2013/10/12 - 2013/10/13
23位(同エリア68件中)
地中海人さん
べルガマからイズミール・オトガマ経由でセルチュクにバスでやってきました。センジョン教会遺跡を巡った後、街歩き途中考古学博物館を訪れましたが工事中で休館。翌日は二度目のエフェス遺跡へ、丘の上の住宅は見ごたえがありました。
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主な日程
べルガモからアンタルヤまでエーゲ海沿いをバスで巡る旅。
2011年1月アンカライン、イスタンブールアウトの時に漏れたクシャダス、ポドルム、アンタリア、また船でコス島へ。
【2013年10月10日(木)】
NH3232 仙台発8.00→NRT着8.55 ANApp354
NH207 NRT発12.15→ミュンヘン着17.15 ANApp2933
(仙台←NRT→ミュンヘン ANAから179,170円)
LH1782 ミュンヘン発19.40→イズミール着23.10
(LHから163.77EUR ANApp510)
イズミール空港からハワシュ(5TL)で二つ目の停留所・スイソテル ホテルまで
(この停留所からネオンサインが見えるモーベンピックホテル1人1泊13,284円朝食1983円WiFi無料)
【10月11日(金)】
午前中イズミール街歩き
イズミール・オトガル(以下「O」)→(バス)→べルガモ・O
午後 べルガモ考古学博物館 とアスクレピオン遺跡
(ペルガモ Anil Boutique Hotel1泊朝食付き現金49EURWiFi無料)
【10月12日(土)】
午前中 ペルガモンのアクロポリス遺跡散歩
午後 べルガモ・O→(バス1H30 12TL )→イズミール・O→(バス1H 9TL)→セルチュク・O
★夕方 セルチュクのセン・ジョン教会遺跡へ
(セルチュク セン・ジョン・ホテル 1泊朝食付き10,500円 WiFi無料日本語を話す従業員がおり助かりました。)
【10月13日(日)】
★午前中(セルチュク・Oからミニバス片道2.5TL)エフェス遺跡散歩
夕方 セルチュク・O→(バス)→クシャダス市内バス停終点
(クシャダス キャラバンサライ ホテル3泊朝食付き174EURWiFi無料)
【10月14日(月)】
クシャダス市内バス停→(バス5TL)→ソケ・O→(バス1H 8.5TL)→ディディム遺跡散歩
→(バス)→ソケ・O→(バス30分 4TL)→プリエネ遺跡散歩→(バス)→ソケ→(バス4TL)→クシャダス市内バス停
【10月15日(火)】
クシャダスバス停終点→(バス)→ソケ・O→(バス1H 7TL)→ミレトス遺跡散歩
→(バス便無く、駐在警官に世話してもらう白タク25TL)→アンキョイ→(バス7TL)→クシャダスバス停終点
【10月16日(水)】
クシャダス→(バス)→ポドルム
午後 ポドルム要塞 街歩き
(ポドルム メリスパンション 2泊朝食つき280TL WiFi無料)
【10月17日(木)】
午前9.30発 ポドルム→(船 1H)→コス島コスタウン(ギリシャ)
アスクレピオン アゴラ 円形劇場 コスタウン街歩き
午後4.30発 コスタウン→(船 1H)→ポドルム
(高速船なく、往復17EUR)
【10月18日(金)】
TK2509ポドルム発11.30→イスタンブール着12.40
が35分遅延
TK2432 イスタンブール発13.35アンタル着14.50
のところ1時間後の次の便で預け荷物も無事到着
以上2便 トルコ航空314.00TL
(アンタルヤ メディテーラホテル2泊15,338円1人朝食つきWiFi無料)
【10月19日(土)】
ぺルゲ遺跡 スイデタウン アスペンドス遺跡 クルシュンルの滝 4ケ所1日ツアー
(ホテル前にあるUCANツアー社[http://antalya.u-cantravel.com] による 55EUR 昼食つき )
【10月20日(日)】
コンドルエアーXQ130アンタルヤ空港ターミナルⅠ発10.45ミュンヘン着13.05
(コンドルエアーはTⅡだがサンエクスプレス運行のため3キロ離れたTⅠまでタクシー5EURで移動。シャトルバス無し。 275EUR)
ミュンヘン空港からミュンヘン中央駅までS2(10.40EUR)
(ミュンヘン中央駅近くのエクセルシオール・ホテル1人WiFi無料1泊13,869円 朝食20EUR)
【10月21日(月)】4Tの旅行記を利用させていただきました。
午前中 1日切符(8.5EUR)を利用し
ミュンヘン中央駅→(S2)→ダッハウ駅→(726番バス)→ダッハウ収容所を訪問
→(バス)→ダッハウ駅→(近郊線)→ミュンヘン中央駅
午後 ミュンヘン街歩き
NH208 ミュンヘン空港発21.10 ANApp2933
【10月22日(火)】
成田空港着15.35
NH3232 成田空港発18.55 仙台空港着20.05 ANApp354
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当初ミュンヘンからLHの直行便でイズミールイン、LCCサンエクスプレスのミュンヘンまでの直行便でアンタルヤアウトのホテルのみ予約し、途中はその都度と考えていたが、予定していたセルチュクのホテルが満室となったのを見て、ポドルムからアンタルヤの中ほどのへティエ近辺を割愛する全日程とホテルを確定し、その間はバスでなく飛行機ということになった。
