2014/08/05 - 2014/08/07
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chiaki-kさん
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ハプスブルク家は、スイスに発祥した貴族である。古代ローマのユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世時代には政略結婚により広大な領土を獲得した。 中世から20世紀初頭まで、神聖ローマ帝国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国などの国王や皇帝を輩出した名門である。ローマ皇帝のシンボルマーク双頭の鷲は、神聖ローマ帝国の紋章となり、神聖ローマ帝国消滅後はオーストリア帝国に引き継がれた。
-中略-
1806年、ナポレオン1世によって神聖ローマ帝国は解体され、オーストリア帝国を盟主とするドイツ連邦となった。その後、オーストリアはクリミア戦争でロシアと敵対し、1859年にはサルデーニャ王国に敗れてロンバルディアを失った。1866年の普墺戦争ではプロイセンに大敗し、ドイツ連邦は消滅した。オーストリアの衰退に伴い、諸民族が自治を求めて立ち上がった。この運動を抑えるため、マジャール人(ハンガリー人)と協力した国家オーストリア・ハンガリー二重帝国が作られた(1867年)。皇帝にはフランツ・ヨーゼフ1世が即位、その妻が美貌で有名なエリーザベトである。
ハプスブルク家の悲劇は続く。1889年には皇太子ルドルフが心中事件で死亡、1898年には皇后エリーザベトが暗殺された。そして1914年、サラエヴォで、皇位継承者フェルディナントが暗殺され、第一次世界大戦が勃発した。オーストリアはドイツとともに同盟国として戦うが敗れ、二重帝国は解体した。1918年、皇帝カール1世は亡命し、650年間君臨したハプスブルク帝国は崩壊した。
【参考資料】ハプスブルク帝国 加藤雅彦 河出書房新社
WW1の結果、消滅した王家はホーエンツォレルン家(ドイツ帝国)、オスマン家(オスマン帝国)、ロマノフ家(ロシア帝国:但し革命により)、そして、ハプスブルク家(オーストリア=ハンガリー帝国)。
トップの写真はウィーンのシンボルでもあるシュテファン大聖堂の屋根瓦に描かれた双頭の鷲。シュテファン大聖堂はハプスブルク家の霊廟でもあるのだ。そして、左の窓の人物はフランツ・ヨーゼフ1世(1848-1916) 度重なる敗戦、相次ぐ身内の不幸に見舞われた悲運の皇帝。WW1中に亡くなるが、現在のウィーンの街を作った人物。右はフランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベート(1837-1898) バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の出身。当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、ウエスト50センチで体重は50キロという驚異の体形の持ち主だった。
2024/03/04 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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8/5
5:30 ホテルの窓から見たウィーンの夜明け。手前がはゴルフ練習場、向こう側に高層ビル群が見える。 -
7:00 ボセイ・ホテルの朝食はマッシュルームや数種類のチーズ、サーモンやゆで卵まであって良かった。
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8:00 朝食後、少し時間があったのでスーパー探し。ホテルから10分ほど場所に Hofer という中規模のスーパー(8:00~18:00、日曜休業)があったので、チーズなどを購入、今度は部屋の冷蔵庫へ。写真はバスの車窓から撮影した Hofer 。
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9:00 ウィーン市内見学に出発。まずはシェーンブルン宮殿へ。写真は2本の塔が目印のシェーンブルン宮殿の門。
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シェーンブルン宮殿へ入場。
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入ってすぐ左手の建物内にあるチケッット売り場へ向かう。茶色い帽子をかぶっている方が今日の現地ガイドさんだが、関西出身のようしゃべる、オバはんだった。ミニ情報であるが宮殿内にはトイレが少なく、女性は大行列になるそうだが、ここの地下トイレなら混まないそうだ。(ガイドさん顔出しOKです)
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宮殿を斜め手前から撮影。ここでシェーンブルン宮殿についてスタディ。
シェーンブルン宮殿は、ウィーンにある宮殿のひとつで、ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。WW1の敗戦によりハプスブルク家が国外退去となった為、敷地・庭園・建物はすべて国のものとなる。建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。
また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑があり、ここからは周囲が一望できる。年間入場数150万人。更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローと云うが、彼女が好んでいた色というわけではない。
観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されており、なんと住民がいる。これは1960年代にウィーンの住宅問題を解決するために考え出されたものであるが、現在では居住に不便な部分も多数あり、人気は低い。2LDKで100m?、家賃は日本円で4万7千円だそうだ。現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。
