2013/10/01 - 2013/10/01
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MILFLORESさん
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世界史上の人物のスペイン女性を挙げて下さいと言われたら、多分ほとんどの人がカスティージャ女王イサベル1世と答えるでしょう。
スペイン語表記 【Isabel I de Castilla】
※注 Castilla はスペインでは「カスティージャ」と発音します。
日本語表記で「カスティーリャ」と書くのは正しくありません。
カスティージャ女王イサベル1世は、夫のアラゴン王フェルナンド2世と共に、イベリア半島最後のイスラム教国グラナダ王国を滅亡させ、770年に渡るレコンキスタ(国土回復運動)に終止符を打ちました。この偉業が讃えられて、イサベルとフェルナンドはローマ教皇より「カトリック両王」の称号を授けられます。
また、コロンブスの西回りインド航路(新大陸発見)に援助をしたことでも知られます。
イサベル1世が築いた国の基礎が、その後のスペインの黄金時代をもたらしたと言えるのです。
王族や貴族や聖職者が権力を求めて陰謀策略がうごめく波乱の15世紀を生きた1人の女性、偉大な女王イサベルに焦点を当てて、イサベルに所縁ある地を訪れる旅行記をシリーズ化します。
旅行記 -1- では、イサベルの生誕地 Madrigal de las Altas Torres
マドリガル デ ラス アルタス トレスを訪れます。マドリガルはマドリードから約150km、現アビラ県北部に位置しています。
1451年4月22日
カスティージャ王国の王フアン2世と2番目の妃でポルトガル王族出身のイサベル デ ポルトゥガルの長女としてイサベルは生まれます。
イサベルが誕生した宮殿は修道院として残っていて見学することができます。
現在のマドリガルは、カスティージャの荒野に忘れ去られたかのような人口わずか1600人の村ですが、かつては周辺の Medina del Campo や Arevalo と競い合うように栄えた町でした。
世界史に名を残す女王イサベルが生まれた村、マドリガル デ ラス アルタス トレスをご紹介しましょう。
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『イサベル1世の足跡を追って』 目次
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
-3- 戴冠した地 セゴビア http://4travel.jp/travelogue/10839589
-4- 新世界分割方法を定める条約が結ばれた地 トルデシージャス
http://4travel.jp/travelogue/10946410
-5- 遺書をしたため 崩御した地 メディナ デル カンポ
http://4travel.jp/travelogue/10962359
- 旅行の満足度
- 4.0
-
まずは、15世紀のイベリア半島がどんな状態だったかを説明しましょう。半島は図のような5つの王国から成り立っていました。
イサベルの生まれたカスティージャ(CASTILLA)は、13世紀にレオン王国(LEON)と統合してひとつの王国となっていました。
レコンキスタは進んで、イベリア半島内に残るイスラム教国はナスル朝グラナダ王国(GRANADA)のみとなっていました。
ポルトガルはそれより前の1143年にカスティージャから分離して独立王国となっていました。
一方、イサベルと結婚することになるフェルナンドが生まれたアラゴン王国(ARAGON)は、イベリア半島内ではアラゴン、バルセロナ、バレンシアの3地方と、地中海のバレアレス諸島、シチリア、ナポリにまで勢力を及ぼし、アラゴン連合王国として確立していました。
ナバーラ王国(NAVARRA)は、12世紀には経済的文化的に繁栄していたものの、この頃には強国カスティージャとアラゴンとフランスに挟まれて、政治的には弱小国でした。イサベルの死後、16世紀初旬にカスティージャ王国に併合されることになります。 -
これは現スペインの地方行政区画です。17の自治州(comunidad autonoma)に計50の県(provincia)があります。他にアフリカ大陸北部に2つの自治都市(ciudad autonoma)セウタ Ceuta とメリージャ Melilla があります。
この旅行記でご紹介するMadrigal de las Altas Torres は、緑色で塗ってあるアビラ県に位置します。県都アビラ Avila からは74kmの距離にあります。赤線で囲まれたのが、アビラ県が属するカスティージャ イ レオン自治州(Castilla y Leon)です。 -
Madrigal de las Altas Torres マドリガル デ ラス アルタス トレス
中世の要塞町としては非常に珍しく平野に位置した町で、川や谷といった自然の要塞を利用していません。 -
イチオシ
町を歪な楕円状に囲む城壁は全長2800mありました。煉瓦造りのムデハル様式です。
ムデハルとはアラブ語で在留者の意。レコンキスタされた地に残ったイスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルがムデハル様式で、11〜16世紀スペイン独特の建築様式です。
マドリガルへはこのアレバロ門から入りました。アレバロ Arevalo は Madrigal から26km東にある町で、イサベルが幼少期を過ごした所です。シリーズ2でご紹介します。
