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加西市八王子神社に行きました。<br />長暦元年(1037年)今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀り、五穀豊穣、安産守護の神として崇敬されている。<br /><br />鳥居をくぐり参道が続き、左右の石灯篭が並び奥に階段がありました。<br />社はこじんまりとしていて、凛とした空気が漂っていました。<br />小雨の音が気になるほど静かで、立ち寄る人もありませんでした。<br /><br />

2014年 加西市 八王子神社

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2014/03/01 - 2014/03/01

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ぴんぴんころり

ぴんぴんころりさん

加西市八王子神社に行きました。
長暦元年(1037年)今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀り、五穀豊穣、安産守護の神として崇敬されている。

鳥居をくぐり参道が続き、左右の石灯篭が並び奥に階段がありました。
社はこじんまりとしていて、凛とした空気が漂っていました。
小雨の音が気になるほど静かで、立ち寄る人もありませんでした。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
自家用車

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  • 鳥居。

    鳥居。

  • 案内板。<br />神社の裏側は古墳だらけのようです。

    案内板。
    神社の裏側は古墳だらけのようです。

  • 灯篭がたくさん並んでいました。

    灯篭がたくさん並んでいました。

  • 階段上には門が見えました。

    階段上には門が見えました。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 正一位火八王子とは?

    正一位火八王子とは?

  • 立派な門です。<br />神社で門があるのは少ない感じがします。

    立派な門です。
    神社で門があるのは少ない感じがします。

  • 右が「ん」。

    右が「ん」。

  • 左が「あ」でした。

    左が「あ」でした。

  • 正殿正面からです。

    正殿正面からです。

  • 屋根瓦にも八王子神社となってます。

    屋根瓦にも八王子神社となってます。

  • 右側の「あ」。

    右側の「あ」。

  • 少しアップで。

    少しアップで。

  • 土台の紋。

    土台の紋。

  • 左側の「ん」。

    左側の「ん」。

  • これもアップで。

    これもアップで。

  • 土台の紋。

    土台の紋。

  • 正殿から門を望む。

    正殿から門を望む。

  • 天井。

    天井。

  • こちらも。

    こちらも。

  • 奥を覗いてみました。

    奥を覗いてみました。

  • 屋根瓦。

    屋根瓦。

  • かわった瓦です。<br />趣味で見てますが、初めての瓦です。

    かわった瓦です。
    趣味で見てますが、初めての瓦です。

  • 鬼瓦。

    鬼瓦。

  • 本殿。

    本殿。

  • こちらも鬼瓦。

    こちらも鬼瓦。

  • 立派な正殿。

    立派な正殿。

  • 干支が書かれてます。

    干支が書かれてます。

  • 灯篭。

    灯篭。

  • 階段方向から鳥居方向。

    階段方向から鳥居方向。

  • 地底への入り口。

    地底への入り口。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ちびのぱぱさん 2014/03/21 10:08:10
    八王子市
    ぴんぴんころりさん

    おはようございます。
    実家が東京の八王子市ですので、八王子と名の付くものに目がいきます。
    牛頭大王、じゃなくて天王、の息子が八人いて云々という話は子供の頃に聞いていましたが……。
    やはり、ここもそうなのでしょうか。

    ぴんぴんころり

    ぴんぴんころりさん からの返信 2014/03/21 16:44:29
    RE: 八王子市
    > ぴんぴんころりさん
    >
    > おはようございます。
    > 実家が東京の八王子市ですので、八王子と名の付くものに目がいきます。
    > 牛頭大王、じゃなくて天王、の息子が八人いて云々という話は子供の頃に聞いていましたが……。
    > やはり、ここもそうなのでしょうか。


    ちびのぱぱさん
    こんにちは。

    伝承です。
    長暦元年(1037年)今の滋賀県日吉大社より、八王子大神を勧請して祀り、五穀豊穣、安産守護の神として崇敬されている。
    伝承によれば、後朱雀天皇の御代長暦元年、この地 天変地異あり、疫病のため死者多く、害虫発生して、五穀稔らず、飢えて斃れる者も少なくなかったので、この地の者二十一人が、鏡ヶ原の南、大歳神社の前で七日七夜の間、妖魔退散、五穀豊穣の祈願をした。
    その満願の日の朝、東天ようやく白む頃、朝霧たなびく中を白幣矢を射る如く、中空に来て鏡ヶ原に降った。
    二十一人の者は、奇異に思い幣の降った所へ駆けつけてみると、二十一本の白幣が、そこに並んでいた。
    その時空中より声あって、『吾は八王子大神なり、当原に鎮まり妖魔を退け五穀豊穣の地となさむ。』と、聞こえた。
    祈願した二十一人は、歓喜して村人たちに伝え、広州日吉山王二十一社上七座の八王子大神を勧請して祀った。

    その後、長暦二年後朱雀天皇勅使が参向されて、「正一位八王子権現」の額を奉納祈願、尚、未墾地十町歩を寄進され社領百石の諭旨賜り、開発を荘民に命じられ、荘民は社殿を初めて創建したと伝えられる。
    永承四月[旧暦]九月七日祭礼当番規定を定め、その後、近衛天皇 久安三年播磨権守従三位藤原忠雅をはじめ、天永二年播磨国司中院源季房、建久年中源範影、亀山上皇の弘安の頃、左中将播磨権守藤原師良、後醍醐天皇の元弘、建武年中播磨権守資繼王等の武門武将を経て赤松、別所、浅野等藩主の崇敬あり、降って元文、延享、宝暦以来領主八木氏の崇敬厚く嘉永の初年に至り、領主八木丹波守より、金幣を奉納せられている。

    とありました。
    どうなんでしょうか。
    それぞれの地名にはエピソードがあります。
    また読めそうもないものもあります、兵庫県宍粟市(しそうし)、十三(じゅうそう)、放出(はなてん)、立売堀(いたちぼり)、神戸と書いても(こうべ・かんべ・ごうど)の地名もあります。
    私も地名のルーツについてはよく考えることがあります。
    なんか、ややこしくなりました、ごめんなさい。

    それでは、これからもご縁がありますように。

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