が中心伽藍 工事中
    土門「いただけない」

  • 工事中なので撮るのに四苦八苦

    工事中なので撮るのに四苦八苦

  • 内側はテントやらいろいろで興醒め

    内側はテントやらいろいろで興醒め

  • しかし、このあたりはつくづく渋いと思う

    しかし、このあたりはつくづく渋いと思う

  • ここが気に入った。来年は葉桜の前に来よう。

    ここが気に入った。来年は葉桜の前に来よう。

  • なにやらこの小路もええ感じである

    なにやらこの小路もええ感じである

  • もう駐車場である<br />土門「今日は乗らん」<br />私「先生。意地になりすぎですよ」

    もう駐車場である
    土門「今日は乗らん」
    私「先生。意地になりすぎですよ」

  • 結構このやねの緑が気に入る

    結構このやねの緑が気に入る

  • このよれた感じがいい

    このよれた感じがいい

  • 私「ねえ土門先生・・・・いない・・・・眉間にしわを作って帰ってしまった」

    私「ねえ土門先生・・・・いない・・・・眉間にしわを作って帰ってしまった」

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