2012/06/02 - 2012/06/02
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montsaintmichelさん
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山陰・北陸浪漫紀行の一環として、新緑の季節に永平寺を訪れました。爽やかな新緑と霊域の厳かな雰囲気とが相俟って、自然と背筋が伸びる思いでした。境内は広く、回廊は急勾配の階段ですので、事前に情報を取集しておかれると重宝すると思います。
曹洞宗大本山永平寺は、今から約760年前の1244年、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。室町時代には天皇から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。渓声山色豊かな幽邃の境に、七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が静かに佇んでいます。現在も200余名の雲水(修行僧)が、日夜修行に励んでおられます。境内は33万平方mの広大さで、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂な佇まいは、出家道場にふさわしい霊域です。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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大本山永平寺の標柱
バスを降りて商店街をまっすぐ緩やかに登っていくと、標柱が出迎えてくれます。
2002年の道元禅師750回大遠忌を記念して、「円心会」 が中心となって寄進された標柱です。
巾 1m、高さ 4.8mの大標柱で現董 宮崎奕保猊下の染筆に成るものです。 -
永平寺の玄関口 正門
1930年に境内の拡大によって唐門より真直に参道が造られた際建立されたものです。73世泰禅禅師は、964年に正門の柱に
『杓底一残水 汲流千億人』という句を刻まれました。
「一杓の水でも、元の川へ流れることによって多くの人が恩恵にあずかる」という禅的表現です。物の生命を大切に無駄にしないという、省エネの精神にも佛祖の恩徳にも報いるものです。 -
イチオシ
永平寺 表参道
通用門手前から振り返って見た表参道です。
比叡山延暦寺で出家した道元は、その教えに疑問を持ち、その後中国・明に渡ります。帰国後京で布教を始めるも、比叡山の迫害に合い、1243年波多野義重を頼って越前国に下向します。翌年、傘松峰大仏寺を建立。1246年に吉祥山永平寺と改めます。 以来、曹洞宗の大本山として現在に至ります。現在、曹洞宗は、ここ永平寺と横浜の総持寺の2寺が大本山となっています。総持寺は曹洞宗の4世太祖瑩山によって1321年によって開山され、1615年江戸幕府によって永平寺と共に曹洞宗の大本山に認定されました。本山が二つあるというのも珍しく、実際、かつては永平寺と総持寺の間で本家争いがあったとのことです。 -
永平寺 通用門
元々は、祠堂殿と傘松閣の間を少し上った辺りに在ったそうです。しかし、1981年の二祖600回忌を前後して境内が拡張された際、現在地に移され一般の参詣、参拝者が出入りする門となったものです。 50世玄透禅師の『天童叢規勃興名巒』という額が掲げられたいます。「ここ永平寺は、中国天童山の清規が現前と遵守されている修行辧道の山であるぞ」と入門者の求道を喚起させるための句だそうです。
正面の吉祥閣という建物に入ると勧化室という広間に通され、僧侶から参拝の心得を法話されます。「左側通行を心がける」、「カメラを修行僧に向けない」、「携帯電話のマナーモード設定」や「建物の外へは出ない」など。現在も200余名の雲水が修行する場であり、寝ることや食事も修行の一環だそうです。各人、畳一枚のスペースで寝食をするらしい。 -
永平寺 傘松閣の絵天井