(Wikipedia参照)
世界遺産に住むって、どういう気分なんだろう。 -
↑の位置で正門を振り返るとこんな感じ。門の右側が先ほどのチケット売り場(売店あり)。
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まだ9:30だというのに、この混雑。ツアーだったのですんなり入場するが、我々の後について入ろうとした不埒な客(欧米系の女性)は、ちゃんと人数を数えていた自動改札口の機械で止められていた。
宮殿内は写真撮影禁止なので、売店で購入したガイドブックより、何点かお届けします。 -
フランツ・ヨーゼフ1世の書斎にはヨーゼフ1世と皇妃エリザベートの若い頃の肖像画がある。左下にいる人物は皇帝専属の狩猟官(執事)。
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フランツ・ヨーゼフ1世の寝室。第一次世界大戦中の1916年、老いた皇帝はこの部屋で息を引き取った。
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宮殿中央部分にあるのが大ギャラリー。まさにヴェルサイユ宮殿の鏡の間に匹敵する。宮殿の壁にはたくさんの絵画が飾られているが、オペラ上演を描いた画の中にモーッアルトの姿が。ただし後から書き加えられたものらしい。
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ナポレオンの部屋。ナポレオンはフランツ2世の娘マリー・ルイーズと政略結婚し、ひとり息子のナポレオン・フランツ(ナポレオン2世)が生まれるが、フランツが2歳のときにナポレオンは失脚、その後フランツは母親とともにウィーンへ戻り、肺結核により21歳で亡くなるまで、シェーンブルン宮殿で過ごした。
現在ナポレオン2世はパリ、アンバリッドで父親のナポレオン1世の隣で眠っているが、ウィーンからパリに墓を移したのは、なんとアドルフ・ヒトラーだそうだ。 -
フランツ・シュテファン1世。ハプスブルク家のマリア・テリジアに見初められて、恋愛結婚するが終始テレジアに頭が上がらなかった皇帝。
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女帝マリア・テレジア。夫フランツ・シュテファン1世亡き後、15年間、自らの死まで喪服だけの生活を送ったと言われる。夫との間には16人の子供をもうけるが、末娘のマリア・アントニーア(マリー・アントワネット)はフランス国王ルイ16世の王妃となる。
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家族に囲まれたフランツ・シュテファンとマリア・テレジア。1755年の画なのでゆりかごのベビーはアントワネットか。
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宮殿の見学を終わり庭園に出た。庭園のはるか向こうにグロリエッテが見えるが、現地ガイドさんに時間が無いので絶対行かないように釘をさされる。
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ならばUPで迫ってみよう。
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庭園側から見たの宮殿(一部)
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シェーンブルン宮殿の正門前にいたパフォーマー。トイレで出くわした時はビックリした。
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バスで15分ほど移動。次に向かったのはベルベデーレ宮殿。
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南側から見た宮殿。風が無ければ水面に宮殿が映るのだが残念。
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庭園側から見た宮殿(一部)
ベルベデール宮殿はウィーンを包囲したトルコ軍から街を守った英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮。 -
館内へ入るとこんな感じ。階段の上の階にはグスタフ・クリムトやエゴン・シーレの絵画が展示されているのだが、写真撮影は禁止。
*2020年現在はOKのようです。 -
ならば、奥の手、絵葉書のUPを。これがクリムト(1862-1918)の代表作『接吻』(1908年)。180cm×180cmの正方形の油彩画。クリムトの恋人であったエミーリエと自分をモデルにして描いた作品で、発表後オーストリア政府が買い上げるという、国が認めた名作である。
眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は、一見、深い愛情で結ばれているように見えるが、立っている場所はなんと崖っぷち。愛や幸せと、憎しみや不幸が紙一重であることを画は示している。 -
エゴン・シーレ(1890?1918)『死と乙女』(1915年)
今まさに死にかけている男にすがる女、恋人なのか父親なのか解らないが、なんとも不思議な画だ。
1906年、シーレはウィーン美術アカデミーに入学するが、古典主義のアカデミーを嫌い、クリムトのもとに弟子入りする。1911年、17歳のモデルとともに母方の故郷チェスキー・クロムロフに居住するが、保守的な風土に合わずウィーンへ舞い戻る。1914年、WW1が勃発するとシーレは招集されるが、幸運にも捕虜収容所の看守となる。1918年、第49回ウィーン分離派展に50点以上の作品を公開、クリムトの力もあり一躍有名画家となる。しかし、その年大流行したスペイン風邪により、クリムト、シーレとも亡くなっている。ときにクリムト56歳、シーレに至っては28歳という若さであった。 -