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今回JTBの外国専用VISA引き出しカード「MoneyT Grobalカード」「http://www.jtbmoneyt.com/」を利用しました(☆)。
引き出しのお知らせメールがきます。
比較のため、ためしにいろんな方法(トルコの銀行ATMはTL及びEUR引き出し可能。)で両替してみました。
トルコリラTLの両替はMoneyTカードが一番よいという結果ですね。
135.86円で両替したEURをホテルでTLに両替したが、1TL@54.344円となる。
成田空港(Gate31付近の銀行)で
10月10日
銀行両替2万円-300円 145ユーロ EUR (1EUR@135.86円)
2万円+40円 300トルコリラ TL (1TL@66.8円)
トルコで
10月12日ペルガモのホテルで両替 50EURが125TL(1EUR@2.5TL)
☆10月13日PttのATMで400TL引き出し 20.950円(1TL@52.375円)
☆10月16日銀行ATMで300TL引き出し 15,740円(1TL@52.46円)
☆10月16日銀行ATMで100EUR引き出し 14,122円
ミュンヘンで
☆10月20日銀行ATMで100EUR引き出し 14,158円
☆10月21日銀行ATMで200EUR引き出し 28,117円(1EUR@140.585円)
@はATM及びJTB扱い手数料込での単価
なお、カード支払いの場合
9月30日予約換算日10月1日トルコ航空314TL 15,508円(1TL@49.389円)
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表紙写真は セルチュク町中にある、センジョン教会遺跡入り口
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2013年10月12日(土)午後、べルガマ・オトガル→(バス2H 12TL)→イズミール・オトガル→(バス 1H 9TL)→セルチュク・オトガルまでやってきました。一昨日深夜から、歩いているうちに、次々と通行人や客やバス会社の人たちから声がかかり、行き先を告げればバスまで誘導され目的地にたどり着く。
オトガルに着いてからは、タブレットの地図を見、今日はオトガルから徒歩10分くらいのセン・ジョン・ホテルまで。
4つ星ホテル、住宅街にある自動車旅行者が多い、静かなホテルです。東京に10年住んだことがあるという日本語が流暢な従業員がいて、助かりました。 -
オトガルからアタユルク通りを北へ、サンジャン通りとの角。
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左側奥が聖ヨハネ教会遺跡です。入口はサンジャン通りを数百メーター上った所。
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ホテルに荷を解き、直ちにエフェス考古学博物館へ向かいました。
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セルチュク市内
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セルチュク市内
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エフェス考古学博物館は工事中。
アルテミス像を見たかった!。エフェス遺跡からの所蔵品25,000点、これまで1,000点が展示されていたという。
丘の上の住宅からもたくさん発掘されたことでしょう! 再開したら是非とも! -
サンジョン通りを登りきったところにある、聖ヨハネ教会入り口です。
正面入り口の門は「追撃門」。中に入ると左にチケット売り場があります。(8TL) -
聖ヨハネ教会遺跡
パウロは第三回伝道旅行(AD53-58)の際、エフェスに3年滞在し布教活動したと伝えられています。
エフェスの主神・アルテミス神と反目したようですね。なにしろ「手で作られたものは神ではない」とかなり布教活動も戦闘的でした。
多神教時代の神殿彫刻など遺物の破壊は最初キリスト教徒によるものでした。もっともその前に過酷なキリスト教徒弾圧がありましたが。 -
聖ヨハネ教会遺跡
1世紀後半以降エフェスはキリスト教布教に重要な役割を果たしたといわれています。
この教会は2世紀、初期キリスト教時代の代表的建築物。 -
聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
崩れた向こう側で、ドイツ人旅行者のためミサが行われていました。
ここは、ヨハネがマリアと共に訪れ、晩年をすごしたところ。 -
聖ヨハネ教会遺跡
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聖ヨハネ教会遺跡
メデューサの彫刻はありません。 -
聖ヨハネ教会遺跡