156畳敷きの広間の格天井に、川合玉堂、伊東深水など144名の一流画家によって描かれた花鳥彩色画230枚が埋め込まれており、別名「絵天井の広間」と呼ばれます。この230枚の彩色画の中で、花鳥画以外が5枚(3種類)だけあり、この3種類の絵を探して祈願すると、願いが叶うといわれます。3種類・・・鯉と唐獅子が各2枚、栗鼠(リス)が1枚。 -
永平寺 傘松閣 達磨大師の掛け軸
正面には現薫 宮崎奕保(みやざきえきほ)猊下の染筆による「傘松閣」という額が掲げられ、その下には達磨大師の掛け軸があります。
達磨大師は、6世紀頃、南インドの香至王の第三王子として生まれ、中国で活躍した禅宗の開祖だそうです。中国に渡り崇山少林寺で9年間座禅を組んで悟りに達したといいます(面壁九年)。あまり長い間座禅をしていたために足が腐ってしまったという俗説があのユーモラスなダルマ人形を生んだとも伝えられています。達磨大師の後継となった、中国第2祖・慧可大祖禅師(えかだいそぜんじ)の逸話(雪舟の水墨画)は、次の本文を参照してください。
http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/26179631/ -
永平寺 中庭
永平寺境内には七堂伽藍を中心に全部で70棟程の殿堂楼閣があり、それらは廻廊によって結ばれています。また、急斜面に建立されているので、廻廊は階段です。殿堂楼閣の中でも重要な7つの堂宇は、「七堂伽藍」と称され、日常の修行に欠かすことのできない重要な建物となっています。それは山門、仏殿、法堂(ほっとう)、僧堂、庫院(くいん)、浴室、東司(とうす:お手洗い)の7つです。
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永平寺 回廊から山門を見下ろす
回廊と言っても急勾配の階段ですので、年配の参拝者は大変だと思います。できれば、足腰が丈夫なうちに行っておきたい所ですね。 -
永平寺 回廊
永平寺は三方を山に囲まれ、南側の一方に永平寺川の流れを持つ深山幽谷に位置
しています。この霊域に70余棟の諸堂が建立されています。この諸堂の中でも特に七つの堂宇は「七堂伽藍」と称され、日常の修行に欠かすことのできない重要な建物です。古来禅宗では伽藍の配置を人体図になぞらえています。即ち、頭が法堂(はっとう)、心臓が仏殿、左手が庫院(くいん)、右手が僧堂、腰が山門、左足が浴室、右足が東司(とうす)です。
建物があちこちに分散していますが、人体図をイメージすれば迷子になることはないと思います。 -
永平寺 山門
七堂伽藍のうち最も古い建物で、1749年42世円月江寂禅師によって再建。総欅造りの唐風の楼門で、二重層となっています。 修行僧が正式に入門する永平寺の玄関に当たり、下層には四天王を祀り、上階には五百羅漢を安置しています。三解脱門とも称され、仏の世界に入る関門です。入門して上を仰げば正面に「吉祥の額」といわれる扁額があります。1980年に福井県の文化財に指定されています。 -
永平寺 仏殿
僧堂から見上げる仏殿です。 -
永平寺 僧堂
外堂には「ほう(木偏に邦と書く)」(魚鼓)が吊り下げられています。これは中国の伝説の魚を模したもので、日常の行事や儀式の刻限を報じる法器として使われています。二時の粥飯に打ち鳴らされ、その間に修行僧は入堂して鉢位に付きます。 -
永平寺 仏殿
1902年に道元の650回忌を記念して建築された仏殿は、別名「覚王宝殿」あるいは「三世如来殿」とも呼ばれ、総欅造りの中国宋代の形式に従った石畳敷きのものです。仏殿の下層眉間には50世玄透禅師揮毫の「覚王宝殿」という額が掲げられています。須弥壇中央の眉間には、64世悟由禅師の「祈祷」という額が掲げられています。 -
永平寺 中雀門
山門と仏殿の間、僧堂と大庫院の中間にある門。典拠は明らかではありませんが、仏殿に対する特別な門ともいえます。宮中の朱雀門より由来したとも伝えられ、60世臥雲禅師代の1852年に道元禅師600回大遠忌に新築されたものです。 -
永平寺 仏殿
七堂伽藍の心臓部に当たり、本尊として、須弥壇中央には釈迦牟尼仏、右に弥勒仏、左に阿弥陀仏の三世如来を祀っています。それぞれ、現世、未来、過去を現しているそうです。 -