ベルベデール宮殿2階から見た庭園。遠くにシュテファン大聖堂が見える。今、気づいたのだがシュテファンとはマリア・テレジアの夫フランツ・シュテファン1世のことでは。
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オスマントルコに包囲されたとき街を守った外壁を取り壊した後にできたリンク(環状線)沿いには次々と新しい建物は建てられたが、これは国立オペラ座。
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ゲーテ像
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ブルク公園内にあるモーッアルト像
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国会議事堂
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ブルク劇場
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そして市庁舎。なんとこれから向かう昼食会場はこの市庁舎内のレストラン。
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パリ市庁舎によく似ている。
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到着です。ちなみに RATHAUSKELLER って言います。
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レストラン室内 / 赤白ワイン(5E)を注文
ポタージュスープ / 白身魚のフライ・タルタルソース添え(一部食べかけ失礼)
おいしゅうございました。 -
昼食後、再びリンクを走って、やってきたのは美術史美術館。
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向かいにある同じような建物は自然史博物館。
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真ん中にあるのはマリア・テレジア像
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美術史美術館へ入る。ここは写真撮影OK。さあー撮りまくるぞ~。
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まずは大階段から。まるで宮殿みたい。
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大階段のアーチの左右にあるのはクリムトの画。
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天井画も素晴らしい。
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時間が1時間しかないので有名な画だけを駆け足で見る。これはファンス・フオン・アーケン作『皇帝ルドルフ2世』(1608)
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ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年)
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ヨハネス・フェルメール『絵画芸術の寓意』(1666年)この美術館一番の目玉作品。
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一部拡大。モデルは右手にトロンボーンを持っている。後ろ姿の画家はフェルメールと言われている。
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レンブラント・ファン・レイン『読書する画家の息子ティトゥス・ファン・レイン』(1657年)
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ピーテル・パウル・ルーベンス『イルデフォンスの祭壇』(1632年頃)
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館内はこんな感じ。ルーブルと違ってイスがたくさん用意されているのがGOOD。
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ハンス・ホルバイン『英国女王ジェーン・シーモアの肖像』(1536年)
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ヴィジェ・ルブラン『マリー・アントワネットの肖像』(1778年)
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アントニー・コレット『ルイ16世の肖像』(1781年)
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カラバッジョ『ゴリアテの首を持つダビデ』(1601年)ゴリアテはカラバッジョの自画像だと言われている。
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ディエゴ・ベラスケス『バラ色の服の王女マルガリータ』(1654年)
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ディエゴ・ベラスケス『白衣の王女マルガリータ』(1656年)
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ディエゴ・ベラスケス『青い服の王女マルガリータ』(1659年)
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ディエゴ・ベラスケス『王女マルガリータ』(1660年頃か)