最盛期には城壁には80もの塔があったと言われています。現在はその内の23のみ、門は4つ残っています。イサベル1世の生誕地はムデハル建築の宝庫 by MILFLORESさんマドリガル デ ラス アルタス トレス 散歩・街歩き
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城壁外の公園にあった記念碑。 「マドリガルから、偉大なる女王へ」
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Real Hospital de la Purisima Concepcion プリシマ コンセプシオン王立病院
1443年にフアン2世の最初の妃 Maria de Aragon マリア デ アラゴン(1403-1445)の命により建設された病院。 -
最盛期は17〜18世紀。1934年まで病院として利用されていました。現在は建物の一部に観光案内所が入っています。
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18世紀に増築された礼拝堂。キリスト像はゴシック様式 Cristo de las Injurias
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病院前の公園にあるイサベル女王の銅像
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表紙の写真の像。ふっくらした感じのイサベルです。
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Palacio de Don Juan II フアン2世の王宮
イサベルはここで生まれました。
15世紀の典型的なカスティージャ風宮殿で、正面ファサードには四角い塔が両側に見られます。 -
カスティージャ王フアン2世(1405-1454)は最初の妃マリア デ アラゴン(1403-1445)とも、2番目の妃イサベル デ ポルトゥガル(1428-1496)ともここに住みました。
死別した先の妃との間には1425年に次期王となる長男エンリケが生まれていました。
イサベルは1451年に2番目の妃との間に長女として生まれました。
1453年には弟アルフォンソが生まれます。
ですから、この時点でのイサベルの王位継承順位は異母兄のエンリケ、同母弟アルフォンソに次いで第3位です。 -
フアン2世の時代1438年に2度、この宮殿でカスティージャ議会が招集されました。
もっと先、カスティージャ女王及び王となったイサベルとフェルナンドも、1476年にここで最初の王国議会を招集します。この時、カスティージャの市町村自警組織(サンタ エルマンダー、現在のグアルディア シビルの元)が設立されます。 -
1535年宮殿は、イサベルとフェルナンドの孫、スペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)によってアグスティナス女子修道会に寄付され、それ以来今日まで修道院となっています。
現在も10人ほどの修道女が住んでいます。 -
カトリック王フェルナンドには私生児が何人かい、その内の女子2人はこの修道会の修道院長になりました。この女性たちは父親が誰だったのか、フェルナンド王の死後まで知らされなかったと言われています。
そんな血縁関係もあったので、カルロス1世は宮殿をアグスティナス修道会に寄付するのです。 -
宮殿(修道院)は見学できます。
事前に調べて、火〜土 10:00-12:30/16:00-18:30 (日祝日は午後のみ)とあったので16時に行きました。
平日の小雨模様の日で見学者は多くなく、国内からの中年夫婦が何組かと一緒に扉が開くのを待ちました。 -
16時を過ぎても開く様子がないので、見学者の1人が呼び鈴を押してみたら、インターフォンに修道女が出て、今行くと。
「今」と言われてからさらに10分ほど待って、やっと扉を開けてくれたのは、80に手が届きそうな高齢のシスターでした。なるほど、広い修道院内を悪い足を引きづりながらやっていらしたのでしょう。
どうやら、見学はグループで行なわれるようです。見学時間は○時〜○時ではなく、10:00、12:30、16:00、18:30にそれぞれ見学ツアーがあります、という意味だったのです。 -
見学料4ユーロを払って、宗門に入って50年以上というシスターのお話を聞きながら、計8人で修道院内を案内してもらいます。
内部は回廊以外は撮影禁止です。2階建ての回廊の周辺に様々な部屋が並んでいます。 -
撮影ができなかったので、購入した絵葉書でご紹介しましょう。
これは、カスティージャ王国議会が開かれたサロンです。木組みの天井及びレンガの床は当時のものです。イサベルが踏んだのと同じ床です。
修道院となってからは食堂として利用されました。周辺に取り付けられたテーブルやベンチはなかなか年期が入っています。修道女の人数がすっかり少なくなった今は、もっと小さい暖かい部屋で食事をなさっているそうです。 -
イチオシ
回廊2階に上がりました。
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我々の後からバスツアーのグループが来ました。実は今、スペイン国営放送の大河ドラマで「イサベル」を放映していて、ちょっとしたイサベル ブームが訪れています。
ご興味ある方はTVEのHPから見られます。
http://www.rtve.es/alacarta/videos/isabel/
ドラマのイサベルもフェルナンドも肖像画などで見る両王とは大分イメージが違いますが、混乱した歴史的背景を理解するのに勉強になります。 -
(絵葉書)
上の写真で人が入っていく所、その奥にあるこの小さな部屋でイサベルは誕生しました。ベッドが入ったら窮屈になるこんな部屋が、妃の寝室だったのです。 -