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サンジョン通り
追撃門前には、ホテルやお土産物屋さんが並んでいます。 -
10月13日(日)
住宅街にあるホテルから歩いてセルチュク・オトガルへ向かいます。
左側にある、数坪のミニスーパーのおじさんからなにやら日本語が飛んできます。
ホテルの日本語を話す従業員に教えられ、オトガルとセルチュク鉄道駅の中間にあるPTTのATMで、初めてMoneyTカードを使い、400TLを引き出しました。銀行ATMより非常に簡便です。 -
オトガルからエフェス遺跡の北側入り口までミニバスが頻繁にでています。(2.5TL)
写真は入り口に入ったところで、右側にオーディオガイド、ショップ、左側にトイレ。
2011年1月にはガイドつきツアーで、南入り口から入り、ここから出ました。 -
入ってまずすぐ右側に曲がり、聖母マリア教会へ行きます。
2世紀前半初期キリスト教時代に建築された。
長さ260m幅30m。 -
聖母マリア教会
ここは日本人ツアーははしょる所ですが、さすがにイタリア人、スペイン人ツアー客、聖職の方々は真っ先に来ていました。 -
聖母マリア教会
最初は高等教育機関として、薬学、科学など学問が行われていた。
4世紀に至って教会に改築され、 -
東壁に後陣
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西側には周囲を円柱で包囲したアトリウム(中庭)が設置されたという。
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大劇場手前左側にある体育場
奥の山は、ピオン山。この山の西側山麓に前10世紀アテネからの移住者によりエフェスが築かれたので、アテネの真東にある。 -
列柱回廊(アルカディアン通り)で古代は港に通じていました。エフェスの母市・アテネは真西のこの方向にあります。
クレオパトラとアントニウスもここを通ったんでしょうね。儀式用に作られたといわれており、外交使節はこの道を通ってエフェスへ向かいました。
600m幅11メートル。
両サイドに5m幅の列柱回廊(床面モザイク、屋根つき)が設けられ、店舗が貼りつきました。 -
列柱回廊
海の反対側突き当たりは、大劇場。このピオン山の北麓、アルテミス神殿から現在地にヘレニズム時代に移ってきたようです。
で、街路は、アルテミス神殿と垂直または平行に街路が作られています。 -
足の方向の左側に娼婦の館が。
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ここの円形劇場も、丘の斜面を削って作られており、海(母市であるアテネの方向)を眺める典型的なギリシャ形式です。
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円形劇場から
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円形劇場
ヘレニズム時代に建築が始まり、2世紀半ばに3階増築され、2万4000人収容。 -
円形劇場
舞台は25m*40m
パウロもこの舞台で布教活動を行ったという。 -
セルシウス図書館
117年完成。往時は全て大理石に覆われていた。蔵書12,000冊だったという。 -
セルシウス図書館
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セルシウス図書館
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セルシウス図書館
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セルシウス図書館
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下のアゴラ
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下のアゴラ
ヘレニズム時代に建設が始まり、アウグストス、ネロの時代に増築、最終的にはカラカラ時代に改築されたが、4世紀に大地震で破壊されたという。 -
下のアゴラ
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下のアゴラ
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クレデス通り
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クレデス通り
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クレデス通り
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水洗トイレ跡
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クレデス通り
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丘の上の住宅