1651年、スペイン王家に生まれたマルガリータ・テレサ王女は、幼い頃にハプスブルク家のレオポルド1世と婚約させられ、1666年に結婚する。これら一連の肖像画はお見合い写真のようなもの。
なお、結婚後のマリガリータだが、6人の子供(成長したのは1人だけ)をもうけたが、もともと華奢な体に、度重なる出産が追い打ちをかけたのか21歳で亡くなっている。 -
ラファエロ・サンティ『草原の聖母』(1506年)ラファエロの傑作のひとつ。
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美術史美術館を出てリンクを横断、ブルク門をくぐって王宮へ入る。
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新王宮
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兵隊さんゾロゾロ
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我々もゾロゾロ。写真の建物は王宮。
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王宮を抜けるとミヒャエル広場。広場にはウィーン名物の観光馬車が団体で待機していた。あたりはお馬さんの○○○のかほりが・・・・
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ミヒャエル広場から少し行くとこんな店が・・・
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なんと!デーメルに入るとのこと。
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これが有名なザッハートルテ。本家ザッハーと、のれん分けしたデーメルとで争ったが、どちらも本物という判決が降りたそうだ。飲み物はアインシュペナー。日本で言うウィンナコーヒーに近い。甘いチョコレートケーキを甘くない生クリームで中和させながら食べる感じで、おいしかった。
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旧市街の中にはバスは入れない模様で、ガイドさんの後についてテクテク歩く。右前方に見えてきたのは国立オペラ座か。
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結局、国立オペラ座も通り越して次ぎの交差点角にあるワルツという免税店でショッピング。店の前にはカールスプラッツという地下鉄駅あり。最終日前日のため、店ではたいしたものは買わず、トイレ休憩と無料の水だけ飲んで過ごす。
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隣には”日本橋”という日本料理店あり。
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30分後街歩きを開始、最後の見学場所シュテファン寺院を目指してケルントナー通りという賑やかな通りを20分ほど歩く。
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モーッアルトクーゲルのお店や
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クリムトのお店があった。
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やがて終点ステファン大聖堂が見えてきた。
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南塔の高さは137m、教会の塔としては世界で3番目の高さだそうだ。北塔も計画されたが予算不足で断念した模様。
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大聖堂で最古のものは13世紀の後期ロマネスク正面入口の門である。
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外観はゴシック様式で、内部の祭壇はバロック様式である。
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内陣
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祭壇
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北側外観1
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北側外観2 屋根瓦の模様はウィーン市の紋章。聖堂北塔の上部は展望台となっている。
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ちょっと怖そう。登っている人もビビッてる感じ。
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東側、ステンドグラスの外側はこんな感じ。
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南側2 双頭の鷲はハプスブルク家の紋章。ちなみにシュテファン大聖堂はハプスブルク家の霊廟でもある。
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18:00 オペラ座前に一旦集合してから、どこをどう歩いたか解らないが、昨日夕食をとった店近くのレストランへ到着。
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皆さん歩き疲れたようで、おしゃべりも少ない。
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とりあえずビール(KAISER:5E) / 野菜サラダ。レタスだ!
