2014/04/05 - 2014/04/07
27位(同エリア213件中)
さん太さん
ラグーサを3泊し、一日をモディカ日帰り、最終日早朝ラグーサを後にし、シラクーサへ向かう途中、ノートに寄りました。
ヴァル・ディ・ノートのバロック都市の代表格モディカ、19世紀に県庁がラグーサに移されるまでは、旧モディカ伯領の首府。
モディカ乗り換えでシクリまで行きたかったが、少し不安でモディカだけにしたが、他の観光客は皆シクリまで行ってました。連結は良さそうです。
ノートは1693年の震災後、新たに海寄りの台地に建設された町、2時間で十分です。
目次編
http://4travel.jp/travelogue/10881063
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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モディカのメインストリート、ウンベルト通り
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途中、サン・ジョルジョ教会が見えます。
ここからだと250段上る -
サン・ピエトロ教会
14世紀創建され、1693年の震災後にバロック様式に再建。
モディカ・バッサの守護聖人聖ピエトロに捧げられています。
教会の前階段は12使徒の彫像で飾られています。 -
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キリスト教は何故このような残酷な場面ばかり見せるのか・・・
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サン・ピエトロ教会から、低い街を眺める
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メインストリートを挟んで、高台の街(モディカ・アルタ)と低い街(モディカ・バッサ)に分かれており、サンピエトロ教会の前の路地をあがって低い街へ
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途中で雨が降ってきました、
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路地のトンネルで雨宿り
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ウンベルト通りに戻り、高台の街へ
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ここでまた雨宿り、雨が降ってきてもすぐ避難する場所があるので問題なし
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サン・ジョルジョ教会を目指します
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サン・ジョルジョ教会
モディカバロック建築の最高傑作。モディカ・アルタの守護聖人聖ジョルジョに捧げられています。
12世紀初めノルマンのルッジェーロ一世により建てられましたが、1613年と1693年の大地震で被害を受け、1738年に再建されました -
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ここから250段の階段を下りて、戻ります。
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モディカ、といえばアスティカ由来のカカオを使ったチョコレートつくりの街としても有名(とのこと)
Antica Dolceria Bonajuto
1880年創業の老舗。モディカ・チョコレートと言えばBonajutoとくらい有名。箱入りのペペロンチーノチョコレートとカカオの含有量90%の板チョコレートが特にお勧め。
とのことで、ここでお土産を仕入れました。 -
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ここから ノート編
ラグーサをASTのバスで10:30発 ノート12:30着
バス停は、この公園わきにあります
とてもイタリアとは思えないほど手入れが行き届いています。 -
公園からヴィットリオ・エマヌエーレ通り入口のレアーレ門
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エマヌエーレ大通りから市民公園を見る
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ヴィットリオ・エマヌエーレ通り
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大聖堂
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大聖堂前の市庁舎広場と市庁舎
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ヴィットリオ・エマヌエーレ通りの終点
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大聖堂脇のニコラ地通り
バロック様式の建物が並び、軒下の飾りが特徴 -
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ノートともお別れ
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15:45発のASTバスでシラクーサに向かいます。
30分ほど前から、公園でのんびりしてましたが、バスは35分について、40分に発車。
45分ぎりぎりに来てたらアウト、手入れの行き届いた街で、イタリアも見直していたところなのに、やはりいい加減。 -
ちょっとおまけ
シラクーサへ向かう途中、踏切で待っているところ。
いくら待っても電車は来ない、どのくらい待つのだろうと、思いしびれを切らしたところから時計を計ると、そこから18分で電車が来た。
多分最初からだと、30分近く踏切で待っていただろう。 -
車を降りて呆れ顔、サイクリングの人たちはバーを押し上げて渡ってました。
諦めてUターンする車も、 -
バスの前の車もUターンしようとしているところにやっと一両編成の電車が来た。多分乗客はほとんどいないガラガラだと思う。
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