2013/12/15 - 2013/12/15
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■鉄筋コンクリートでできている船「第一・第二武智丸」/広島県呉市安浦町
戦時体制下であった日本では輸送手段の貨物船も、造船用鋼材も極度に不足していた。
舞鶴海軍工廠技術中佐であった林邦雄は800トン級貨物船をコンクリートで作る承認を艦政本部から得た。この計画に大阪府土木会社の武智昭次郎が事業に名乗りを挙げ、兵庫県印南郡曽根町(現在の高砂市)の塩田跡に新設された武智造船所でコンクリート船体が建造され、艤装は岡山県玉野市の三井造船玉野で行われた。寸法などは戦標船E型に準じて製作された。
・構造
武智丸は鉄筋コンクリートで船体を作られたため、鋼鉄船に比べ若干重く積載量が少ない(載貨重量940トン)という欠点があった。
しかし、1945年(昭和20年)5月24日、第二武智丸が関門海峡を航行中、部崎灯台付近で米軍が瀬戸内海に敷設した機雷に触雷したが被害は小破と意外に軽く、鋼製船にさして劣らなかったという。
船体のコンクリート断面厚さは喫水線以上で12cm、それ以下は13〜18cmと厚みを増し、船底部では25cmにも達した。
コンクリートの配合は容積比で1:1.5:3(セメント:砂:砂利)、一般の鉄筋コンクリートの標準配合は1:2:4。船舶用の特別仕様の配合がなされた。
セメントは大阪窯業セメント会社の普通ポルトランドセメント、砂利は揖保川下流のものが、また砂は海砂が使用された可能性が高い。
また、船体外側にわずかに残る黒っぽい物質から、防水を兼ねてアスファルトを塗装されていた可能性が高い。
船首は衝突のよる破損防止のため鋼板に覆われて強化されている。
被曳航油送船とは違い機関部(三井造船玉野製・750馬力ディーゼルエンジン)が装備され、自力航行が可能であった。
・戦後
戦後2隻のコンクリート貨物船は、第一武智丸はエンジン故障で呉市警固屋付近で放置。第二武智丸はどうやら使用可能であったため大阪商船が払い下げを受けたがまもなく廃船された。
おりしも広島県の安浦漁港が防波堤がなく、1945年9月に来襲した枕崎台風をはじめ台風襲来のたび、漁船等に被害を被っていた。
安浦漁協側は県当局に防波堤設置を陳情したが、安浦漁港沖合いの海底が軟弱地盤のため、当時の土木技術では建設に巨費がかかると県当局側は難色をしめした。
代案として、呉港の第一武智丸と、大阪港の第二武智丸の二隻を防波堤として転用することになった。1947年に大蔵省から船体の払い下げを受け、1949年(昭和24年)に基礎工事を開始した。
まず海底の泥を浚渫し粗ダ沈床(0.9m)を敷き、置換砂(1.6m)を敷きつめた上で、「第一武智丸」と「第二武智丸」の船尾同士を繋げる形で位置を決めた。
沈設は満潮時を待って行われた。スクリューシャフトを抜き、また船体底部数箇所に穴を開け海水を船内に入れ2隻を沈めた。
そののち船体両側に捨石をおくなどして船体を固定し1950年2月に完成した。沈設当時の二隻は上部構造物がほぼそのまま残されていたが、朝鮮戦争特需でスクラップ価格が高騰していた頃金属製構造物の大半は持ち去られ、現在あるコンクリート船体のみの姿になった。
わずかに船首部の錨巻上げ部付近のコンクリ埋め込み金具などが残されている。溶接跡は非熟練工によると思われるものであり、当時の勤労動員者もしくは学徒の手になると推測される。
船首左舷には「第一武智丸」の船名が白く大書されていたが、現在は塗料が剥落し判読は難しくなっている。
21世紀の現在もなお、武智丸は安浦漁港を守る防波堤として現存している。陸側の「第一武智丸」は沈設から60年以上を経て主に船首部が甲板まで沈下しているが、沖側の「第二武智丸」はほぼ沈設当時の位置にある。
現地では史跡としても保存しており、漁港にある駐車場から「第二武智丸」の先に設置された防波堤端の灯台まで通路が設けられており、「第一・第二武智丸」の船体構造を見ることが出来る。
ただし、風化が進行している箇所があるうえ海中への転落の危険もあるので注意が必要である。 Wikipediaより。
【手記】
寒い毎日ですね。この時期は近くにはこれと言って行くところがないので、買い物ついでに足を延ばして呉市安浦漁港にあるコンクリート船の見物に行って来ました。
また、毎年の恒例行事なのですが、野呂山の氷池に飛来してきているカモたちに餌をやって来ました。
- 同行者
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- 1万円未満
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■自宅にて
寒い毎日ですね。この時期は近くにはこれと言って行くところがないので、買い物ついでに足を延ばして呉市安浦漁港にあるコンクリート船の見物に行って来ました。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」/広島県呉市安浦町
正面に見える防波堤が鉄筋コンクリート船「武智丸」です。
鉄筋コンクリートの船?そうなんです。びっくりでしょう。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