メインはウィンナー・シュニッツェル / デザートも出た
ウィンナー・シュニッツェルはラデッツキー将軍がミラノから持ち帰ったカツレツのこと。まあ、普通の薄いトンカツです。
20:00 迎えのバスに乗りホテルへ戻る。バスタブに湯を張り、最後のホテルライフ(寝るだけ)をじっくりと味わい就寝、明日は10:00出発なので荷物のパッキングは明日に回して、ゆっくりと寝る。これだから直行便はありがたい。 -
8/6
7:00 なんと、朝からこんな状態です。理由は重量物の処分(^^;; 添乗員さんおすすめのPilsnerUrquell、おいしゅうございました。 -
8:00 朝食もゆっくり目に。こちらも結構でした。
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いきなりウィーン国際空港。ホテルから空港まで約30分とアクセスの良い空港だ。中規模の空港なのでチェックイン、セキュリティ、イミグレもスムーズ。駐機中のキャリアはオーストリア航空のOS51便。乗ってきたのと同じ機種。13:20のテイクオフなので、空港内で最後のショッピング。
なお、以下5枚の写真だが、コンデジの調子がおかしくなりハイキーフォトに。後で可能な限り修正するが、修正しきれなかったので、ごめんなさい。 -
OS51便は時間通りゲートを離れ、一路成田空港を目指す。これは一回目の食事。昼食かな。
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なんと通路側の席が空席という大ラッキー。カミさんを通路側に移動させ、真ん中を空け、肘掛けをあげてリラックスする。楽ちん楽ちん。
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食事が終わったあとは、いつものとおり何もせずに、ひたすら寝るように努める。これは到着1時間前に出された朝の食事。
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時間が前後するが、シベリア上空の夜明け。この景色を見るといつも旅の終わりを実感する。
これで「2014年 中欧旅行記7:ウィーン」は終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。 -
OMAKE:欧州連合(EU)について
ハプスブルク帝国が消滅したWW1は1918年に終結するが、戦闘員だけでも死者900万人、非戦闘員1000万人という悲劇をヨーロッパにもたらした。しかし革命や反乱によるあいまいな終戦、そして戦後処理も不十分だったのと、1929年に発生した世界大恐慌などが原因となり1939年、WW2が勃発する。今度はヨーロッパ以外のアジア、太平洋地域をも巻き込み、戦闘員の死者2500万人、非戦闘員に至っては3700万人という人類史上最悪の戦争となった。またホロコーストや日本への原子爆弾投下などから、人びとは戦争、そして過激思想の恐怖を思い知らされた。
このような恐怖、戦争が2度とあってはならないという願いから、1951年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体がベースとなり、1957年には欧州経済共同体が、1967年には欧州諸共同体が発足する。そして1993年に現在の形態である欧州連合が発足すると、旧東側諸国も次々と参加し、2014年8月現在、加盟国は28カ国となり、さらに拡大を続けている。
なお、EUは第二次世界大戦後の欧州地域の平和安定及び協調路線を図る取り組みが評価され、2012年度のノーベル平和賞を受賞している。
今回、中欧4カ国を周遊するが、写真の通り、どこの国境検問所も遺跡?と化しており、スムーズな移動が出来た。ハンガリーやチェコのようにまだ通貨がユーロになっていない国もあるが、たいていの店でユーロが通用した。「ユーロ危機」などと呼ばれる参加国間の経済格差の問題はあるが、人類の英知を結集し、なんとか乗り越えてもらいたいものだ。古代ローマ時代から綿々と続いた殺戮の歴史に終止符を打つためにも。 -
OMAKE2
では、いつものお土産大公開。ちなみに塩以外は自家用です。
おしまい
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この旅行記へのコメント (5)
-
- mokoさん 2015/01/20 20:04:25
- いいねをありがとうございました。
- とても詳しい内容で、忘れていたことも思い出させてくれました。
わたしも同じく阪急交通社での旅でしたが、慌ただしい日程で、ベルベデール宮殿や美術史美術館などは中の見学ができませんでした。
ウィーンは素敵な町なので是非ゆっくりと訪れたいと思います。
- chiaki-kさん からの返信 2015/01/20 22:23:35
- はじめまして
- ・
mokoさん、はじめまして。中欧旅行記に投票ありがとうございます。
「感動のドナウ川クルーズ」拝見しました。
*ヒルトン・ブダペスト・・・ドナウ川沿いにある大きなホテルです。
ハイシーズンに良く泊まれましたね。うらやましいです。
*現地ガイドさん・・・名前は忘れましたが、私たちと同じガイドさんです。
日本語がとても上手でした。
*ランチ・レストラン・・・私は夕食に入りました。ツアー会社が同じだと
だいたい食事場所も同じ場合が多いですね。
> わたしも同じく阪急交通社での旅でしたが、慌ただしい日程で、
ベルベデール宮殿や美術史美術館などは中の見学ができませんでした。
それは残念でした。私たちも駆け足での、いそがしい見学でした。
> ウィーンは素敵な町なので是非ゆっくりと訪れたいと思います。
是非、そうしてください。では、また。
chiaki-k
-
- お黙り!さん 2014/10/18 12:14:38
- こんにちは
- chiaki-kさん
訪問&投票ありがとうございます。
ウイーン、良いですよね。私も何年か前に行って、良かったので、再訪したいと思っています。出来れば滞在で。
私のプロフィール写真は誰のコスプレだと思いますか?