エフェスは、前10世紀ごろギリシャからの移住により築かれ、前6世紀にはリディア(人類最初の貨幣を作った)に侵略され、またアケメネス朝ペルシャに前547年陥落したとされていますが、ここには前6世紀頃の層が見られ、ローマ時代にかけて住宅が発掘されているという。 -
丘の上の住宅
アレクサンダー大王がペルシャからここを解放し入城したあと、都市から離れていたエフェス人を連れ戻し、エフェスを再興したといわれています。 -
丘の上の住宅
アレクサンダー大王死後、セレウコス朝の支配を受け、ペルガモン王国支配下ともなり、ローマ帝国に吸収され、前150年ごろには西アナトリアの経済的中心地であったという。 -
丘の上の住宅
この歴史の上にこれら住宅が文字通り積み重なっています。 -
丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
別途15TL払います。 -
丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
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丘の上の住宅
出口から降りるとマーブル通りとセルシウス図書館の角に出ます。 -
ハドリアヌス神殿
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イチオシ
ハドリアヌス神殿
半身裸の温和なメデユーサはここだけですね。
メデューサは魔除け用とされていますが、ここでは全くそのような意味合いは無い。
ハドリアヌス帝は特にギリシャ化した地域を建設関係者を随伴して公共工事をしながら巡察し、建築家アポロドニスに一任したトライアヌス皇帝と異なり、アイデアを持っていたといわれています。
ギリシャ神話上はアテネ女神の不興を買い首を切られたはずですが、スペイン属州イタリカ生まれの平和を重んじる彼は、不憫に思い首をつなげ半身像に仕上げています。
偉い! ディレッタントなハドリアヌスは、ローマに唯一残る背中合わせの神殿「ヴェヌスとローマ神殿」やパンテオンなど独創的なことをことをやらかしていますね。 -
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トラヤヌスの泉
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ヘラクレスの門
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ポリオの泉
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クレティス通り
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クレティス通り
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ドミティアヌスの神殿
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ニケのレリーフ
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上のアゴラからオデオン
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オデオン
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上のアゴラ
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上のアゴラ
この後、セルチュク・オトガルまで戻り、バスでクシャダスへ向かいました。3泊し、今回の旅行のメインである、ミレトス遺跡、デイディム遺跡を訪問することになります。 -
2011年1月訪れた時の写真
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アルテミス神殿跡
基壇も無く、全く想像もできませんね。
アルカイック時代は当時のギリシャ世界の最大級(115.1m*55.1m 南北2列東西3列127本の列柱、前560年ー前550年建設)、全て大理石で作られた最初の建造物であったという。母市であるアテネの方角、西を向いて建てられた。(ギリシャ各地の神殿は概ね東を向いています。)
前356年大火災で焼失(丁度アレクサンダー大王が生まれた日とされています。)後にも再興された。前334年アレクサンダーがここをペルシャから解放し、全費用を負担すると申し出たが、この地の人たちは辞退したといわれています。
2世紀前半異民族により完全に破壊された。
その後は、キリスト教布教によりアルテミスは見捨てられ荒廃するままとなり、全く想像すら不可能な状態となる。
エフェスは、当初海の近くに作られ、前560年頃リディアの支配下にあるときこの神殿あたりに移されました。
古代は、アルテミス神殿、ヘラ神殿など女神の神殿は、ここに限らず、ギリシャ文明世界では、低湿地に作られていたようです。
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