永平寺 仏殿
欄間には12枚の彫刻が嵌められおり、禅門の古則公案(逸話)が図案化されています。 -
永平寺 大庫院
1930年に改築され、地下1階地上4階の豪壮な建築物です。一般の寺院でいう庫裡に当たり、食事を作る厨房と来客を接待する瑞雲閣、一山の会計を扱う「副寺寮」、全山の修理・保全を担当する「直歳」の寮舎に分けられています。
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永平寺 僧堂
別名、雲堂や選仏場とも呼ばれ、修行の根本となる堂です。即ち、この堂で坐禅・二時の食事・就寝などを行います。特に堂内は三黙道場の一つでもあります。堂は内部中央に智慧の象徴、文殊菩薩を祀っています。 -
永平寺 承陽殿の門
僧堂より左側廊下を登っていくと左側に門が見えます。これが承陽殿の門で「一天門」とか「承陽門」、「承陽中雀門」と呼ばれ、この奥に御開山御真廟がありそれを承陽殿といいます。1881年の再建で本殿には御開山道元禅師の御霊骨と二代尊の御霊骨が奉祀され、更に、五代尊(二世孤雲懐弉禅師、三世徹通義介禅師、四世義演禅師、五世中興義雲禅師)までの木造も安置されています。 -
永平寺 承陽殿
1881年に再建された建物で、本殿である御真廟には、開祖・道元および
2代目・孤雲懐奘の御霊骨が奉祀されています。
屋根の垂木がまっすぐ「平行垂木」の和様。木鼻には龍が彫られています。 -
永平寺 法堂(ほっとう)
最も奥の一番高い所に鎮座する建物が法堂で、1843年に57世載庵禹隣禅師代によって再建されたものです。420畳敷あり、七堂伽藍最大の規模を誇り、毎朝の朝課(朝の読経)や各種法要が行われます。須弥壇中央は藤原時代 作の聖観世音菩薩が祀られています。また、祭壇の手前には阿吽の白獅子が2対置かれています。 -
永平寺 法堂
法堂眉間には、有栖川宮幟仁親王揮毫による「法王法」という額が掲げられています。これは、仏の無言の説法を文殊が証明白追した時の語、「諦観法王法、法王法如是」によるものです。 -
永平寺 法堂からの俯瞰
手前が一文字廊で、奥が仏殿に当たります。 -
永平寺 光明蔵
1930年に再建された総檜本造りの蔵で、桃山時代の形式に準じた格式のある建物です。820平方m、畳298枚の大広間で住持が公式に来山寺院や檀信徒と相見する室です。永平寺に一泊すると翌日の朝暗いうちにこの大光明蔵に案内され、貫首より説法をお聞きする。また、転衣の式礼もこの場所で行われます。近代日本建築の第一人者と称された工学博士 武田五一氏の設計で、尾張の堂営大工魚津弘吉氏30代の建築です。 -
イチオシ
永平寺 回廊
登りよりも辛いのが下りです。コケないように、慎重に、ゆっくり降りましょう。脇見して、足を踏み外さないように注意してくださいね。 -
永平寺 大庫院
来客を接待する瑞雲閣。「瑞展」とも称され、一般参籠者の宿泊に当てられる和室や応接間があります。 -
永平寺 大庫院
通路には、仏殿建立時に使われた地突き棒を丸めて作った巨大なすりこぎ棒が吊り下げられています。撫でると料理の腕があがるのだとか…。 正面中央には、俊足で有名な守護神「韋駄尊天」を祀り、この裏手で一山大衆の食事を作っています。 -
永平寺 仏殿
仏殿の石畳がなんとも美しい。 -
永平寺 中雀門
横から見る中雀門も趣きがあります。 -
経蔵
浴室の西側の急勾配の階段を登った所にあるのが経蔵です。1851年に60世臥雲禅師代に再建されたものです。 経蔵には中央に傳大士と脇侍として普建・普成を祀っていますが、古くは天海版一切経665函が収納されていました。1960年に一華蔵が完成後、そちらに移され、現在は空になっているそうです。 -
永平寺 山門から見上げる中雀門
中雀門の下で寄り添うカップルに、幸多からんことを祈念します。 -
永平寺 山門 四天王像
山門の両側には四天王を祀っています。東側には東方の守護神「持国天」が安置され、外部から進入する悪魔を遮ってくれています。
2008年に修復されたそうで、どうりで極彩色が際立っています。