エリザベートなんですよ。(タカラズカ歌劇)
クリムトも良いですよね、特に彼がこの地で活躍したので作品がたくさんあるので見て回りたいと思っています。
あっこ
- chiaki-kさん からの返信 2014/10/18 19:56:06
- RE: 今晩は
- あっこちゃんさん、今晩は。ウィーン旅行記に投票ありがとうございます。
先ほど「ターキッシュエア就航記念!シチリア島ぐるっと一周」拝見しました。
私も2012年10月に○急交通社のツアーでシチリア島へ行きましたが、シラクサ、
ラグーサ、カルタジローネまで行くツアーがあったんですね。驚きました。
あっこちゃんさんも旅行記中ふれておられましたが、ツアーは良い面、悪い面、
両方兼ね備えた旅行形態だと思います。
良い面は、個人手配旅行では、とてもこの日数では無理な観光名所も見れてしまう
ことと、荷物の管理、電車やバスのチケットの手配、食事の場所探しなど面倒な
ことも、すべておまかせで楽ちんなことです。
悪い面は、どうしても連れ回される感じがあり、自由時間が少ないことと、
添乗員さんや、同行のメンバーのあたりはずれにより、旅行そのものが
楽しくなったり、苦痛になったりするリスクが、あることです。
話がへんな方向に行ってしまったので、本題に戻ります。
*夜行で着いても朝から観光・・・そのときはしんどいですが、帰国してから 行って良かったと思いますよ。
*声楽家さんがメンバーに・・・WAO!大当たりのツアーでしたね。
*昼食がアグリツーリズモ・・・やりますね○TBさん。
*カステルモーラを眺める・・・がんばりましたね。
ウィーンは、それこそ駆け足で巡ったんですが、じっくり見たい場所がたくさん
ありました。もし次回があればゆっくりと街歩きをしてみたいですね。
> 私のプロフィール写真は誰のコスプレだと思いますか?
> エリザベートなんですよ。
プロフ写真、拡大(できるんですね)して拝見しました。
エリザベート風の星の衣装が素敵です。もちろんあっこちゃんさんも。
では、また。
chiaki-k
- お黙り!さん からの返信 2014/10/18 20:15:46
- RE: RE: 今晩は
- > あっこちゃんさん、今晩は。ウィーン旅行記に投票ありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
> 先ほど「ターキッシュエア就航記念!シチリア島ぐるっと一周」拝見しました。
>
> 良い面は、個人手配旅行では、とてもこの日数では無理な観光名所も見れてしまう
> ことと、荷物の管理、電車やバスのチケットの手配、食事の場所探しなど面倒な
> ことも、すべておまかせで楽ちんなことです。
>
> 悪い面は、どうしても連れ回される感じがあり、自由時間が少ないことと、
> 添乗員さんや、同行のメンバーのあたりはずれにより、旅行そのものが
> 楽しくなったり、苦痛になったりするリスクが、あることです。
ありがとうございます。なんか、全部お見通しみたいで素敵です。
そうそう、私、一人旅は夫にツアー参加ならOKという厳しい掟がありまして。それでも、機嫌よく旅立たせてくれるので文句は言えません。
個人旅行より、ツアーのほうが効率的で安価ですものね。
また、訪問させて頂きます。
あっこ
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