駐車場には生牡蠣を販売しているお店があります。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
・概略
戦時体制下であった日本では輸送手段の貨物船も、造船用鋼材も極度に不足していた。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
舞鶴海軍工廠技術中佐であった林邦雄は800トン級貨物船をコンクリートで作る承認を艦政本部から得た。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
この計画に大阪府土木会社の武智昭次郎が事業に名乗りを挙げ、兵庫県印南郡曽根町(現在の高砂市)の塩田跡に新設された武智造船所でコンクリート船体が建造され、艤装は岡山県玉野市の三井造船玉野で行われた。
寸法などは戦標船E型に準じて製作された。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
・構造
武智丸は鉄筋コンクリートで船体を作られたため、鋼鉄船に比べ若干重く積載量が少ない(載貨重量940トン)という欠点があった。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
しかし、1945年(昭和20年)5月24日、第二武智丸が関門海峡を航行中、部崎灯台付近で米軍が瀬戸内海に敷設した機雷に触雷したが被害は小破と意外に軽く、鋼製船にさして劣らなかったという。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
船体のコンクリート断面厚さは喫水線以上で12cm、それ以下は13〜18cmと厚みを増し、船底部では25cmにも達した。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
コンクリートの配合は容積比で1:1.5:3(セメント:砂:砂利)、一般の鉄筋コンクリートの標準配合は1:2:4。船舶用の特別仕様の配合がなされた。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
セメントは大阪窯業セメント会社の普通ポルトランドセメント、砂利は揖保川下流のものが、また砂は海砂が使用された可能性が高い。
また、船体外側にわずかに残る黒っぽい物質から、防水を兼ねてアスファルトを塗装されていた可能性が高い。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
船首は衝突のよる破損防止のため鋼板に覆われて強化されている。
被曳航油送船とは違い機関部(三井造船玉野製・750馬力ディーゼルエンジン)が装備され、自力航行が可能であった。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
・戦後
戦後2隻のコンクリート貨物船は、第一武智丸はエンジン故障で呉市警固屋付近で放置。第二武智丸はどうやら使用可能であったため大阪商船が払い下げを受けたがまもなく廃船された。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
おりしも広島県の安浦漁港が防波堤がなく、1945年9月に来襲した枕崎台風をはじめ台風襲来のたび、漁船等に被害を被っていた。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
安浦漁協側は県当局に防波堤設置を陳情したが、安浦漁港沖合いの海底が軟弱地盤のため、当時の土木技術では建設に巨費がかかると県当局側は難色をしめした。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
代案として、呉港の第一武智丸と、大阪港の第二武智丸の二隻を防波堤として転用することになった。1947年に大蔵省から船体の払い下げを受け、1949年(昭和24年)に基礎工事を開始した。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
まず海底の泥を浚渫し粗ダ沈床(0.9m)を敷き、置換砂(1.6m)を敷きつめた上で、「第一武智丸」と「第二武智丸」の船尾同士を繋げる形で位置を決めた。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
沈設は満潮時を待って行われた。スクリューシャフトを抜き、また船体底部数箇所に穴を開け海水を船内に入れ2隻を沈めた。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
そののち船体両側に捨石をおくなどして船体を固定し1950年2月に完成した。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
沈設当時の二隻は上部構造物がほぼそのまま残されていたが、朝鮮戦争特需でスクラップ価格が高騰していた頃金属製構造物の大半は持ち去られ、現在あるコンクリート船体のみの姿になった。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