梵名ドゥリタラーシュトラ (『国を支える者』提頭頼咤)とは、仏教における天部の仏神。足下に邪鬼を踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて仏敵を威嚇し、左手を腰に当てる姿に表されています。 -
永平寺 山門 四天王像
西方の守護神「広目天」。
梵名ヴィルーパークシャ (毘楼博叉)とは、仏教における天部の仏神。「種々の眼をした者」あるいは「不格好な眼をした者」という意味で、「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに千里眼と拡大解釈され、広目と訳されています。邪鬼の上に静かに立ち、筆と巻物を持つ姿に表されています。 -
永平寺 山門 四天王像
南方の守護神「増長天」。
梵名ヴィルーダカ (毘楼勒叉 『成長、増大した者』)とは、仏教における天部の仏神。足下に邪鬼を踏みつけ、左手に戟(げき)を持ち、右手を腰に当てた姿に表されています。 -
永平寺 山門 四天王像
北方の守護神「多聞天」。
梵名ヴァイシュラヴァナとは、仏教における天部の仏神。毘沙門天とも呼ばれます。右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿に表現されています。 -
永平寺 鐘楼堂
1964年に73世熊沢泰禅禅師代に改築された鎌倉様式の重厚な建物です。総檜造で中に吊られた大梵鐘は、口径1.5m、高さ3m、重さ5トンの巨鐘です。現在の大梵鐘は第二次大戦中応召にあいながら、再び戻されたものを改鋳し、鐘楼堂の改築とともに完成したものです。早暁の暁鐘・昼の齋鐘・夕暮れ時の昏鐘、そして夜坐が終わってからの定鐘と1日4回、鐘点という役の雲水によって撞かれます。「一撞一拝」といい、一撞ごとに一拝をして撞かれ、その梵音は雲水を覚醒せしめ、深谷幽山に無限に響きわたります。 -
永平寺 祠堂殿
1930年に新築され、一般の人が法要や供養をする時に使われるお堂だそうです。左右に都道府県別に金色の御位牌が沢山並べられており、空気感が異なります。ご位牌に敬意を表して写真に写りこまないように配慮しました。 -
永平寺 報恩塔(納経塔)
現薫 78世宮崎奕保猊下の発願になる写経を納める納経塔で、1996年に落慶式が挙げられました。工学博士 伊藤平左エ門氏(堂宮大工12世)の設計で、永平寺大工が永平寺の老杉を利用し、六角、一重衣階付の塔で建立されました。 -
永平寺 一葉観音
境内を離れ、寂光苑方面へ向かいます。
1972年に開眼供養が行われました。高祖大師が中国より帰朝の折、海が荒れ船中で苦しんでいた時、観音普門品偈を唱えると一葉の観音が表れ、荒波も静まって無事帰国できたという話に因みます。 2000年、道元禅師ご生誕800年を記念し、寂光苑から通用門入り口右側に移設されています。 -
イチオシ
永平寺 唐門(勅使門)
永平寺のランドマークとも言える唐門です。日光東照宮にしても、仁和寺、西本願寺も、唐門と称される門は、それなりの気品と風格をもって威厳を顕にしている気がします。そこには棟梁たちの矜持が存在するのでしょう。
正門の真正面に仰がれ、老杉に囲まれた中に見える門。57世禹隣禅師代の1839年の再建で、江戸時代後期を代表する永平寺宮大工棟梁大久保勘左衛門による。優れた細部彫刻を施し、その風格・気品は右にでるものはないと言われています。住持(貫首)の普山(就任)、皇室からの使者が上山する際等に開かれ、正面には永平寺50世玄透禅師揮毫の「吉禅山」という額が掲げられています。 -
永平寺 開基波多野家の塔
寂光苑に入ると右側に古ぼけた五輪塔と二基の法名塔があります。この中央の五輪塔が波多野義重公を祀ります。元々菩提園にあったものを境内の拡張で1968年に移転したものです。この法名碑に波多野家19代通清までの法名と俗名が刻まれています。現当主は29代目ですから10代前となりますが、開基家が連綿と相承されていることは尊いことです。 -
イチオシ
永平寺 唐門
東南端から見た唐門です。美しく伸びる白塀が絵になります。
次回は、丸岡城散策編を紹介します。
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