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高杉晋作の墓がある山口県下関市の吉田を初訪問した。長府にも高杉晋作ゆかりの場所は多いし、下関市内にも終焉の地がある。高杉の像も市内日和山、長府の功山寺が有名だが、今回初めて吉田の地を訪れ陶像を見た。最初の写真は彼の<br />墓地。伊藤博文、井上薫、木戸孝允が立てたとある。愛人おうのの墓もすぐ近くだ。晋作がこの地を墓地として希望したそうだ。なお、このあたりは晋作づくしというべきで、東行庵はおうのが住んで、晋作の墓地を守った。その庵も伊藤博文らが立てたものだ。今は、その横に東行記念館というささやかな展示館があるし、菖蒲で有名な庭園も併設されており、なんとその隣には、「晋作の湯」という温泉までできている。さらに、麓に東行庵のある清水山の坂を登ると晋作の墓、おうのの墓、さらには奇兵隊士の墓が並んでいる。晋作ファンにはたまらないところだろう。晋作を支援した白石正一郎の墓も奇兵隊の一員としてここにあった。ほかにも様々な記念碑がある。<br /><br />記念館の展示物は残念ながら写真がとれないが、晋作の貴重な真筆等を見た。彼の愛した三味線や瓢箪徳利、印鑑類等かなり展示されている。ただし今の展示は今月いっぱいとのこと。相当所蔵しているはずなので、内容は入れ替わるであろう。<br />平日でほとんど人は館内にいなかった。ゆっくり見物できてよかった。<br /><br /><br /><br />

高杉晋作の東行記念館と東行庵を訪問(修正)

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2013/06/25 - 2013/06/25

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tad

tadさん

高杉晋作の墓がある山口県下関市の吉田を初訪問した。長府にも高杉晋作ゆかりの場所は多いし、下関市内にも終焉の地がある。高杉の像も市内日和山、長府の功山寺が有名だが、今回初めて吉田の地を訪れ陶像を見た。最初の写真は彼の
墓地。伊藤博文、井上薫、木戸孝允が立てたとある。愛人おうのの墓もすぐ近くだ。晋作がこの地を墓地として希望したそうだ。なお、このあたりは晋作づくしというべきで、東行庵はおうのが住んで、晋作の墓地を守った。その庵も伊藤博文らが立てたものだ。今は、その横に東行記念館というささやかな展示館があるし、菖蒲で有名な庭園も併設されており、なんとその隣には、「晋作の湯」という温泉までできている。さらに、麓に東行庵のある清水山の坂を登ると晋作の墓、おうのの墓、さらには奇兵隊士の墓が並んでいる。晋作ファンにはたまらないところだろう。晋作を支援した白石正一郎の墓も奇兵隊の一員としてここにあった。ほかにも様々な記念碑がある。

記念館の展示物は残念ながら写真がとれないが、晋作の貴重な真筆等を見た。彼の愛した三味線や瓢箪徳利、印鑑類等かなり展示されている。ただし今の展示は今月いっぱいとのこと。相当所蔵しているはずなので、内容は入れ替わるであろう。
平日でほとんど人は館内にいなかった。ゆっくり見物できてよかった。



旅行の満足度
4.0
  • 晋作の墓の説明版

    晋作の墓の説明版

    高杉晋作墓 名所・史跡

  • おうのの説明版

    おうのの説明版

  • おうのの墓

    おうのの墓

  • 東行庵の説明版

    東行庵の説明版

  • 東行庵

    東行庵

    東行庵 名所・史跡

  • 東行記念館入口

    東行記念館入口

    下関市立東行記念館 美術館・博物館

  • 高杉晋作の写真(これはポスターを撮影。オリジナルが展示されるときもある)

    高杉晋作の写真(これはポスターを撮影。オリジナルが展示されるときもある)

  • (清水山の麓) 白石正一郎の歌碑。晋作等を強力に支援した豪商。彼の家で奇兵隊は結成された。明治になってからは、彼は赤間神社の宮司になる。

    (清水山の麓) 白石正一郎の歌碑。晋作等を強力に支援した豪商。彼の家で奇兵隊は結成された。明治になってからは、彼は赤間神社の宮司になる。

  • ここで説明されているように、武士と庶民が一丸となって長州は立ち上がった。会津の戦いとはまったく逆だ。知る限りでは、会津では武士のみならず、武士の家の女子供まで戦うが、庶民が加勢した話はまったくでてこない。今でも福島では長州人が嫌われているそうだが、その嫌う人たちは戦って死んだ武士の子孫なのであろうか?長州人としては理解に苦しむところである。自分は生きて逃げ延びた松平容保は会津で敬愛されているという話も、信じがたいのだが。。。そういう話を持ち出して互に嫌い合う話は、劣悪な歴史本やNHKドラマ等の悪質な脚本に踊らされている可能性が高いと思うのだが、いかがであろうか?<br /><br />そういう歴史的うらみつらみをいいあうならば、徳川に連なる譜代大名側の横暴に耐えてきた外様大名の260年間の話をだすことになってしまう。そうなったら、どこかの近くの国が執念深いなどといってはいられなくなるだろう。先週だったか、NHKの新日本紀行「会津」を見て、いささかその時代錯誤的内容に呆れたばかりなのだ。

    ここで説明されているように、武士と庶民が一丸となって長州は立ち上がった。会津の戦いとはまったく逆だ。知る限りでは、会津では武士のみならず、武士の家の女子供まで戦うが、庶民が加勢した話はまったくでてこない。今でも福島では長州人が嫌われているそうだが、その嫌う人たちは戦って死んだ武士の子孫なのであろうか?長州人としては理解に苦しむところである。自分は生きて逃げ延びた松平容保は会津で敬愛されているという話も、信じがたいのだが。。。そういう話を持ち出して互に嫌い合う話は、劣悪な歴史本やNHKドラマ等の悪質な脚本に踊らされている可能性が高いと思うのだが、いかがであろうか?

    そういう歴史的うらみつらみをいいあうならば、徳川に連なる譜代大名側の横暴に耐えてきた外様大名の260年間の話をだすことになってしまう。そうなったら、どこかの近くの国が執念深いなどといってはいられなくなるだろう。先週だったか、NHKの新日本紀行「会津」を見て、いささかその時代錯誤的内容に呆れたばかりなのだ。

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