わずかに船首部の錨巻上げ部付近のコンクリ埋め込み金具などが残されている。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
溶接跡は非熟練工によると思われるものであり、当時の勤労動員者もしくは学徒の手になると推測される。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
船首左舷には「第一武智丸」の船名が白く大書されていたが、現在は塗料が剥落し判読は難しくなっている。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
21世紀の現在もなお、武智丸は安浦漁港を守る防波堤として現存している。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
陸側の「第一武智丸」は沈設から60年以上を経て主に船首部が甲板まで沈下しているが、沖側の「第二武智丸」はほぼ沈設当時の位置にある。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
現地では史跡としても保存しており、漁港にある駐車場から「第二武智丸」の先に設置された防波堤端の灯台まで通路が設けられており、「第一・第二武智丸」の船体構造を見ることが出来る。
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
ただし、風化が進行している箇所があるうえ海中への転落の危険もあるので注意が必要である。 Wikipediaより。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
こんなのが浮かんでいたんだ。
アルキメデスの原理でコンクリと船室(空洞)を合せた重さが水より軽ければ浮きますから、理論上は納得できます。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
でも、セメントと砂利と幾筋かの鉄筋でしょ。コンクリートと言うと水が浸み込みそうな気がしますが、よく思いついたものです。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
周囲の景色 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
周囲の景色 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
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■鉄筋コンクリート船「武智丸」
防波堤の役割 水の守り神「武智丸」とある。 -
■鉄筋コンクリート船「武智丸」
遠景 -
■野呂山の氷池にて
このあと、毎年の恒例行事になっているのですが、野呂山の氷池に飛来してきているカモたちに餌やりに行って参りました。
THE END.
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 一歩人さん 2013/12/16 07:44:39
- ふ、ふ、不思議な運命ですね。
- Mecha Godzilla?.T&Nさんへ
ふ、ふ、船にも運命を感じるこの頃です。
ふ、ふ、発想がいいですね。船体が水をおしのけた分だけ、浮力になるとか?
江戸趣味の私には、戦艦といえば、安宅丸でしょうか。
そういえば、船の科学館の青函連絡船の行く末が気になりますが、こちらも、運命でしょうかね。
ありがとうございました。失礼しま〜す♪
呉の歴史には、興味があります。
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2013/12/16 22:48:00
- RE: ふ、ふ、不思議な運命ですね。
- 一歩人さん こんばんはー。いつもお世話様です。
> ふ、ふ、船にも運命を感じるこの頃です。
> ふ、ふ、発想がいいですね。船体が水をおしのけた分だけ、浮力になるとか?
> 江戸趣味の私には、戦艦といえば、安宅丸でしょうか。
> そういえば、船の科学館の青函連絡船の行く末が気になりますが、こちらも、運命でしょうかね。
> ありがとうございました。失礼しま〜す♪
> 呉の歴史には、興味があります。
コンクリートと言うと水が浸み込みそうな気がしますが、大丈夫だったんですねー。
アルキメデスの原理でコンクリと船室(空洞)を合せた重さが水より軽ければ浮きますから、理論上は納得できます。でも、セメントと砂利と幾筋かの鉄筋でしょ。よく思いついたものです。
戦艦といえば徳川家の旗艦安宅丸もすごいですが、信長の鉄甲船も発想がすごいですよねー。
- 一歩人さん からの返信 2013/12/17 02:06:24
- RE: RE: ふ、ふ、不思議な運命ですね。
- >
> 戦艦といえば徳川家の旗艦安宅丸もすごいですが、信長の鉄甲船も発想がすごいですよねー。
そうそう、村上水軍をやっつけたのでしたか。
地元としては、これだけでも、話がつきませんよね。
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