(絵葉書)
修道院内にあるイサベルとフェルナンドの肖像画。生前に描かれた肖像画で唯一2人が一緒のものだそうです。この絵のフェルナンドは、けっこう不細工だと思う。イサベルの方が1歳年上です。 -
修道院を出た所にある門。
現存する4つの城門のひとつ、ペニャランダ門 Puerta de Peñaranda -
村の中心分まで移動しました。村役場。
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サン ニコラス広場 Plaza San Nicolas
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サン ニコラス デ バリ教会 Iglesia de San Nicolas de Bari
13世紀建設のムデハル様式の教会。
1447年、ここでイサベルの両親フアン2世と2番目の妃イサベル デ ポルトゥガルの結婚式が挙げられました。
また、イサベルはここで洗礼を授かりました。 -
年月を感じる、古そうなガーゴイル
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行った時には教会の扉は閉まっていたのですが、先ほど修道院を一緒に見学したご夫婦がいて、奥さんの方が扉の張り紙に書いてある番号に電話して見学出来るのか聞いているところだった。しばらくすると、連絡を受けたボランティアの案内係の女性がやってきて開けてくれた。
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とても広い内陣
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素晴らしい天井はオリジナルです。幾何学模様の木組みはムデハル様式の特徴。この中央部分は塗装されていません。
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主祭壇部分の天井には、金箔が残っています。
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主祭壇
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聖アナ(聖母の母)、聖母マリア、そして御子イエスの親子3代
マリアとイエスというのはもちろん、アナとマリアという像や絵は結構あるのですが、3代一緒なのはとても珍しいそうです。 -
ちょっとした博物館・美術館になっている礼拝室
中央にある洗礼桶で、イサベルは洗礼を受けました。 -
これもムデハル様式の聖歌隊席
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脇にある所々剥げたレタブロは何だろうと思ったら、なんと昔のレタブロを流行が変わったために再利用した時代があり、聖歌隊席の床板にしちゃってたんだそうな。
長年踏みつけられて絵はほとんど分からなくなってしまったけれど、椅子の下になった部分は助かった。 -
椅子の下にあって絵が残った部分。
こんなに綺麗だったのにね、床板にしちゃったなんて、どういう時代だったのでしょう。 -
Iglesia de Santa Maria del Castillo サンタ マリア デル カスティージョ教会
12世紀のロマネスク=ムデハル様式混合の教会。16世紀から18世紀にかけて下手に手を加えられて、なくなった部分もあるらしい。 -
ここ数年、修復改装工事が進められています。ここ数日の雨で雨漏りがあり、主祭壇の天井部分の漆喰が、見学中に音を立てて落ちてきました。
主祭壇の中央部分の像が降ろされて祭壇の奥が見えていますが、そこにゴシックのフレスコ画が見つかったそうです。工事はそれらの絵をもっと見やすくするためでもあるそうです。 -
主祭壇の後ろだけでなく、脇の礼拝堂にもフレスコ画は見つかっています。
パッと見は分かり難いけれど・・・ -
ほら、中に入って良く見ると、こんなに色もしっかりと残っている部分があります。
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こちらにもうっすらと。
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教会があるのは村の高台です。かつては城があった部分と想像されています。
そこから、城壁外にあるアグスティノス男子修道院跡が見えます。
Convento de Extramuros de los Padres Agustinos 1353年建設 -
マドリガルを去る前に、もう少し城壁と門を見ていこう
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一番美しいカンタラピエドラ門 Puerta de Cantalapiedra
これは村の中から見たところ -
イチオシ
門を出たら、そこにはもう何もない・・・
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イチオシ
城壁外から門を見る
どんな構造になっているのか知りたければ、昔行ったムデハル建築ミニチュア ランドの写真を見てみてください。
http://4travel.jp/traveler/milflores/pict/13010222/ -
これがイサベル女王の生誕地
Madrigal de las Altas Torres マドリガル デ ラス アルタス トレスです。
次の旅行記ではイサベルが幼少期を過ごしたアレバロをご紹介します。
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